薦神社(こもじんじゃ)は 日向・大隅の隼人が 養老4年(720)三度目の反乱を起こした 対し中央政府の征討軍は 豊前軍と共に 本殿の背後にある三角池に自生している真薦(まこも)で造った枕状の八幡神の御験「薦枕(こもまくら)」を神輿に乗せて奉じ鎮圧に向かい 日向まで行幸し 乱を鎮めたと伝わります このため神社のご神体を「三角池」として 内宮と呼びます 神社別称を大貞八幡とも云い 全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の祖宮ともされます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
薦神社(komo shrine)
(こもじんじゃ)
[通称名(Common name)]
大貞八幡(osada hachiman)
【鎮座地 (location) 】
大分県中津市大字大貞209
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》応神天皇(ojin tenno)
《主》比売大神(hime okami)[田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命(3女神)]
《主》息長帯比売命(okinaga tarashihime no mikoto)(神功皇后)
【御神格 (God's great power)】
・初宮詣 Baby prays at shrine for the first time
・七五三 7 year old 5 year old 3 year old celebration
・厄除け Prayer at an age considered a milestone in life
・等 etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇佐神宮の祖宮
・宇佐神宮行幸会
【創 建 (Beginning of history)】
承和年間(834~848)の草創と伝わり、三角池を御神体とし、池を内宮、社殿を外宮と称しています。宇佐神宮との関係が深く、宇佐行幸会の際に神輿に納める霊代の枕は三角池の真薦で作るのが習わしでした。社殿は、三角池の東に位置し、本殿、申殿、拝殿を南北に並べ、周囲を築地塀で囲み、東側に神門が開いています。周囲は鬱蒼とした社叢に囲まれ、朱塗りの社殿とともに優雅なたたずまいとなっています。
中津市役所公式HP観光推進課より
【由 緒 (history)】
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば
養老4年(720)三度目の反乱を起こした日向・大隅の隼人に対し
中央政府の征討軍は 豊前軍と共に三角池に自生している真薦で造った枕状の八幡神の御験を乗せた神輿を奉じて鎮圧に向かったとされます。薦神社の内宮である三角池には「豊前の国下毛郡 野仲の勝境の林間の宝池は 八幡大菩薩修行の際 湧き出でし水なり」という伝承があります。
宇佐宮の祢宜 大神諸男は 三角池の前にて祈願をした処、
池一面に波が湧きかえり雲の中から「我、昔(三角池に自生している)この薦を枕とし 百王守護の誓を起こしき。百王守護とは凶賊を降伏すべきなり」とご宣託を頂きます。
そして この真薦こそ 神の依り代にふさわしいと持ち帰り体を清め自ら御験の制作にあたりました。公式HPより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・若宮社《主》大鷦鷯命
《配》大葉枝皇子・小葉枝皇子・雌鳥皇女・菟道若郎子命
・八坂社《主》素盞嗚尊
・伊勢宮《主》天照大神
・黒人社《主》武内宿禰
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります
7月初旬 初午の日に 薦神社(komo shrine)の内宮とされている「三角池(misumi ike)」から始まります
ここで刈られた真薦(makomo)で造られた「薦枕(komo makura)」を 新たな八幡神の御神体「御璽(mi shirushi)」として神輿(mikoshi)にのせて行幸(gyoko)となります
宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡
かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました
詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
東中津駅から 県道532号経由 約3.4km 車8分程度
薦神社(komo shrine)に到着
社頭の社号標には「縣社 薦神社」とあります
一礼して鳥居をくぐり抜けます
参道の右手から 参道(流鏑馬道のように真っ直ぐ)があり 狛犬が座して その先に 右手に境内社・黒人社《主》武内宿禰が鎮座 お詣りします
ちょうど 右横からの参道の中央には「呉橋」が掛かるというか 置かれているような雰囲気ですが 小川にはコンクリートの小橋が掛かり「呉橋」は立入禁止となっています
宇佐神宮の西参道にも同様の朱色の呉橋があります 朝廷よりの勅使を迎える時に利用していた橋といわれていて「薦神社」にも古くは勅使が訪れたとのことです
曲線美の優雅な橋です
玉垣が廻された境内の入り口には 御神木の横に大きな石灯篭が2基建ち 参道を照らします
その石畳みの参道の正面には 朱色の「神門」が建ちます
参道の途中右手には 境内社・伊勢宮《主》天照大神が鎮座 お詣りです
朱色の神門は 「呉橋」を渡った勅使を本殿域へと迎え入れる「神門」とされる荘厳な門構えです 国指定重要文化財となっていている立派な建物です
この神門の向きは「宇佐神宮」を向いているとの事です
右手には 本殿が見えています
神門前を左に向かうと 拝殿へと進めます
拝殿にすすみます 拝所は3箇所です
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御神紋は「一つ巴」巴紋は水に由来します 勾玉・魂にも関連すると伝わり 正しく「三角池」をご神体とする当社に相応しいのでしょう
再び神門の前を通り 本殿の背後にある「三角池」に向かいます
途中 本殿を右側から仰ぎます
一度 境内から外へと出るようで 神橋と神門があり くぐり抜けます
すると 内宮とされている三角池の岸辺に出ます 本殿を真後ろから池越しに仰ぐ感じです
確かに 神秘的な池です
「三角池」の手前には鳥居があり扁額には「薦社内宮」とあります 「三角池」を霊池として 内宮として祀られていることがよくわかります
一礼して鳥居をくくり抜けると 三角池の水面に朱色の鳥居が建っています
三角池に建つ 朱色の鳥居の先には 湖面が広がり さらにその先には八面山(薦神社の神体山)が くっきりと浮かび上がっています
湖岸には 古木も多く 歴史を感じます
内宮「三角池」に建つ 鳥居に一礼します
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
三角池(みすみいけ)は何故 三角と書くのか
薦神社では 本殿背後の三角池を内宮として神社のご神体としています
「薦社絵縁起」に池の形は鹿の角に似ていると云われています。
三つの沢(角)は三つの鹿の角の形をあらわすとともに、宇佐宮の三神の御験となる真贋をそれぞれの沢(角)がはぐくんだのでしょう絵縁起を見てみましょう。
三つの沢(角)にはそれぞれ三つの島があり、
一の島(鏡島)は 宇佐宮一之御殿(八幡大神)
二の島(鉾島)は 二之御殿(比咩大神)
三の島(玉島)は 三之御殿(神功皇后)と、それぞれ決められた島の真贋が刈られ御験(みしるし)とされていたのです。
つまり、三つの沢(角)はそれぞれの神様の霊地であることをあらわしているものでした。『大貞八幡宮 薦神社 内宮は三角池(御澄池)である』薦文化研究所 発行より
本殿背後の三角池を内宮として神社のご神体としています
薦神社(komo shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
宇佐神宮の記事もご覧ください
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