物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
物部神社(Mononobe Shrine)
(もののべじんじゃ)
[通称名(Common name)]
一宮さん(いっくうさん)
【鎮座地 (Location) 】
島根県大田市川合町川合1545
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇摩志麻遅命(Umashimaji no mikoto)
右座 饒速日命(Nigihayahi no mikoto)〈 物部氏祖神〉
韴霊神(Futsunomitama no kami)〈布都霊神〉
左座 天御中主大神(Amenominakanushi no okami)
客座 五神〈詳細は不詳 別天神か〉
鎮魂八柱神(Tamashizumeyahashira no kami)
(高皇産霊神・神皇産霊神・魂留産霊神・生産霊神・足産霊神・大宮売神・事代主神・御食津神)
《合》天照大御神(Amaterasu omikami)
〈明治5年摂社に奉斎され その後本社〈左座〉へ合祀〉
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・文武両道の神
・鎮魂の神
・勝運の神
・等 etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
・ 石見国一之宮(Iwami no kuni ichinomiya)
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
物部神社 もののべじんじゃ
石見国一の宮である物部神社の御祭神は宇麻志摩遅命様で、古代豪族 物部氏の御祖神様である。
初代天皇 神武天皇様の時代にご活躍になり、その後各地の兇賊を平定されて、最後に神社近くの鶴府山に鶴に乗って降臨された。国見をされた時に神社の裏山「八百山」が天香具山に似ていることから、宮居を築き鎮座された。
時が過ぎ、継体天皇8年(513)天皇の勅命により社殿を創建、修理を経て安政3年(1856)に宝暦時の規模で改修されている。
(県内では出雲大社に次ぐ大きさ。春日造では全国一の規模)平成25年には社殿創建より1500年となる。
古くより朝野の信仰は厚く、戦国時代武将 大内義隆 寄進「太刀銘了戒」(重要文化財)等、多数の社宝を蔵している。境内案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られていおります。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯(いかるがみね)に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くしたので天皇より神剣フツノミタマノ剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、フツノミタマノ剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫(つるぶ)・忍原(おしはら)・於爾(おに)・曽保里(そほり)の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山(つるぶさん)に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社 (Other deities within the precincts)】
境内摂社
・後(ウシロ)神社 《主》師長比売命(シナガヒメノミコト)〈主祭神 宇摩志麻遅命の妃神〉
境内末社
・神代七代社(カミヨナナヨノヤシロ)
《主》国常立尊(クニノトコタチノミコト)
国狭槌尊(クニサヅチノミコト)
豊斟渟尊(トヨクンヌノミコト)
泥土煮尊(ウイジニノミコト)沙土煮尊(スイジニノミコト)
角杙尊(ツノグイノミコト)活杙尊(イクグイノミコト)
大戸道尊(オオトジノミコト)大戸辺尊(オオトノベノミコト)
面足尊(オモダルノミコト)惶根尊(カシコネノミコト)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冉尊(イザナミノミコト)
・荒経霊社(アラフツミタマシャ)《主》須佐之男尊(スサノヲノミコト)
・皇祖四代社(コウソヨンダイシャ)
《主》天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
・須賀見(スガミ)神社《主》六見宿禰命(ムツミノスクネノミコト)
・乙見(オトミ)神社 《主》三見宿禰命(ミツミノスクネノミコト)
・一瓶社(イッペイシャ) 《主》佐比売山三瓶大明神(サヒメヤマサンベイダイミョウジン)
・稲荷(イナリ)神社
《主》稲倉魂命(ウカノミタマノミコト)
《合》大穴牟遅命(オオナムチノミコト)大年神(オオトシノカミ)大地主神(オオトコヌシノカミ)
・粟島(アワシマ)神社《主》少彦名命(スクナヒコナノミコト)
・柿本(カキノモト)神社《主》柿本人麿臣(カキノモトヒトマロアソン)
・菅原(スガワラ)神社《主》菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)
・八重山(ヤエヤマ)神社
《主》伊邪那美命(イザナミノミコト)大山祇神(オオヤマヅミノカミ)若布都主神(ワカフツヌシノカミ)
・恵比須(エビス)神社
