雷命神社(対馬 阿連)

雷命神社は 祭神の対馬の亀卜(キボク)の祖神「雷大臣命(イカツチノオオオミノミコト」あるいは 御子の「日本大臣命(ヤマトオオオミノミコト)」の住まいの跡と伝わる古社です 一方で 対馬の天道信仰や水神信仰とも習合して 御祭神は水神・男神」ともされ 阿連の河口近くに鎮座し 阿連の上流には太陽神」の御日照り(オヒデリ)さまという女神が鎮座しています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

雷命神社Raimei Shrine)
(らいめいじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市厳原町大字阿連215

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》雷大臣命(Ikazuchi ohoomi no mikoto)

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

亀卜(きぼく)の伝承 イカツオミ

【日本神話】 神功皇后
 仲哀天皇の死に際し、神功皇后は自ら祭主となり、武内宿禰(たけのうちすくね)に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を、神意を解釈する審神者(さにわ)としました。(日本書紀)

【対馬の伝承・異伝】
神功皇后の外征を支えたのは、個性的で有能な家臣たちでした。特にイカツオミ(雷大臣)は、皇后の凱旋後に対馬に留まり、古代の占いの技術である亀卜を伝えたとされます。
イカツオミは まず豆酘(つつ)に住み、次に阿連(あれ)に移り、加志(かし)で生涯を終え、加志の太祝詞神社(番号56)横に墳墓(中世の宝篋印塔)があります。
 豆酘には亀卜が残り、加志の太祝詞神社は名神大社であり、阿連は「対馬の神道」の著者・鈴木棠三から「対馬神道のエルサレム」と称されるなど、イカツオミの痕跡が色濃く残されています。名称に「雷(霹靂)」「能理刀(のりと)」がつく神社では亀卜が行われていたケースが多く、全島に分布しています。

コラム 占いの変遷
古代において、作物の豊凶や天変地異、病気の蔓延等は、統治者の重要な関心事でした。場合によっては、統治者がその責任を負い、処刑されることもあったのです。
 日本では、古くから鹿の肩骨を焼いて占う太占(ふとまに)が行われていましたが、対馬には5世紀頃、亀の甲羅を用いる亀卜が大陸から伝来していたようです。
 律令時代(7世紀後半~)には、国家の吉凶を占う手法として亀卜が採用され、伊豆5人・壱岐5人・対馬10人の三国卜部(さんごくうらべ)が占いの職能集団として朝廷に仕え、重視されました。政祭一致の時代、対馬は占いのみならず、政治的な影響力も保持していたのです。
 平安時代になると安倍晴明などの陰陽師(おんみょうじ)が活躍するようになり、さらに鎌倉時代になると武士が台頭し、対馬の卜部は力を失いますが、亀卜は対馬藩の公式行事として幕末まで存続しました。
 ちなみに、亀卜に使うウミガメの甲羅は、阿連の大野崎沖で獲れるものが最上とされ、逆に佐護・木坂・豆酘沖のものは使わないなど、厳格なルールがあったようです。豆酘の亀卜は形を変えて現在も行われ、国の無形民俗文化財に指定されています。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋1〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

・不詳

※御祭神 雷大臣命の住居の跡と伝わります

【由  (History)】

・不詳

※御日照り(オヒデリ)さま
祭神は 大臣命(イカツチオオオミノミコト)は 「水神・男神」とされ神社は 阿連の河口近くに鎮座しています
上流には 御日照り(オヒデリ)さま「太陽神という女神があり
大臣命が 出雲に向かう神無月の間は 里に下りて村を守ると伝わり

大臣命が 出雲から11月1日に戻ると 11月8日まで 御日照り(おひでり)さま と同居します
11月9日に 御日照り(おひでり)さま 山へ戻る時には 懐妊していると伝えらます

