大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は 建許呂命(こたけころおのみこと)〈養老2年(718)石城国造に任命〉 の一族によって奉斎されたと云う 延曆年間(782~806)坂上田村磨の蝦夷征伐で 賊の平定にご神威があり 大社を築造して報賽したと伝わる 延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたまの かみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大國魂神社(Ohokunitama shrine)
【通称名(Common name)】
・菅波様(すぎなみさま)
・菅波の明神様(すぎなみのみょうじんさま)
・大黒様(だいこくさま)
【鎮座地 (Location) 】
〒970-0105 福島県いわき市平菅波宮前(たいら すぎなみ みやまえ)54
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)
《主》大己貴命(おおなむちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
須世理比売命(すせりひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内社 大国魂神社
御祭神
大国主神 事代主命、少彦名命、須世理比売命おおくにたまとはうるわしい国土に宿る霊力をいい、国土の安泰と繁栄を守る神として千数百年前より、くにぐにの要所良き所に奉祭されてきた。当神社もそのようにして祀られてきたのである。大国主神を主神として大族長たる石城国造によって創建された甲塚は 古伝によれば国造建許呂命を祀る墳丘である。
醍醐天皇の御代 官社に列し いわゆる延喜式内社として陸奥国岩城郡内七社の首座にあげられた。爾来代々の領主の篤い保護崇敬のもとに社殿の造営修復を重ねてきた。
江戸時代は平藩内藤安藤両藩主により寄進された。元治二年朝廷より正一位の宣下を受け、大正十二年には県社に列した。
氏子は菅波・山崎・荒田目の三大学区民であり県内外多数の崇敬者をあつめている。
昭和五十二年十一月吉日現地案内板より

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【由 緒 (History)】
由緒
当社は、いわき市平菅波に鎮座しており、大己貴命、事代主命、少彦名命をお祀りしている。
養老2(718)年、朝廷は石城国を置きました。現在の浜通り地方全体が一国となりました。石城国の中心地域は、いわき市の豊間、高久、夏井であったのです。この地域はそれ以前から文化が栄え、中田横穴、八幡横穴、天冠男子像埴輪、夏井廃寺塔跡、根岸遺跡、そして、当社飛地境内の甲塚古墳などが知られています。
古代の人々は、美わしい国土に宿る霊力を国魂神として讃え、お祭りしていました。石城国造 建許呂命(いわきのくにのみやつ こたけころおのみこと)の一族によって、奉斎されたのが大國魂神社であります。
甲塚はこの国造の墳丘であるといわれます。石城国はやがて陸奥国に編入され、この地域は岩城郡に属することになりました。
醍醐天皇の御代に撰修された延喜式神名帳には、岩城郡七座として、大國魂、二俣、温泉、佐麻久嶺、住吉、鹿嶋、子鍬倉の各神社名を記しております(927)。岩城郡の郡司が奉斎する神社として、大國魂神社は、崇敬されていたのです。
鎌倉時代になると、地頭岩城氏の一族国魂氏(国魂村地頭)が祭祀権を掌握し、さらに南北朝時代には、神主山名氏が、平窪、矢野目、国魂三村を領有し、「大國魂大明神 祭礼以下神役勤仕」したことがわかります。
室町時代には、領主岩城氏によって社殿の大造営が行われ、江戸時代には平藩主による修復が重ねられました。当時、神主、下社家、巫女あわせて二十数人が奉仕していたといわれます。
幕末の元治2(1865)年には朝廷より「勅宣正一位」の神階を授かりました。明治12(1879)年、郷社に加列し、大正12(1923)年に県社に加列されました。主な社宝として、次のものが伝えられております。
国魂文書一巻(県指定重要文化財)国魂石室記1軸 石室出土品鬼角、管玉 神輿2基(平藩主内藤家、安藤家寄進) 勅宣正一位大國魂大明神一幅、関係文書 内藤政栄公(俳号露沾)献詠和歌、俳諧 神社明細帳1冊(宝暦6) 豊間浜関係文書2通(天明5)棟札、木簡28枚※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・大國魂神社 本殿