《主》事代主命(コトシロヌシノミコト)大国主命(オオクニヌシノミコト)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
境外摂取
・漢女(カラメ)神社《主》栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)市杵島姫命(イチキシマノヒメノミコト)抓津姫命(ツマヅヒメノミコト)
・伊夜彦(イヤヒコ)神社《主》天香具山命(アメノカグヤマノミコト)
〈昭和45年 村社 伊夜彦神社を物部神社 摂社に併合〉
境外末社
・郷原若宮(ゴウバラワカミヤ)神社
《主》味饒田命(ウマシニギタノミコト)〈主祭神 宇摩志麻遅命の長子〉
・中原若宮(ナカハラワカミヤ)神社
《主》彦湯支命(ヒコユキノミコト)〈主祭神 宇摩志麻遅命の次子〉
〈元 摂社〉
・新屋若宮(ニイヤワカミヤ)神社《主》武諸隅命(タケモロズミノミコト)
・川合(カワイ)神社《主》竹子命(タケコノミコト)
〈第12代 景行天皇の御代 物部竹子連が石見国造に任ぜられる〉
・熊野(クマノ)神社《主》高倉下命(タカクラジノミコト)少彦名命(スクナヒコナノミコト)
・石見一宮祖霊社(イワミイックウソレイシャ)
《主》幽冥主宰大神(カクリヨシラスオオカミ)社家の祖霊 護国の英霊 氏子の祖霊
《配》国学四柱神
・石上布留(イソノカミフル)神社《主》十種神寳(トクサノカンダカラ)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』の巻2「四時祭下」にある宮廷祭事「鎮魂祭(オホムタマフリノマツリ)」とあります
物部神社では 毎年11月下旬に特殊神事 鎮魂祭(みたましずめのまつり)があります
鎮魂祭(オホムタマフリノマツリ)
中官准 此但更 不給 衣服
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)石見国 34座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安濃郡 10座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mononohe no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
「尾張國 春日部郡 物部神社」
・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉
・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・物部神社(笛吹市石和町)
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・大石神社(山梨市西)
・大石神社(甲州市塩山赤尾)
・白山建岡神社(山梨市上栗原)
「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
山陰道
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
・惣社(神戸市西区伊川谷町)
西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
大田市駅から R375号を南下 約6km 車11分程度
社頭は 駐車場になっていて 社号標には「石見一宮 物部神社」と刻まれています
物部神社(Mononobe Shrine)に参着
八百山の御神墓 本殿 幣殿拝殿 から参道 鳥居は南西に向いています
社頭の入口階段は真北へ上がるようになっていて 階段を上ると右に折れながら鳥居をくぐる様になります
一礼をして 鳥居をくぐります 真っ直ぐの参道の先には 社殿が建ち その後方には八百山の杜があります
参道を進むと 右手には「富金石(ふきんせき)」の手水石が置かれている手水舎があります
富金石(ふきんせき)
この手水石は俗に含金石(ふくきんせき)と呼ばれる砂金を含んだ大変珍しい石です。
手水石に彫られた四つの曲玉にふれて勝運や財運をお祈り下さい。
石の持つ特殊な霊気により貴方の内なる運気が呼び覚まされるでしょう。
また手水に流れる水は御神井より湧き出る御神水です。その昔「石見国安濃郡川合郷に甘露(かんろ)降る」と古文書に書かれ、時の国司が朝廷に献上したところ、天皇は吉兆だと善ばれ、元号を仁寿と改められました。
(851~854)御神井に湧き出る御神水はこの流れといわれ、枯れることなく現在に至つております。
手水石の曲玉(まがたま)
一、浄(じょう)の曲玉
二、勝(しょう)の曲玉
三、財(ざい)の曲玉
四、健(けん)の曲玉
五、徳(とく)の曲玉案内板より
左手には有名な競馬馬シンボリルドルフの父馬 パーソロン号が神馬の銅像として奉納されています
その理由は シンボリ牧場の創設者であった和田孝一郎氏が大田市川合町の出身であり 和田家が物部神社の氏子であったとのこと
神馬 奉納の由来
和田家 第九代 孫二郎(明治44年没す)の遺志により、第十代 孝一郎(昭和51年没す)は、25年後の大正9年2月に、等身大の馬の銅像を東京都の伊藤国男先生に依頼作製、奉納し、その遺志を果たしました。
そして、約25年の間、当社の境内に鎮座し、風雪にも負けず、雄姿は本殿を迎ぎ、国の平和を願ってまいりましたが、不幸にも第二次世界大戦により国力の一助として銅像の供出の止むなきに至り、昭和18年に解体されました。時代の過ぎ去るのは早いもので、既に45年が経過致しました。日夜その再建を願って居りましたが、福岡県の彫塑家堤磐夫先生の製作による銅像が、3年余りの歳月を経て完成致しました。
