国史記載社

棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)〈『延喜式』棚倉孫神社〔大 月次新嘗〕・天神社〉

棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)は 社伝に推古天皇31年(623)相楽郡棚倉ノ庄より高倉下命を勧請とあり 『三代實録』貞観元年(859)正月27日条「棚倉孫神」に従五位上を叙す 又二つの式内社 山城國 綴喜郡(①棚倉孫神社〔大月次新嘗〕(たなくらひこの かみのやしろ)②天神社(あまつかみのやしろ)の論社です

崇道神社(京都市左京区)〈『延喜式』出雲髙野神社・小野神社二座・伊多太神社〉

崇道神社(すどうじんじゃ)は 桓武天皇の実弟 早良親王が 藤原種継暗殺事件に連座 幽閉 途中無実を主張し絶食死した 天皇の近親者の死 疫病が流行が続き 親王の祟りとされ 崇道天皇の追号を贈り 怨霊を鎮めるために創建されたと云う 3つの式内社〔出雲髙野神社・小野神社二座・伊多太神社〕が 境内社として祀られています

岩戸落葉神社〈『延喜式』堕川神社・天津石門別稚姫神社〔名神大月次新嘗〕・大柴神社〉

岩戸落葉神社(いわとおちばじんじゃ)は 岩戸社 落葉社の2社が 堕川社の相殿社となり 現在地に遷座 岩戸落葉神社と称されるようになった
①式内社 山城國 葛野郡 堕川神社
②式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕
③式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社
三つの式内社の論社とも云う

天太玉命神社(橿原市忌部町)〈『延喜式』太玉命神社四座〔並 名神大 月次 新嘗〕〉

天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)は この地に忌部宗家が斎部氏を称し土着 自らの祖先と斎部氏に縁故ある神霊を祀ったのが当社の起源 式内社 大和國 高市郡 太玉命神社四座〔並名神大月次新嘗〕(ふとたまのみことのかみのやしろ よくら)又 同じく式内社 天津石門別神社(あまついはとわけのかみのやしろ)の論社

天津石門別神社(高取町越智)〈『三代實録』天石戸別神『延喜式』天津石門別神社〉

天津石門別神社(あまついわとわけじんじゃ)は 越智氏居館跡の西にあり元暦二年(1185)越智家の祖 親家が戦場守護神として創祀『越智氏系図』 古来 九頭神社と称した 明治八年(1875)奈良県示達により延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)に治定され社名も改称されたが根拠は不明

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