延喜式神名帳
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浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)〈『延喜式』漆部神社〉
浅間社(せんげんしゃ/あさまのやしろ)は 庄内川と新川の合流する三角州に鎮座します 御鎮座年月は不祥ですが 天正二年(1574)一色城主 前田與十郎が再建し 明治五年(1872)郷社に昇格しています 一説には 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社とされます
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八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)〈『延喜式』漆部神社〉
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『尾張志』に「當社は故縁ある古社ならむかとおもふよしあり、されど得へを失ひてすべて知りがたし、古石をもて御正體とすといへり、石を神體とする事は、古社に例多し。」とあり 一説には 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社とされます
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市神社(津島市米町)〈津島神社の境外末社〉〈『延喜式』漆部神社〉
市神社(いちがみしゃ)は 昔は米問屋が多く 商売の神様 大市比賣命(おほいちひめのみこと)を祀り 米之座と呼ばれた地に鎮座する津島神社の境外末社です 津田正生は『本國神名帳集説訂考』に 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)であるとの説を挙げています
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津島神社(津島市神明町)〈全国天王総本社「津島牛頭天王社」〉
津島神社(つしまじんじゃ)は 社伝には 欽明天皇元年(540)素戔嗚尊の和魂が 對馬から此地に光臨されたので 對馬(津島)と称すると伝わり 牛頭天王の日本総社として津島信仰の中心地です 一般的には『六国史』『延喜式』に記載のない式外社とされますが 延喜式内社 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)とする説もあります
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居森社(津島市神明〈津島神社 境内摂社〉)〈『延喜式』國玉神社の旧跡〉
居森社(いもりしゃ)は 津島神社の南門大鳥居をくぐると鎮座します 素戔嗚大神が この地に初めて来臨され 神船を高津の湊の森に寄せて奉られた地とされ 蘇民将来の裔孫と云う老女が 霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われます 彌五郎殿社〈式内社 國玉神社〉の舊跡とされています