本日、午年の節分の佳き日に、皆様方の御協力により再建することが出来ましたことを本懐に想い喜びにたえません。平成2年2月3日
氏子 和田家 第11代 和田共弘
名馬 パーソロン号
父 マイリージャン
母 パレオⅡ(その父 ファリス)1960年(昭和35年)アイルランド産牡馬、鹿毛
1963年(昭和38年)シンボリ牧場 和田共弘輸入
1985年(昭和60年)北海道シンボリ牧場にて没すパーソロン号は、日本に於いて、種牡馬として供用(昭和38年より昭和60年迄)、その間、常に好状態を維持し、産駒を順調に育成されました。産駒の日本中央競馬に於ける成績はチャンピオンリーディングサイアー(年間の種牡馬産駒の成績日本第1位)になること6回(3才も含む)チャンピオンブルードメアーサイアー(産駒の母の父)には平成元年迄連続3年日本第1位の成績を収め、又、昭和59年、60年にはシンボリルドルフ号により三冠(皐月賞、ダービー、菊花賞)を制し、ジャパンカップ(世界の名馬参加)、天皇賞、有馬記念(日本第1位を決定する競争)に2連覇、七冠達成の日本競馬史上空前の名馬に君臨致しました。
パーソロン号は数多くのクラシック馬を生産すると共に、シンボリ牧場の繁栄の基礎を築きました。
産駒の総収得賞金は、136億円(現在)に達しています。
我国の馬産改良に、不滅の功績をあげることが出来ます事は、之も偏に神より授ったものと感謝しています。案内銘板より
拝殿にすすみます 「日負鶴(ひおいづる)」の御神紋と扁額には「物部神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿について
県指定有形文化財 物部(もののべ)神社本殿 (大田市川合町)
本殿は社伝によれば天文19年(1591)吉川元春(よしかわもとはる)により再建されたと伝えられる。享保3年(1718)に一度焼失し、宝暦3年(1753)に再建されている。現在の本殿はこの宝暦(ほうれき)にたてられた社殿の様式をひきついでおり、県内では出雲大社につぐ大規模な本殿であり多くの人々に親しまれている。なお、祭神は物部氏の祖神 宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で、石見国の一宮(いちのみや)として崇敬されている。
本殿の建物は高さ16.3mある、正面3間、背面2間、側面2間の身舎(もや)の前面に正面3間、側面1間の前室(向拝(こうはい)の間)をつけている。屋根は身舎が切妻造(きりづまつく)り・妻入(つまい)りの形式で、これに庇(かばね)屋根をつける春日(かすが)造りの系統であるが、深い庇を支えるための隅木(すみ)を人れる手法を取りいれている。
春日造りの建築でありながら、高床・千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)・大棟など出雲地域の神社建築の影響が随所にみられる点が特徴である。
昭和45年(1970)10月27日指定
平成12年(2000)3月 島根県教育委員会 大田市教育委員会現地案内板より
境内社にお詣りをして 本殿に一礼をしてから 参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承
石見国5ヶ郡の中 神は惣15社 始めて官社に預かったと記しています
【意訳】
承和4年(837)1月辛卯の条
在 石見国5ヶ郡の中 神は惣15社 始めて官社を預かり以って 應吏民之祷久救旱疫之災也 その神名は 具(そなわる)に神祇官帳に在り
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承
神階の奉授が記されています
【意訳】
貞観11年(869)3月22日(庚辰)の条
進(ススム)に
筑後国 正二位 高良玉垂命 神階加従一位授(サズク)に
従4位上 豊比咩神 正4位下但馬国(タジマノクニ) 従5位上 養父神
石見国(イワミノクニ) 従5位上 物部神(モノノベノカミ)
並(ナラビ)に 正5位下豊後国(ブンゴノクニ) 無位 西寒多神 従5位下
令に
下総国 検非遣使 帯剣把笏
【意訳】
貞観17年(875)10月10日(己未)の条
授(サズク)に
石見国(イワミノクニ)正5位下 物部神(モノノベノカミ)に 正5位上
従5位上 勲7等 伊甘神 正5位下
従5位下 府中神 従5位上紀伊国 正6位上 三前神 従5位下
【意訳】
元慶3年(879)9月4日(辛卯)の条
授(サズク)に
石見国(イワミノクニ)
正5位上 物部神(モノノベノカミ)に 従4位下
正5位下 勲7等 伊甘神 正5位上
従5位上 府中神 国分寺霹靂神 並正5位下
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『諸国一宮巡詣記抜粋(Shokoku Ichinomiya Jumpaikibassui)』著 橘三喜〈1675~1697年〉に記される伝承
【意訳】
石見国 一宮 物部神社
祭神 宇摩志間知命(ウマシマチノミコト)
扁額 正一位 物部大明神
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』(1675年~1697年)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039344&ID=M2014090119552785625&TYPE=&NO=画像利用
