雷神社(対馬 豆酘)亀の甲羅を熱して占う 亀卜(キボク)の社

雷神社の御祭神は 対馬卜部(ウラベ)の祖 雷大臣命(イカツオオオミノミコト)で 亀の甲羅を熱して占う亀卜(キボク」を日本に伝えたとされす 旧歴 正月3日には 年を占う サンゾーロー祭りがあり 亀卜が 現代まで続く 唯一の神社です かつて 大和朝廷で 天下国家の吉凶を占った「亀卜」 対馬の卜部(ウラベ)を中心として 行われていたことが知られています 当時『養老令』で「卜部20人」と定員が規定されている中で 『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭 卜部 宮主の条」には その術者「卜部(ウラベ)」には 優秀な者を 伊豆5人 壱岐5人 対馬10人を採用すべし と記されています

目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

雷神社Ikazuchi Shrine)
(いかづちじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市厳原町豆酘2852

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》雷大臣命(Ikazuchi ohoomi no mikoto)

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

亀卜(きぼく)の伝承 イカツオミ

【日本神話】 神功皇后
 仲哀天皇の死に際し、神功皇后は自ら祭主となり、武内宿禰(たけのうちすくね)に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を、神意を解釈する審神者(さにわ)としました。(日本書紀

【対馬の伝承・異伝】
神功皇后の外征を支えたのは、個性的で有能な家臣たちでした。特にイカツオミ(雷大臣)は、皇后の凱旋後に対馬に留まり、古代の占いの技術である亀卜を伝えたとされます。
イカツオミは まず豆酘(つつ)に住み、次に阿連(あれ)に移り、加志(かし)で生涯を終え、加志の太祝詞神社(番号56)横に墳墓(中世の宝篋印塔)があります。
 豆酘には亀卜が残り、加志の太祝詞神社は名神大社であり、阿連は「対馬の神道」の著者・鈴木棠三から「対馬神道のエルサレム」と称されるなど、イカツオミの痕跡が色濃く残されています。名称に「雷(霹靂)」「能理刀(のりと)」がつく神社では亀卜が行われていたケースが多く、全島に分布しています。

コラム 占いの変遷
 古代において、作物の豊凶や天変地異、病気の蔓延等は、統治者の重要な関心事でした。場合によっては、統治者がその責任を負い、処刑されることもあったのです。
 日本では、古くから鹿の肩骨を焼いて占う太占(ふとまに)が行われていましたが、対馬には5世紀頃、亀の甲羅を用いる亀卜が大陸から伝来していたようです。
 律令時代(7世紀後半~)には、国家の吉凶を占う手法として亀卜が採用され、伊豆5人・壱岐5人・対馬10人の三国卜部(さんごくうらべ)が占いの職能集団として朝廷に仕え、重視されました。政祭一致の時代、対馬は占いのみならず、政治的な影響力も保持していたのです。
 平安時代になると安倍晴明などの陰陽師(おんみょうじ)が活躍するようになり、さらに鎌倉時代になると武士が台頭し、対馬の卜部は力を失いますが、亀卜は対馬藩の公式行事として幕末まで存続しました。
 ちなみに、亀卜に使うウミガメの甲羅は、阿連の大野崎沖で獲れるものが最上とされ、逆に佐護・木坂・豆酘沖のものは使わないなど、厳格なルールがあったようです。豆酘の亀卜は形を変えて現在も行われ、国の無形民俗文化財に指定されています。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋1〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒不知

亀の甲羅を熱して占う亀卜(キボク」が 対馬卜部(ウラベ)のサンゾーロー祭りとして 現代まで続く 唯一の神社

雷神社(いかづちじんじゃ) サンゾーロー祭り

 旧歴正月三日、雷神社の前で新年の祈祷と、年を占(うらな)う亀卜が行われた。この祭りを俗にサンゾーロ祭という。
それは祝詞のなかで問答形式で応答するくだりがあり、その時「サンゾーロー」と言う句が数回あったからで、その全文が中世風の語り文句であった。
 その祭りの後で亀卜が行われたが、これは新年の吉凶を占うもので、その作法は元禄九年(一三六九)藤斎延撰「対馬国亀卜次第」に詳しく、また伴信友の「正卜考」でよく知られている。

