伊勢125社
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山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
山末神社(やまずえじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』には゛山末社(やまずえのやしろ)゛とあり 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)と記載されます 中世に廃絶し 廃亡した為 寬文三年(1663)に旧地が判明せず 現在地に再興されたものです
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伊我理神社〈御同座 井中神社〉〈豊受大神宮(外宮)末社〉
伊我理神社(いがりじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載のある古社〈豊受大神宮(外宮)末社〉です 中世に頽廃しますが 寬文三年 (1663)舊地に再興されました “鍬山伊賀利神事”に深く関わりがある伊我理比女命が祀られています 御同座するのは 同じく(外宮)末社の井中神社(いなかじんじゃ)が坐ます
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度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
度會大國玉比賣神社(わたらいおほくにたまひめじんじゃ)は 神武天皇の御代 伊勢国造の祖・天日別命(あめのひわけのみこと)が伊勢の國覓(くにまぎ)〈平定〉の時 地主神に梓弓を以て橋と為して出迎えられ 歓んで゛刀自に度り會ひぬ゛と云い度會の名を為したという故事を持つ古社で 中世時代にも頽廃せずに祭祀が継続されていた神社であったと伝わる 豊受大神宮(外宮)摂社です
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田上大水神社〈御同座 田上大水御前神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました
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上宮古神社(玉城町宮古)
上宮古神社(かみみやこじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の旧鎮座地とする説があります 江戸時代末期の国学者 御巫清直(みかなぎ きよなお)〈1812~1894年生没〉は 廣泰寺寺地を比定地としています