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1.工事名称 いわき市指定有形文化財 大國魂神社本殿保存修理工事
一般事業名称「平成の大修理」事業
2 .概要
大國魂神社は福島県浜街道(浜通り)の総鎮守であり、国土平安・産業発展はもとより、縁結び•商売繁昌•厄除け•子授け•家内安全の御利益で県内外より多くの崇敬を受けている、当地方最古の神社であります。
今を遡ることおよそ1300年前〜養老年(718〜)石城國が建て置かれました。その時にはすでに「國霊ーくにたまー」をまつる当社は創建されていたと考えられます。爾来、浜街道(浜通り)第一の神社として尊崇をあつめ、代々の国守・領主・藩主によって造営をかさねてきました。
現在の本殿は、延宝7年(16 7 9)に平藩主 内藤公によって大規模に改修(「延宝の大修理」)され、現在「いわき市文化財」として多数の棟札とともに指定されております。
実に330年以上の風雨に耐えておりましたが(平成24年、333年を迎えました)、年を経るごとに加速度的に劣化が目立ちはじめておりました。くわえて、平成2 3年3月の「東日本大震災」及び4月の「大規模余震」によって大きく損傷を受けることとなりました。
此の度、指定文化財としていわき市よりの補助金を得て「本殿保存修理工事」が行われることとなり、併せて「幣殿」「拝殿」および境内環境整備のため『平成の大修理』の事業をおこすこととなりました。
・・・以下略・・・
現地案内板より

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・大國魂神社 拝殿

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・拝殿前の狛犬

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・〈本殿向かって右奥 境内社〉・別雷神社・伊勢両宮神社

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・〈社殿向かって右横 境内社〉境内社の基壇・待合所
工事中で境内社の基壇のみ 本来は・稲荷神社・牛頭天王社・摩利支天社・疱瘡神社が祀られています

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・寶物殿

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・神楽殿

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・参道石段

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・鳥居

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・手水舎

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・授与所

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・御神木 大杉

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「大杉被雷記」
拝啓 過般 當社境内の神木 目通廻り三丈の大杉に落雷火災を起し候際は早速御鄭重なる御見舞を辱うし御芳情難有謝上候 時を移さず村内消防夫 及 平町自動車唧筒の應援を求め徹宵消火に努め 其の勇敢なる青年は率先十数丈の頂上に攀ち登り水力を此處に導き火力漸く衰ふるを見るや 上下数個の洞穴に泥土を塗り固め以て通風を遮断し兹に大略鎮火せるものと認め居候處
更に昨廿九日午後に至り 又々再燃せるを氏子消防夫青年等の努力を以て茲に完全に消火致候 發火以來 實に七日間 千餘年の神木 各位の盡力に依り幸ひ蘇生すると得ば神慮を慰め奉るを得べくと氏子一同と悦び居る次第に候
右概況を記して謹しみて御禮申上候 敬具
昭和八年九月三十日
縣社大國魂神社社司 山名隆文
縣社大國魂神社社掌 山名隆貞現地立札より
・社号標゛延喜式内 縣社 大國魂神社゛

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・社頭・神橋

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・大鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・甲塚古墳
養老2(718)年 朝廷は石城国を置きました
石城国造 建許呂命(いわきのくにのみやつ こたけころおのみこと)の一族によって 奉斎されたのが大國魂神社です
甲塚は この石城国造の墳丘であると云われます
後に 石城国は陸奥国に編入されて この地域は岩城郡に属しました