『対州神社誌』には{天道御祭以前有之候旧例之事}として、
 十月の末の卯(う)の日より、十一月初の酉(とり)の日の間に焼占(やきうら)つかまつる。其の焼占の当日より前三日、後三日、都合七日間は、府中より穀豆の間の往還はなく、内院より豆吸の間も前に同じ。(後略)とあり、

旧例では十月末から十一月初めに亀卜が行われたということ、卜事を行う前後七日間往来を止めて、厳粛な環境のなかで行われたことを語っている。それほど神聖な行事だったのである。

 この焼占というのは慶の肩骨甲や亀の腹甲に方形の町(まち)を彫り、これに火を指して、甲の亀裂によって吉凶を占うもので、その卜兆を読む術は秘伝であった。

 この卜術は古代中国の殷(いん)王朝からあるが、日本の朝廷にも、卜部(うらべ)があって、その卜部の主流が対馬から出たことはよく知られている。
この対馬卜部の一族が各地にいたが、近世まで亀卜を行ったのは、佐護の寺山氏と豆殷の岩佐氏だけで、それも明治四年の廃藩後は正式に行われることがなく、形だけの行事となって古い亀卜の次第は廃れ、今では祝詞も忘れられ、卜事も亀卜ではなく別のものに変っている。

 ちなみにサンゾーロー祭は 愛知県の津鳥神社にもあるが、行事の内容は違っている。

2006年2月3日 対馬新聞 亀卜(きぼく)神事 サンゾーロー祭り

 旧歴の1月3日にあたる1月31日午後2時、厳原町豆殿の雷( いかづち)神社で亀卜(きぼく)神事が厳粛に行われた。
 これは、同神社に古来より伝わるもので、亀の甲羅に火をあて、そのひび割れによって神の託宣を告げる神事。

 雷神社の祭神は雷大臣命(いかづちおおおみのみこと)で 由緒は神功鳥后に従って、新羅征伐に渡った雷大臣命が、帰途に対馬に留まって対馬県主となり、亀卜を伝えたという。

 大宝元年(701年)ころ、20人(伊豆5、壱岐5、対馬10)の卜部(うらべ)が奉職、天下国家の吉凶を占ったといわれ.藩政時代には対馬藩の占いをたてて報告していた。

 豆穀と阿連に雷神社があり、亀卜神事を伝えてきたが、現在は豆醗の卜部岩佐家に伝えられるのみで、日本はもとより中国にもないという。

 亀卜者は、旧対馬藩主・宗家のお抱え占い師で第69代目となる岩佐教治さん(54歳)。
 岩佐さんは雷神社に向かい、祝詞を奏上後、大鈴を東西南北にふりかざす。

 次に左手にした亀の甲羅に桜の木の炭火を押し当て、甲羅のひび割れ方向を確認すると、皇室関係を筆順に、世界の情勢(中国がキー、北朝鮮動乱)小泉内閣(分裂)、日本の社会情勢(悪女、良妻賢母無)同天変地異(大雪・雪崩・地震=東京・東北・阪南・九州)長崎県の社会情勢(幼児いじめ非行)同天変地異(春の嵐・突風)等約20点のお告げを次々に半紙の上に書き記した。

 今年の流行はイタリアンルック、「戌年をナンバーワンで飾りたい」という川柳も飛び出した。

境内案内書より

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【由  (History)】

由緒不知

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

いかづちじんじゃ
雷神社

周辺の雰囲気・環境など
 豆酘は亀卜や赤米神事など独自の伝承・習俗に彩られた集落です。南端の豆酘崎は東シナ海に突き出した岬で、遊歩道が整備され、対馬海峡の広大なパノラマが眼前に広がります。

