名神大社〈延喜式内〉

飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます

葛木御歳神社(御所市東持田)

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)は 葛城氏・鴨氏の氏神・高鴨神社〈高鴨社〉・葛城御歳神社〈中鴨社〉・鴨都波神社〈下鴨社〉で 全国の賀茂社・加茂社の総本社でもあります 又 御歳神(みとしのかみ)を祀る全国の御歳神社・大歳神社の総本社を称します『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 葛上郡 葛木御歳神社(名神大 月次新嘗)です

鴨都波神社(御所市宮前町)

鴨都波神社(かもつわじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代 勅命により大田田根子命の孫 大賀茂都美命(おおかもずみのみこと)が創建 『延喜式(927年編纂)』では 月次・相嘗・新嘗に宮中より官幣に預る名神大社に列した 大和国 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座(かもつはやへことしろぬしのみことの かみのやしろ)です

檜原神社(桜井市三輪)

檜原神社(ひばらじんじゃ)は 第十代 崇神天皇の御代 それまで皇居で祀られていた「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を 皇女 豊鍬入姫命に託し ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷し お祀りした〈元伊勢〉とされます 式内社 大和国 城上郡 巻向坐若御魂神社(大 月次相嘗新嘗)の論社でもあります

大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

高鴨神社(御所市鴨神)

高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます

伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は 紀伊国一之宮で『続日本紀』大宝二年(702)に記事が見える古社 木の国〈紀伊国〉のルーツとされ“木の神”五十猛命を祀ります 秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺「亥の森」)に遷座されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』には 紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社〈名神大 月次 新嘗 相嘗〉と記されます

出雲神社(亀岡市本梅町)

出雲神社(いずもじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の丹波國 出雲神社(名神大社)の論社です 創建年代は不詳ですが 境内には 巨岩が 磐座として祀られていて 最古の祭祀形態を存じています かつては磐座の横に出雲大明神といふ祠が祀られていたと伝へ 昭和3年(1928)に大改築を行ない 現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります

出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります

建部大社(大津市)近江国一之宮

建部大社(たけべたいしゃ)は 近江国一之宮です 神社の東側では 近江国庁跡も発掘されています 社伝によれば 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃・布多遅比売命(フタジヒメノミコト)が神勅により 日本武尊を「建部大神」として 神崎郡 建部郷 千草嶽(現・東近江市の箕作山)に祀ったのが始まりとされ 天武天皇4年(675)近江の守護神として 現在地の栗太郡 勢多へ遷座しました  

彌彦神社(弥彦村)越後国一之宮

弥彦神社(いやひこじんじゃ)は 創建から2400年以上であるとも云われ 万葉集にも詠われる由緒ある歴史を持つ古社です 御祭神は 天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)を祀り 人々からは「おや彦さま」と呼ばれ 信仰を集めてきた越後国一之宮です

彌彦神社 奥宮 御神廟(弥彦山頂上)

彌彦神社 奥宮 御神廟は 弥彦山の頂上に鎮座します 越後国開拓の祖神「天香山命 (あめのかごやまのみこと)」と その妃神「熟穂屋姫命(うましほやのひめのみこと)」が 祀られているとされる御神廟です  弥彦山は 7~8世紀の万葉集にも詠われている古くからの信仰の歴史を持ちます

寒川神社(寒川町)相模國一之宮

寒川神社(さむかわじんじゃ)は 約1600年以上の歴史を持つとされ 古くは朝廷から さらに歴代の武将〈源頼朝公 武田信玄公 徳川将軍家など〉や 民間からも幅広い信仰がありました 今でも 八方除の守護神〈全国唯一〉として 全国各地から参拝者が絶えない 相模國一之宮です

能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)羽咋の氣多大社の本宮

能登生国玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)は 上古 第8代 孝元天皇の治世〈BC 214~BC 15年頃〉創祀され 第10代 崇神天皇の御代〈BC 97~BC 30年頃〉羽咋の竹津浦に祭神を分霊し これが現在の能登国一之宮 気多大社(羽咋市)の創祀 当神社は 元宮としてその頃から 氣多本宮とも称したと伝わり この古事から 羽咋の氣多大社から当神社まで 平国祭「おいで祭」の神幸祭〈毎年3月18日~3月23日 5泊6日 50余名で巡行する神事〉が 現在も執り行われています

大麻比古神社(鳴門市大麻町)阿波国一之宮とされる由緒ある古社

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は 〈初代 神武天皇の御代〉阿波国を開拓した天太玉命の御孫 天富命(アメノトミノミコト)が 忌部氏の祖神 天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀ったのに始まります その後 猿田彦大神が合祀され 平安期には延喜式の名神大社 中世以降は 阿波国一之宮とされる由緒ある古社です

氣多神社(高岡市伏木一宮)〈延喜式内社 越中国一之宮〉

気多神社(けたじんじゃ)は かつて越中国の国府の地があったとされる〈高岡市伏木〉に鎮座しています 故に越中国一之宮とも称して 境内には 越中国 総社跡(伝承地)もあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には 名神大社として所載される由緒ある古社です

安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

気多大社(羽咋市)能登国一之宮「入らずの森」の社

氣多大社(けたたいしゃ)は 北陸の大社として朝廷からの尊崇も厚く 文献に最初に登場するのは『万葉集』大伴家持が 越中国守として赴任の時〈天平20年(748)〉能登を巡行し「気太神宮」に赴いたとの歌がみえ 927年12月編纂の『延喜式 巻3 臨時祭』では名神大に列している由緒ある古社です 大正時代に国幣大社に列したことから 現在は「気多大社」として親しまれています

玉﨑神社(中原)「玉前神社(一宮町)」の本宮であると云われます

玉﨑神社(たまさきじんじゃ)は 長生郡一宮町の玉前神社(一宮町)の本宮であると云われています 1200年以上前に 西方より渡ってきた物部氏一族が 和泉浦に創建した歴史ある古社で かつては安房神社 香取神社と並び房総の3大神社と称されたと伝わります 現在でも9月13日に行われる十二社祭りの本宮にあたります

玉前神社(一宮町)上総国一之宮

玉前神社(たまさきじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される名神大社で 上総国一之宮とされる格式高い由緒を持ちます しかし 永禄年間(1558~1570)大きな戦火にかかり 社殿・宝物・文書の多くを焼失しており ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていません 神武天皇の御代 あるいは景行天皇の御代の創立と伝えられます

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