伊川谷惣社(いかわだに そうしゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰途 明石川から伊川を船でのぼり ここで一休みして「大国主命をここに祀れ」と命じたのが創始であると伝わります 『国内鎮守大小明神社記』では 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)としています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
惣社(Sosha)
【通称名(Common name)】
・伊川谷惣社(いかわだにそうしゃ)
・惣社神社(そうしゃじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県神戸市西区伊川谷町上脇1005
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴尊(おほなむちのみこと)
《配》経津主尊(ふつぬしのみこと)
武甕槌神(たけみかづちのみこと)
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由 緒
神功皇后が、朝鮮遠征の帰途、明石川から伊川を船でのぼり、ここで一休みして、「大国主命をここに祀れ」と命じたのが、この惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1071)9月再建し、太山寺密教院の定喜法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは、再建の時のことをいうのであろうと思われる。
また、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所載の明石郡九座の一つ惣部明神を、当社にあてている。5世紀後半には大和王朝が確立し、明石の囲も国造によって治められる事になり、6世紀には、大和王朝の物部系の郡司により、郡中の神社の神々を集めて祀ったことから、13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。
また、江戸時代、明石城主の崇敬篤く、三石の黒印領を寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から四世紀のものと推定され、早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。
現在の本殿は、宝暦11年(1761)に、旧社殿の古材を用いて造営されたものである。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301252.html
【由 緒 (History)】
惣社 復興事業記念碑
惣社は、大己貴尊、素盞嗚尊、経津主尊、武甕槌尊を祭り、物部神社とも称され、延久三年(一〇七一)の再建と伝えられている。延喜式の制に於いては小社に列し、伊川谷の総氏神として崇められ、明治七年(一八七四)には郷社に列せられた崇敬篤き神社である。
旧社殿は宝暦十一年(一七六一)に造営されたものであり、社殿の老朽化に加え その後平成七年(一九九五)阪神淡路大地震に遭遇し、甚大な被害を受けたが、逸速く氏子崇敬者より多大な浄財を得て平成七年(一九九五)建設委員会を立ち上げ第一期工事として「拝殿の再建」を行い、次いで復興委員会を組織し第二期工事として「本殿解体修復」「玉垣及び石積」「境内社建替」「手水社建替」工事に着手、八年の歳月を要し、平成十六年(二〇〇四)に完成し、創建当初の様相を見るに至る。
此処に記念碑を建立し永く後世に語り継ぐものである。
現地石碑文より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・伊川谷惣社 拝殿
・〈拝殿前〉狛犬
〈本殿向かって右の境内社〉
・稲荷社・猿田彦社・荒神社・八幡社
・土俵
・社頭・鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)明石郡 9座(大3座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mononohe no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
「尾張國 春日部郡 物部神社」
・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉
・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・物部神社(笛吹市石和町)
・大石神社(山梨市西)
・大石神社(甲州市塩山赤尾)
・白山建岡神社(山梨市上栗原)
「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
山陰道
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
・惣社(神戸市西区伊川谷町)
西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西神中央線 伊川谷駅から県道16号経由で南西へ約2.7km 車で6分程度
伊川谷の谷沿いに東から進むと 南向きに社殿 境内が向いて 玉垣が廻されています
玉垣から社殿が垣間見れました
惣社(神戸市西区伊川谷町上脇)に参着
駐車場から社頭に向かいます
鳥居の扁額には゛惣社゛とあり 一礼をしてくぐり抜けます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 境内を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛在所 詳ならず゛所在不明と記しています
【抜粋意訳】
物部神社
物部は 母乃能倍と訓べし
〇祭神 宇摩志麻知命歟
〇在所 詳ならず
類社
伊勢國飯高郡 物部神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 物部神社について 所在は゛今 伊川庄 池上村にあり、゛〈現 惣社(神戸市西区伊川谷町)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノベノ)神社
今 伊川庄 池上村にあり、〔飾磨縣神社調〕
盖 宇摩志麻遅命を祭る、〔舊事記本紀、参取五社明神舊記〕
凡 其祭 六月十四日、九月九日を用ふ、〔飾磨縣神社調〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛池上村(明石郡伊川谷村大字上脇)゛〈現 惣社(神戸市西区伊川谷町)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部神社
祭神 宇摩志麻遅命
今按 社傳 祭神 大巳貴命 宇摩志摩遅命 素蓋嗚尊 武甕槌命とみゆ 又 神功皇后征韓より御帰朝の時 祭る所なりと云り されど物部の社號による時は四座ますべきにあらねど 棟札に明石郡井川庄 伊和坐大名持物部神社とあり 又 惣社など云ふを思へば 中古相殿にかゝる神をも祭りしならん 故今之を訂して記せり
祭日 六月十四日 九月九日
社格 郷社(明細帳に物部神社なし 上昭村惣神社とあり 右社ならんか取調の事)所在 池上村(明石郡伊川谷村大字上脇)
【原文参照】