神社のプロフィール
 亀の甲羅を用いる占いの起源は、約3000年前に滅亡した中国最古の王朝・殷(いん)とされ、現在でも旧暦の1月3日、雷神社で神事が行われています。神事の奏上の言葉から、俗にサンゾーローまつりとも呼ばれます。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋2〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉
https://www.tsushima-net.org/wp-content/uploads/2020/08/tsushima_shrine_guidebook.pdf

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)県郡 13座(大4座・小9座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 雷命神社
[ふ り が な ](いかつちのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ikatsuchi no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
対馬島県郡 雷命神社」の論社は2つ

・雷命神社(対馬 阿連)

・雷神社(対馬 豆酘)

豆酘に鎮座する 式内社

対馬島県郡 高御魂神社(名神大)」の論社

・高御魂神社(対馬 豆酘)

 対馬島県郡 多久頭神社」の論社

・多久頭魂神社(対馬 豆酘)

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

厳原フェリー港から県道192号・24号経由 約22km 車35分程度
豆酘の美女塚を過ぎて 更に1km程南下します

・美女塚(対馬 豆酘)語り継がれる美女物語「鶴王御前」

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T字の交差路があり 細い川の反対岸に鎮座していて 少しわかりにくいです
こちら側は 本殿の裏側になります

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良く見ると玉垣の向こうに 社が見えています
雷神社Ikazuchi Shrine)に参着

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小川に添って歩くと 境内の横から 社殿の様子がわかります

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小川がミゾギの役割をしているのでしょう 禊橋の様に「一枚石の橋」が架かっています これを見に来る人もいるようです 一礼をして渡ります

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石橋の上から境内を眺めると 小川のせせらぎには 飛び石のようなものもあり 境内へと上がる石段もあって かつては 川を歩いて渡ったのであろうと思います

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2m程の石橋を渡っただけですが 全くの別世界のような感じを受けます 山と小川の岸に細長い境内の入口には 丸太で出来た鳥居が建ち笹竹が立てられた跡があり その横には標識杭が打たれていて「雷神社 サンゾーロー祭 旧1月3日・古伝の亀卜が伝承されている」と記されています

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一礼をしてから 注連縄と紙垂の架かる鳥居をくぐります
太い樹木が 境内に覆いかぶさるように伸びていて 神域のたたずまいを見せています

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拝殿にすすみます 境内の中央部には 何かを焼いたような跡があり おそらく ここがサンゾーロー祭りでの 神火の場所なのでしょう
拝殿の前には 紙垂が木枝で地面に刺されています

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拝殿には鈴と鈴尾がありましたが 賽銭箱はありませんでしたので 鈴を鳴らし 奥の本殿に向かいます

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亀卜の説明に「亀の甲羅に火をつけた桜の枝をあてて甲羅に入ったひび割れの方向で吉凶を占う」とあったので 亀の甲羅のような石があって 偶然に木の枝が乗っていて 本物かとびっくりしました 

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元々は 社が無かったと云われていて 御神体は岩と伝わります
祠の下に 白い小石が沢山置かれているのは その為でしょうか

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内を戻ります 文化庁の案内板があり「日本遺産認定 国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~ 平成27年4月24日 文化庁 対馬の亀卜習俗」と記されていました

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)』養老4年(720)編纂 に記される伝承

神功皇后(ジングウコウゴウ)の条の冒頭です
中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました」とあり この中臣烏賊津使主が 御祭神「雷大臣命(Ikazuchiohoomi no mikoto)」とされています

【意訳】

日本書紀 巻第9 
気長足姫尊オキナガタラシヒメノミコト) 神功皇后(ジングウコウゴウ) の条

長足姫尊 稚日本根子彦大日々天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)〈第9代 開化天皇曾孫 氣長宿禰王(オキナガスクネノオオキミ)の娘です
母を葛城高顙媛(カツラキノタカヌカヒメ)といいます
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)〈第14代 仲哀天皇の即位2年のときに その皇后となられまし
幼時から聡明で、叡智であらせられました
容貌壮麗ですぐれて美しく父もいぶかしがられ畏怖する程でありました