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国指定史跡 甲塚
甲塚(かぶとづか)古墳は、夏井川河口に近い沖積地につくられた、墳丘直径37m •高さ8.2mの古墳です。
これまでのところ、本格的な調萱が行われていないため、古墳の形状や内部構造、築造された年代などは明らかになっていません。いわき市内の金冠塚古墳(錦町)、五理内古墳(平下荒川)は古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半ごろにつくられたものであるとされており、甲塚古墳も両古墳と同時期につくられたものと推定されています。
国道6号常磐バイパスの建設工事に伴う発掘調査によって、甲塚古墳の周辺の遺跡からは多くの古墳跡や建物跡などの遺構、土師器、円筒埴輪、木簡などの遺物が出土しています。また、甲塚古墳の西南の丘陸の上には、延喜式内社大國魂神社が鎮座していることなどから、この地は密度の濃い歴史的な環境が育まれていたものと考えられます。
指 定 大正12年3月7日
所在地 いわき市平荒田目字甲塚4・3
所有者 大國魂神社いわき市教育委員会
現地案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐城郡 7座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大國魂神社
[ふ り が な ](をほくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wohokunitama no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
゛國魂〈国玉〉神(くにたまのかみ)゛を祀ると想われる゛延喜式内社゛について
・國魂神・国靈神・国玉神とも書く
古代の日本人は 国土には それぞれ神威〈靈威〉が内在していて その神威〈靈威〉の盛衰が国の興亡をも左右する 國を治める神靈゛国魂(くにたま)゛であると考えており 国魂の霊威は 国土そのものの神霊を云う爲 国の支配権にも結び付いた信仰の形態となっていったと云う
延喜式内社 山城國 久世郡 水主神社十座(並 大 月次 新嘗・就中同 水主坐天照御魂神 水主坐山背大国魂命神 二座預相嘗祭)(みぬしの かみのやしろ)
・水主神社(城陽市水主宮馬場)
延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社 三座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほやまとにます おほくにたまの かみのやしろ みくら)
・大和神社(天理市新泉町)
延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・國玉神社(泉南郡岬町深日)
延喜式内社 攝津國 東生郡 難破坐生國咲國魂神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(なにはにいます いくくにさき くにたまの かみのやしろ ふたくら)
・生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)
延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくたまの かみのやしろ)
・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通)
・綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみかみの やしろ)
・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)
・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大国玉神社(松阪市六根町)
延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)
・国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町大字万場字郷中)
・津島神社(津島市神明)〈全国天王総本社〉
・居森社(津島市神明)
〈津島神社の境内 弥五郎殿の旧鎮座地〉
・彌五郎社(津島市神明)
〈津島神社の境内〉
延喜式内社 尾張國 中嶋郡 尾張大國霊神社(貞)(をはりおほくにたまの かみのやしろ)
・尾張大國霊神社(国府宮)
延喜式内社 遠江國 磐田郡 淡海国玉神社(あはうみの くにたまの かみのやしろ)
・淡海國玉神社(磐田市見付)〈遠江總社〉
延喜式内社 常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(桜川市大国玉)
延喜式内社 上野國 佐位郡 大國神社(おほくに かみのやしろ)
・大國神社(伊勢崎市境下渕名)
延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)
・大國魂神社(いわき市平菅波宮前)
延喜式内社 能登國 能登郡 能登生國玉比古神社(のといくくにたまひこの かみのやしろ)
・能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)
・能登生國玉比古神社(中能登町)
・能登部神社(中能登町)
延喜式内社 出雲國 出雲郡 杵築大社〈名神大〉(きつきの おおやしろ)
・出雲大社〈大国主神を祀る〉
延喜式内社 淡路国 三原郡 大和大國魂神社(貞・名神大)(やまとのおほくにたまの かみのやしろ)
・大和大國魂神社(南あわじ市榎列上幡多)
延喜式内社 阿波國 美馬郡 倭大國玉神 大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)
・医家神社(三好市池田町)
・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉
・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)
・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)
延喜式内社 壹岐嶋 石田郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)
・兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大國魂神社(しまおおくにたまの かみのやしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島大國魂神社(対馬 豊)
・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)
・島大國魂神社(対馬 御岳)
延喜式内社 對馬嶋 上縣郡 島大国魂神御子神社(貞)(しまおほくにたまのかみの みこの かみの やしろ)
・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
・島御子神社(対馬 曽)
・国本神社(対馬 瀬田)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR常磐線 いわき駅から東方向へ約5.8km 車で12分程度
大國魂神社の北 約500m程の所に 水守神社が鎮座します

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水守神社は 磐城平藩の命により愛谷江筋〈全長18kmの農業用水路〉を開拓した三森治右衛門を祀る神社で 神社創建は昭和26年

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そのまま 愛谷江筋に沿うように南下すると社頭があり 駐車場が完備されています
案内板があり 新しい大鳥居を通ってご参拝下さい と記されています

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東南方向に延びている参道には 木製の両部鳥居が建てられています
大國魂神社(いわき市平菅波宮前)に参着

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一礼をして 大鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます

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石畳の参道をすすむと 社頭に神橋が架かっています

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この神橋の下を流れているのが 水守神社の御祭神 三森治右衛門命が磐城平藩の命により開拓した 愛谷江筋〈全長18kmの農業用水路〉です
神橋のたもとには 御神木の大杉があります

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社頭には 社号標があり゛延喜式内 縣社 大國魂神社゛と刻字されています
参道は 丘へ上がる石段となります

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石段下には 鳥居が建ち 新しい狛犬が座しています

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一礼をして 鳥居をくぐり石段を上がります

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石段の上部まで来ると 拝殿の屋根が見えてきました

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石段上の狛犬は 東日本大震災で割れたのでしょうか?
コンクリートで修復されていますが なかなかに凛々しい狛犬です

