天降神社(高松市香川町)

天降神社(あまくだりじんじゃ)は 田村大神示顕の地と云われ 往古 田村神社の御旅所とされていました 現在の神社は 享録年中(西暦一五二八~三二)大野北城内に神が降臨して霊異が現れ その啓示に基づき城の南東に天下権現(あまくだりごんげん)社(現在の天降神社)を建立したという

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天降神社(Amakudari shrine)

 [通称名(Common name)]

権現さんごんげんさん

【鎮座地 (Location) 

香川県高松市香川町大野1097

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天隠山命(あめのかぐやまのみこと)〈高倉下命〉

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の御旅所
・ 石清水八幡神社(香川町大野)の所管

【創  (Beginning of history)】

天降(あまくだり)神社の由来

天降神社は大野中坪北城(城荒神社 しろこうじんしゃ)第七代城主 佃川南備前守義成(つくだかわみなみびぜんのかみよしなり)の建立と伝えられている。

享録年中(西暦一五二八~三二)、大野北城内に神が降臨して霊異が現れ、その啓示に基づき城の南東に天下権現(あまくだりごんげん)社(現在の天降神社)を建立したという。

さらに、天下り権現さんの愛称で地域の人々に信仰され、また大正、昭和初期頃には境内が青年たちの集いの場になり、神殿も道場として使用され、特に伝統ある大野村亀中青年団が当時大いに活用した。

現在も毎年十月九日十日秋祭り 五月九日十日春祭宮司により神事が行われている。
平成十八年十一月 氏子代表

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

由緒

祭神は 瓊々杵尊であるといわれてゐるが、又 天ノ隠山ノ命であるとの説もある。
この神社は 往古は一ノ宮田村神社の御旅所であった。故に祭神も田村神社と同様で天ノ隠山ノ命であって、田村神社の祭神が最初降下された地であろう。これは田村神社の方の傅説である。此の説によれば祭神は天ノ隠山ノ命の方が正しいことになる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

天降(あまくだり)

現今香川町大野に属し神社より南約二キロメートルのところにある御旅所の跡であり、田村大神が示顕されたという深い由緒のある地である

田村神社公式HPより
https://tamurajinja.com/keidai/

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

・田村神社(高松市)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

田村神社は 名神大とされますが 臨時祭 名神祭 二百八十五座の中には 記載がありません

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)讃岐国 24座(大3座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)香川郡 1座(大)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 田村神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](たむら かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tamura no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

讃岐一之宮 田村神社の表参道について

社頭の鳥居の奥には 神門があります

Please do not reproduce without prior permission.

現在の田村神社の表参道も 南方向に延びていますが 琴電の線路止まっています

Please do not reproduce without prior permission.

参道は 琴電の線路を越えて 当時の御旅所 天降神社(香川町大野)まで続いていた云われます
琴電の開通と伴って線路から南の参道はなくなっていき 現在は天降神社(あまくだりじんじゃ)が 飛地のように残っています

延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載 讃岐国 香川郡 田村神社(たむらの かみのやしろ)(貞・名神大)

・田村神社(高松市)

・天降神社(高松市香川町)〈御旅所 御祭神降臨の地〉

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

讃岐一之宮 田村神社から 県道172号を南下 約2km 車5分程度
田村神社の社殿の向き すなわち表参道を〈南方二十丁〉約2.18km伸ばしていった辺りに 南を向いて鎮座します

天降神社(高松市香川町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

天降神社記石碑あります

Please do not reproduce without prior permission.

12月下旬の早朝 年末でしたが朝霧が立ち込めていました

境内には 注連縄柱があり その先に拝殿が建ちます

拝殿にすすみます 

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『香川県神社誌 上巻(Kagawaken Jinjashi)〈昭和13年(1938)〉』に記される伝承

境内地は 往古 田村神社の御旅所記しています

【抜粋意訳】

(七四)天降神社 大野村大字大野字亀井

祭神 瓊々杵尊(一に曰 天隱山命)

由緒
大野村 村社 石清水八幡神社境外末社。
当社境内は 往古 田村神社の御旅所にして、当社は田村神社と深き関係ありたるものの如し。

祭日 十月十日
主なる建造物 本殿 上幣殿 下幣殿 拝殿 神門
境内坪数 百三十九坪
崇敬者人員 約二百人

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『香川県神社誌 上巻』昭和13年(1938)出版 香川県神職会https://dl.ndl.go.jp/pid/1227836

天降神社(高松市香川町)に (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

讃岐国 式内社 24座(大3座・小21座)について に戻る 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, , ,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.