9年春2 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)〈第14代 仲哀天皇 筑紫の橿日宮(カシヒノミヤ)香椎宮崩御されました

そのとき 皇后は 天皇が神のお告げに従わなかったことで 早く崩御されたことに心を痛めて思われ 祟られ神を知って 財宝の国〈三韓〉を求めようとされました
それで 群臣(マヘツノキミタチ)と百僚(モモノツカサ)〈官僚たち〉に命じて 罪を祓い 過ちを改めて さらに斎宮(イワイノミヤ)を小山田邑(オヤマダノムラ)に造らせらせました

31 皇后は 吉日(ヨキヒ)を選んで 斎宮(イワイノミヤ)に入り 自ら神主となられまし
武内宿禰(タケノウチノスクネ)に命じて琴を弾かせ
中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました

それで千繒高繒(チハタタクハタ)〈幣帛を数多く積琴頭尾(コトカミコトシリ)〈琴の頭部と尾部に置いて 神に請うて言われました
「先日 天皇に教えられたのはどこの神でしようか 願わくば その御名を知りたいのです」

七日七夜たって お答えがありました
神風(カムカゼ)伊勢の国の百伝う(モモヅタウ)何度も行き交う
度逢縣(ワタライアガタ)の拆鈴 五十鈴宮(サクスズイスズノミヤ)に居る神は 撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト)である」

またお尋ねしまし
「この神を除いて他に まだ神がお出でになりますか」
すると お答えがありました
「幡荻(ハタススキ)の穂(ホ)のように現れた『吾(ワレ)』は 尾田(オダ)の吾田節(アガタフシ)の淡郡(アワノコオリ)に居る神である

他にまだおられますか」と聞くとお答えがあり
天事代於虛事代玉籤入彦嚴之事代主神(アメニコトシロシラニコトシロタマクシイリビコノイツノコトシルノカミ)がいます

他にまだおられますか」尋ねると
「有るか無いか分らない」と答えがありました

それで 審神者(サニワ)〈中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)
今 答えられないで 後 言われることがあるかもしれません

それに答えがありました
日向国(ヒムカノクニ)の橘小門(タチバナノオド)の水底(ミナソコ)に居る水葉(ミナハ)のように稚(ワカヤカ)出る神 名は 表筒男(ウワツツノオ)・中筒男(ナカツツノオ)・底筒男神(ソコツツノオ)の神〈住吉三神〉の神がいます

他にまだおられますか」尋ねると
「有るか無いか分らない」と答えがありました

ついに まだ神があるとは言われなくなられました

その時 神の言葉を得て 教えに随ってりました
そして その後 吉備臣の祖である鴨別(カモノワケ)を遣わして 熊襲国(クマソノクニ)撃たせました
しばらくつと自然と服従してきまし

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』815年(弘仁6年)に記される伝承

津島直(ツシマノアタヘ)は 御祭神 雷大臣命(イカツオミノミコト)の子孫としています

【意訳】

摂津国 未定雑姓 の条

津嶋直(ツシマノアタヘ)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト) 11世孫(ツギノヒコ)
雷大臣命(イカツオミノミコト)の(スエ)なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『新撰姓氏録』選者:万多親王/校訂者:橋本稲彦[書誌事項]刊本(後印) ,文化04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)完成 に記される伝承

【意訳】

承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条

對馬嶋の 无〈ム〉位 雷命神(イカヅチミコトノカミ)
豊後国の无位 建男霜凝并比咩神 無位 早吸
日向国の無位 高智保皇神 無位 都濃皇神

並びに 授くに 従5位下を奉る 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」(927年12月編纂)中の宮主Miyashu」の

亀甲を用いた卜術の「亀卜(キボク)」について 当時『養老令』で「卜部20人」と定員が規定されている中で その術者「卜部(ウラベ)」には 優秀な者を 伊豆5人 壱岐5人 対馬10人を採用すべし としています 対馬が「亀卜(キボク)」の中心地であったことがわかります 