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥に幣殿 本殿が続いています

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拝殿の脇には 宝物殿へ上がる石段があります

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拝殿の脇から境内を見ると神楽殿があります

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社殿に一礼をして 参道石段を下ります

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大鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大國魂神社について 所在は゛菅波村に在す、゛〈現 大國魂神社(いわき市平菅波宮前)〉と記しています
【抜粋意訳】
大國魂神社
大國魂は 於保久爾多麻と訓べし
〇祭神明らか也
〇菅波村に在す、此の地を今 岩前郡と稱す、〔磐城名勝略記、参拝録、〕
例祭 四月八日類社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社の條見合すべし
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大國魂神社について 所在は゛今 磐前郡 菅波村に在り、゛〈現 大國魂神社(いわき市平菅波宮前)〉と記しています
菅波村は 古くは國魂村と云っていたともあります
【抜粋意訳】
大國魂(オホクニタマノ)神社
今 磐前郡 菅波村に在り、〔磐城風土記、磐城志、巡拝舊祠記、〇按 菅波村、古 國魂村と云いしを、後 今名とせしなり、〕
大國玉神を祭る、〔延喜式〕
凡 毎年四月八日、六月十一日祭を行ふ、〔巡拝舊祠記〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大國魂神社について 所在は゛菅波村〔〇今属 磐城國磐前郡〕(石城郡夏井村大字菅波)゛〈現 大國魂神社(いわき市平菅波宮前)〉と記しています
【抜粋意訳】
大國魂神社
祭神
祭日 四月八日
社格 村社(明細帳に明治十二年十一月二十一日許可 郷社)所在 菅波村〔〇今属 磐城國磐前郡〕(石城郡夏井村大字菅波)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
大國魂神社(いわき市平菅波宮前)について 社傳によれば、桓武天皇 延曆年間 坂上田村磨の蝦夷征伐の時 賊の平定にご神威があり 大社を築造して報賽したとあり 延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたま かみのやしろ)であると記しています
【抜粋意訳】
○福島縣 磐城國 石城郡夏井村大字菅波(スゲナミ)
鄉社 大國魂(オホクニタマノ)神社
祭神
事代主(コトシロヌシノ)命
大己貴(オホナムチノ)命
少彦名(スクナヒコナノ)命當社は中世回緑の厄に罹りて 寶器及古文書等悉く、島有に帰せしかば、其草創の年代並に何人の勧請たるを詳にせず、
然れ共 神祇志料に「大國魂神社 今 磐前郡菅波村に在り〔按 菅波村、古 國魂村と云いしを、後 今名とせしなり、〕大國主神を祭る、凡毎年四月八日、六月十一日祭を行ふ」と見え、磐城郡七座の一たり、面して神社覈録、神名帳考証等記する所略同じ、社傳によれば、桓武天皇 延曆年間 坂上田村磨勅を奉じて東夷を征する時 此を過ぎり、一古祠の荒蕪せるを見て、之を土人に間ひ、始めて大國魂神社なるを知り、大に喜びて、戦勝を祈り、幾もなく賊平ぎしを以て 大社を築造して報賽す、其後代々の領主崇敬厚し、其一班を暴れば、
「岩城郡 平窪 矢野目 両村 並 國魂村(國魂は菅波の舊名)内 神主知行分、國衛正税以下年貢事、彼所々者、御祈所 大國魂大明神 祭禮以下神役勤仕之間、諸御公事不致ニ、其沙汰云々、然者且任ニ先例、且為ニ天下御祈禱所、被ニ免許也、殊全祭禮等、彌可被抽ニ精誠之狀、如件
康安元年十二月十五日
兵都太輔(判吉良治家)大國魂神主山名下野守殿
とあるを見て知るべし、
降って 大永二年二月九日 前岩城郡牧民都大補平由隆 再興遷座す、延資七年多城主 伊藤義泰 社殿の傾敗を惻みて新築す、慶長五年十一月更に修補を加ふ、其後凡そ八十年を経て、元禄元年領主 義孝大に改築する所あり、越えて同十四年春 修整を施す、斯くの如く代々領主の尊信厚きを以て社等数多ありしこと想察すべく、今は古記の微すべきなしと雖も、必ずしも明治五年に上地せられし田畑八反六畝廿三歩の少額にあらざるべし、明治九年十一月村社に列し、同十二年十一月郷社に列せらる。
社殿は神殿、幣殿、拝殿、樂殿、玉垣、鳥居、石水盥等を具備し、境内坪數千九十四坪(官有地第一桶)あり、樹木繁茂し風致に富めり、物は古文書一軸、鬼角二神體石一、矢根二木、神劔一口等とす、又 往昔 將軍 田村麻呂 妖魔を退治し、息骸を社側に埋めしに依り、毎夜六月十一日小麥粽二箇を供して之を祭るを例とせりと云ふ。
境内神社 両皇大神宮 御前社(ミマエシャ)
例祭日 四月八日
會計法適用
指定年月日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
大國魂神社(いわき市平菅波宮前)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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