お出船・お入れませ・元山送り などの神事儀式が 今も厳粛に行われていて雷神・水神と日神の「和合」により 里に豊饒がもたらされると伝わります

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

オヒデリ

祭 神 オヒデリ
所在地 厳原町阿連の山中

神社のプロフィール
集落内に雷命神社がありますが、祭神の雷命は、旧9月29日(以下、すべて旧暦)に出雲に旅立って不在(神無月)となるため、川上に鎮座するオヒデリを里に迎えます。11月1日に雷命が戻り、1週間オヒデリとともに暮らし、11月8日に大祭、11月9日に住民総出でオヒデリを川上にお送りする神事(本山送り)が行われます。 この時オヒデリは懐妊しているとされ、雷神・水神・男神である雷命と、太陽神・女神であるオヒデリが和合し、里に豊穣がもたらされる、という古い民俗学の世界が今に伝わります。

周辺の雰囲気・環境など
厳原町阿連は対馬の南西部に位置し、西には対馬海峡東水道(朝鮮海峡)が広がり、三方を山に囲まれた半農半漁の集落です。戦後、道路整備が進むまで、ながらく陸の孤島でした。 山中に古い時代の鉱山があり、対馬に亀卜(きぼく。古代の占いの技術)を伝えたとされイカツオミ(雷大臣)が住み、遣唐使のひとりとして唐で修行をした最澄が帰途に漂着するなど、古い歴史と伝承に彩られています。

らいめいじんじゃ
雷命神社

神社のプロフィール
祭神は占いの神イカツオミですが、竜神・水神・雷神などの自然神の性格をもっています。近年、竜巻によりご神木が折れた事例があり、竜巻=竜神が発生する場所を選んで祭られたのかもしれません。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋2〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の横に鎮座

阿恵之若御子神社(アエノワカミコノジンジャ)
《主》日本大臣命
(ヤマトオオオミノミコト)〈御祭神 雷大臣命の御子〉

祠には 鹿の角が捧げられています

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その他の境内社は見あたりません 本殿に合祀されたのか?

金比羅神社《主》琴平大神

海神神社《主》海神神大神

軍知神社《主》少彦名神

薬間神社《主》薬間大神

恵比須神社《主》事代主命

御大照神社《主》御火照姫大神

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)県郡 13座(大4座・小9座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 雷命神社
[ふ り が な ]いかつちのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ikatsuchi no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
対馬島県郡 雷命神社」の論社は2つ

・雷命神社(対馬 阿連)

・雷神社(対馬 豆酘)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から 県道24号経由 約19km 車30分程度
厳原町阿連(アレ)の集落で 阿連川に架かる「あればし」で 川沿いに上流へと向かいます 稲刈りの時期で 川沿いに稲穂が干されています

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神社の手前には「伝教大師入唐帰国着船之地」記念碑があります
805年(延暦24年)に 伝教大師 最澄は 遣唐使として帰国途中に 漂流して その船が対馬の阿連(あれ)に到着した と記録があるとの事です

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川が大きく曲がる位置に鎮座しています
雷命神社Raimei Shrine)に参着

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狛犬の前に砲弾が置かれています
その 後ろには 鳥居が 4連に建ちます

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一礼をして鳥居をくぐります
鳥居の扁額には「雷命神社」とも 旧社号の「八龍大明神」とも刻まれています

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ここで参道は 大きく左に曲がりながら 上段の境内へと上っています

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丁度 参拝の時は 赤とんぼの時期でした 何匹もの トンボが 臀呫(トナメ)の如し
『日本書紀』に即位をされた神武天皇 小高い丘から大和の国見をされた時に秋津(アキツ)の臀呫(トナメ)の如し」と 秋津〈トンボのこと〉の交尾のような形である と云われたことから 大和国は「秋津洲(アキツシマ)」と名を得たとしています

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拝殿へと真っ直ぐに続く階段の下には コンクリート製の鳥居が建ち 扁額に「雷命神社」と掲げられています

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拝殿前には イチョウの大木が 階段の中程迄 その根元が覆っています 幹が途中から折れていますが 竜巻で折れたとの事です 

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拝殿の前には 陶器の狛犬が座しています 

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拝殿にすすみます 神紋は 橘です

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拝殿の中には 御日照り(オヒデリ)さま
「本山送り」神事の写真〈おそらく昭和期のもの〉が沢山置かれています その厳粛な様子が垣間見れます ゴロゴロした石の上に正座をしておられます