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
社家は 金原と書くが 金子(カネコ)と読む と記しています
【意訳】
物部(モノヘノ)神社
三代実録
貞観11年(869)3月22日(庚辰)の条・・正5位下
貞観17年(875)10月10日(己未)の条・正5位上
元慶3年(879)9月4日(辛卯)の条・・従4位下日本紀略
元慶4年11月19日の条・・従4位上続日本後紀
承和4年(837)1月辛卯の条・・石見国5ヶ郡の中 神は惣15社 始めて官社を預かり一宮記 宇摩志間知命(ウマシマチノミコト)
〇在は 川合郷
〇精古按和論語 第一巻に云う 石見国 大明神 御詠歌 モロ人の心キヨクハ吾モ亦カゲケウツシテ常ニアタラム
〇信友 云う 一宮の河合村にあり 御朱印3百石余り 神主は河合国造と云う この社は銀山領内に河合国造姓は 物部にて金原氏の石見国造と云う 当国にて物部神社を一之宮と云うも 多鳩神社を二之宮と云う 濱田の辺りに 三之宮と云う社ありとぞ
〇篤胤(あつたね)云う 金原とはいわず 金子と云うとぞ
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在について 川合村 類社として 伊勢国の物部神社を記しています
【意訳】
物部神社
物部は 茂乃々倍と訓ずべし
〇祭神 宇麻志麻治命 一宮記 頭注
〇川合郷川合村に在す 式社考
〇当国一之宮なり 一宮記類社
伊勢国 飯高郡 物部神社神位
三代実録
貞観11年(869)3月22日(庚辰)の条・・正5位下
貞観17年(875)10月10日(己未)の条・正5位上
元慶3年(879)9月4日(辛卯)の条・・従4位下日本紀略
元慶4年11月19日の条・・従4位上社領 当代 御朱印高 300石
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在について 河合村と記しています
【意訳】
物部神社 称 一宮
祭神 宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)
神位
清和天皇 貞観11年(869)3月22日(庚辰)の条・・正5位下
清和天皇 貞観17年(875)10月10日(己未)の条・正5位上
陽成天皇 元慶3年(879)9月4日(辛卯)の条・・従4位下
朱雀天皇 元慶4年11月19日の条・・従4位上祭日 10月9日
社格 國幣小社
所在 河合村 八百山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155
『神国島根(Shinkoku Shimane)』〈昭和16年(1941)〉に記される伝承
【意訳】
第六章 物部神社
※長文につき PDF参照
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『神国島根』昭和16年(1941)朝山晧 著 出版 島根県教育会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1035314映像利用『神国島根』1 『神国島根』2 『神国島根』3 『神国島根』4 『神国島根』5 『神国島根』6
「折居田のお腰掛岩」の伝説について
道路拡張工事に伴って 境内に移設された「腰掛岩」の由来が記されています
折居田(おりいでん)のお腰掛岩(こしかけいわ)
むかし 物部神社(もののべじんじゃ)の御祭神(ごさいじん)宇麻志摩遅命(うましまじのみこと)が白い鶴(しろいつる)に乗ってこの川合(かわい)に天降(あまくだ)られました。そのところを鶴降山(つるぶやま)といいます。
鶴降山(つるぶやま)から国見(くにみ)をなされたところ、八百山(やおやま)(神杜の後山)が大和国(やまともくに)の天の香具山(あまのかぐやま)によく似(に)ているので、八百山(やおやま)の麓(ふもと)にお住(す)いなさることになりました。 このとき鶴降山(つるぶやま)から白い鶴(しろいつる)に乗って降(お)りられたところを折居田(おりいでん)といいます。
折居田(おりいでん)には御祭神(ごさいじん)が腰(こし)を掛(か)けられたという大きな岩(いわ)があり、また むかしから大(おお)きくもならず枯(か)れもしないといい伝(つた)えのある一本(いっぽん)の桜(さくら)の樹(き)がありました。
ここから東(ひがし)へ600mくらいのところにあって、石碑(せきひ)が建(た)ててあります。
近(ちか)くには清(きよ)らかな泉(いずみ)もあり、十種神宝(とくさのかんだから)を祀(まつ)る石上布瑠神社(いそのかみふるじんじゃ)もあります。
昭和56年の秋、道路の拡張工事(かくちょうこうじ)のためお腰掛岩(こしかけいわ)と桜(さくら)の樹(き)を境内(けいだい)に移(うつ)して伝説(でんせつ)とともに永久(えいきゅう)に保存(ほぞん)することになりました。
御祭神(ごさいじん)が白い鶴(しろいつる)に乗(の)って天降(あまくだ)りなされたという伝説(でんせつ)によって、物部神社(もののべじんじゃ)の御神紋(ごしんもん)は「日負鶴(ひおいづる)」となっています。境内案内板より
物部神社(Mononobe Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)