【意訳】

巻3 臨時祭 宮主卜部の条

凡そ 宮主(ミヤシュ)〈「職員令」に載らない「令外官」と言う官職 卜部(ウラベ)の事〈亀卜〉に堪える者を取り 任じること
その卜部(ウラベ) 三国(伊豆五人 壱岐五人 対馬十人)から 卜術優長者を採用すべし
もし 在都の人をとるときは 卜術の群に絶えたる(者)にあらざるよりは たやすくあてるを得ず卜術の群人が 途絶えた場合のみで 容易くは許可しない〉

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

式内社「雷命神社」として
雷神社(対馬 豆酘)を 比定しています
雷命神社(対馬 阿連)は 雷命の住居の跡としています 

【意訳】

雷命(イカツチノミコトノ)神社

神位 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下

日本書記 神功皇后紀・・中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を呼びよせ 審神者(サニワ)とし(神託を聞き その意味を伝える者)とされました

新撰姓氏録 津島直 天児屋根命14世孫 雷大臣の孫なり

續紀 36 伊賀都臣是中臣遠祖天御中主命二十世之孫、意美夜麻(オミサヤマ)之子也。伊賀都臣、神功皇后御世、使於百済、便娶彼土女生一男名日本大臣云々 今 豆酘郷に在す

〇当国 社家伝来の神名帳に伝わる
豆酘 雷大明神 今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする 佐岩氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り 卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は 雷神より伝れり
雷命は 卜部(ウラベ)の神にて 神功皇后に随して 三韓に渡り 当国に住み給う
阿連村は その住みし所なりと伝たり
阿連村に雷神占卜 申すのも 今 阿連村より出すなり 阿連村は居所なる故に祭たるか
豆酘の社は その神ならん雷命は 今 按〈考えるに〉烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミノミコトなり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社「雷命神社」として
雷命神社(対馬 阿連)を比定しています

【意訳】

雷命神社

雷は 伊加豆知(イカツチ)と訓ずべし 和名鈔

〇祭神 烏賊津使主 考証
〇豆酘郷 阿連村に在す 今 八龍殿と称す 玉勝間
〇日本紀 神功皇后

当国 社家伝来の神名帳に云う 考証より引用
豆酘 雷大明神 云々
今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする 佐岩氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り 卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は 雷神より伝れり
雷命は 卜部(ウラベ)の神にて 神功皇后に随して 三韓に渡り 当国に住み給う
阿連村は その住みし所なりと伝たり
阿連村に雷神あり 占卜 申すのも 今 阿連村より出すなり 阿連村は居所なる故に祭たるか
豆酘の社は その神ならん

神位 続日本後紀 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

式内社「雷命神社」として
雷命神社(対馬 阿連)を比定しています

【意訳】

雷命神社

祭神 雷大臣命

今 按〈今 考えるに〉
神名帳 考証に豆酘 雷大明神云々 今 豆酘村にて 亀卜(キボク)をする岩佐氏 正月に豆酘村の西なる社に詣で この神を祭り卜(ウラ)をするなり
亀卜(キボク)は雷命より伝れり 雷命は 卜庭神にて 神功皇后に随い 三韓に渡り 当国に住みたまう 
阿連村は その住み所なりと云い伝わり 阿連村に雷神あり 占甲も 今この村より出すなり
阿連村は居所なるが 故に祭りたるが 豆酘社は その神ならんと云る

ここに由縁あり
この伝説の如く 必ず 雷大臣命を祭れるものとみえたり
この神は 卑命分脉に天児屋根命10世の孫 臣狭山命の子 跨耳命とある
すなわち雷大臣命にて
その條下に足中彦天皇の朝 云々
續日本紀に天應元年 云々
とあるにも符号えるを以て 社説に従えり

神位 仁明天皇 承和十年(843年)9月 丙戌(19日)の条・・従5位下
祭日 6月8日
社格 村社
所在 阿連村 字 堂ノ平

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

サンゾーロー祭について

祭りイメージ映像として 対馬観光物産協会ブログをご紹介します

http://blog.tsushima-net.org/?eid=1051

雷神社Ikazuchi Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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