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扁額には「雷命神社」とあり
賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿は立派で 直ぐ右側には境内社「阿恵之若御子神社(アエノワカミコノジンジャ)」があり お参りをします

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参道を戻ります 竜巻で折れたイチョウの木の幹の太いこと どれ程の竜巻であったのでしょうか

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鳥居を抜けて 振り返り一礼をします 阿連川の水は 引き潮に合わせて 水位が低くかったですが 阿連の美しい入り江に注ぐ 水神の社と伝わることが良くわかります なんとも清らかでした

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)』養老4年(720)編纂 に記される伝承

神功皇后の条に中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました」とあり この中臣烏賊津使主が御祭神「雷大臣命(Ikazuchiohoomi no mikoto)」とされています

【意訳】

日本書紀 巻第9 
気長足姫尊オキナガタラシヒメノミコト) 神功皇后 の条

長足姫尊 稚日本根子彦大日々天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)〈第9代 開化天皇曾孫 氣長宿禰王(オキナガスクネノオオキミ)の娘です
母を葛城高顙媛(カツラキノタカヌカヒメ)といいます
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)〈第14代 仲哀天皇の即位2年のときに その皇后となられまし
幼時から聡明で、叡智であらせられました
容貌壮麗ですぐれて美しく父もいぶかしがられ畏怖する程でありました

9年春2 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)〈第14代 仲哀天皇 筑紫の橿日宮(カシヒノミヤ)香椎宮崩御されました

そのとき 皇后は 天皇が神のお告げに従わなかったことで 早く崩御されたことに心を痛めて思われ 祟られ神を知って 財宝の国〈三韓〉を求めようとされました
それで 群臣(マヘツノキミタチ)と百僚(モモノツカサ)〈官僚たち〉に命じて 罪を祓い 過ちを改めて さらに斎宮(イワイノミヤ)を小山田邑(オヤマダノムラ)に造らせらせました

31 皇后は 吉日(ヨキヒ)を選んで 斎宮(イワイノミヤ)に入り 自ら神主となられまし
武内宿禰(タケノウチノスクネ)に命じて琴を弾かせ
中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました

それで千繒高繒(チハタタクハタ)〈幣帛を数多く積琴頭尾(コトカミコトシリ)〈琴の頭部と尾部に置いて 神に請うて言われました
「先日 天皇に教えられたのはどこの神でしようか 願わくば その御名を知りたいのです」

七日七夜たって お答えがありました
神風(カムカゼ)伊勢の国の百伝う(モモヅタウ)何度も行き交う
度逢縣(ワタライアガタ)の拆鈴 五十鈴宮(サクスズイスズノミヤ)に居る神は 撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト)である」

またお尋ねしまし
「この神を除いて他に まだ神がお出でになりますか」
すると お答えがありました
「幡荻(ハタススキ)の穂(ホ)のように現れた『吾(ワレ)』は 尾田(オダ)の吾田節(アガタフシ)の淡郡(アワノコオリ)に居る神である

他にまだおられますか」と聞くとお答えがあり
天事代於虛事代玉籤入彦嚴之事代主神(アメニコトシロシラニコトシロタマクシイリビコノイツノコトシルノカミ)がいます

他にまだおられますか」尋ねると
「有るか無いか分らない」と答えがありました

それで 審神者(サニワ)〈中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)
今 答えられないで 後 言われることがあるかもしれません

それに答えがありました
日向国(ヒムカノクニ)の橘小門(タチバナノオド)の水底(ミナソコ)に居る水葉(ミナハ)のように稚(ワカヤカ)出る神 名は 表筒男(ウワツツノオ)・中筒男(ナカツツノオ)・底筒男神(ソコツツノオ)の神〈住吉三神〉の神がいます

他にまだおられますか」尋ねると
「有るか無いか分らない」と答えがありました

ついに まだ神があるとは言われなくなられました

その時 神の言葉を得て 教えに随ってりました
そして その後 吉備臣の祖である鴨別(カモノワケ)を遣わして 熊襲国(クマソノクニ)撃たせました
しばらくつと自然と服従してきまし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』815年(弘仁6年)に記される伝承

津島直(ツシマノアタヘ)は 御祭神 雷大臣命(イカツオミノミコト)の子孫としています

【意訳】

摂津国 未定雑姓 の条

津嶋直(ツシマノアタヘ)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 11世孫(ツギノヒコ)
雷大臣命(イカツオミノミコト)の(スエ)なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『新撰姓氏録』選者:万多親王/校訂者:橋本稲彦[書誌事項]刊本(後印) ,文化04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)完成 に記される伝承

【意訳】

承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条

對馬嶋の 无〈ム〉位 雷命神(イカヅチミコトノカミ)
豊後国の无位 建男霜凝并比咩神 無位 早吸
日向国の無位 高智保皇神 無位 都濃皇神

並びに 授くに 従5位下を奉る 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

式内社「雷命神社」として
雷神社(対馬 豆酘)を比定しています

雷命神社(対馬 阿連)は 雷命の住居の跡としています 

【意訳】

雷命(イカツチノミコトノ)神社

神位 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下

日本書記 神功皇后紀・・中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました

新撰姓氏録 津島直 天児屋根命14世孫 雷大臣の孫なり

續紀 36 伊賀都臣是中臣遠祖天御中主命二十世之孫、意美夜麻(オミサヤマ)之子也。伊賀都臣、神功皇后御世、使於百済、便娶彼土女生一男名日本大臣云々 今 豆酘郷に在す

〇当国 社家伝来の神名帳に伝わる
豆酘 雷大明神 今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする 佐岩氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り 卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は 雷神より伝れり
雷命は 卜部(ウラベ)の神にて 神功皇后に随して 三韓に渡り 当国に住み給う
阿連村は その住みし所なりと伝たり

阿連村に 雷神占卜 申すのも 今 阿連村より出すなり 阿連村は居所なる故に祭たるか

豆酘の社は その神ならん雷命は 今 按〈考えるに〉烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミノミコトなり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社「雷命神社」として
雷命神社(対馬 阿連)を比定しています

【意訳】

雷命神社

雷は 伊加豆知(イカツチ)と訓ずべし 和名鈔

〇祭神 烏賊津使主命 考証

〇豆酘郷 阿連村に在す 今 八龍殿と称す 玉勝間
〇日本紀 神功皇后

当国 社家伝来の神名帳に云う 考証より引用

豆酘 雷大明神 云々
今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする 佐岩氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り 卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は 雷神より伝れり
雷命は 卜部(ウラベ)の神にて 神功皇后に随して 三韓に渡り 当国に住み給う
阿連村は その住みし所なりと伝たり

阿連村に雷神あり 占卜 申すのも 今 阿連村より出すなり 阿連村は居所なる故に祭たるか

豆酘の社は その神ならん

神位 続日本後紀 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

 『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

式内社「雷命神社」として
雷命神社(対馬 阿連)を比定しています

【意訳】

雷命神社

祭神 雷大臣命

今 按〈今 考えるに〉
神名帳 考証に豆酘 雷大明神云々 今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする岩佐氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は雷命より伝れり 雷命は 卜庭神にて 神功皇后に随い 三韓に渡り 当国に住みたまう 
阿連村は その住み所なりと云い伝わり 阿連村に雷神あり 占甲も 今この村より出すなり
阿連村は居所なるが 故に祭りたるが 豆酘社は その神ならんと云る

ここに由縁あり

この伝説の如く 必ず 雷大臣命を祭れるものとみえたり
この神は 卑命分脉に天児屋根命10世の孫 臣狭山命の子 跨耳命とある
すなわち雷大臣命にて
その條下に足中彦天皇の朝 云々
續日本紀に天應元年 云々とあるにも符号えるを以て 社説に従えり

神位 仁明天皇 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下

祭日 6月8日
社格 村社
所在 阿連村 字 堂ノ平

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

雷命神社Raimei Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

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2

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3

対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

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