金崎神社(皆野町)

金崎神社(かなさきじんじゃ)は 第10崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命を賜り 初代国造として知知夫国に降ったとされる・知知夫彦命(ちちぶひこのみこと知知夫姫命(ちぢひめのみこと祀ります 以前の鎮座地は 国神方面一望する社中山(シュチュウヤマ)でしたが 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したため これを奥社として 昭和53年(1978)八坂神社跡地〈現在地〉に新社殿を造営して 今に至ります

目次

奥宮 〈社中山(シャチュウヤマ)に鎮座〉

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

金崎神社Kanasaki Shrine)
(かなさきじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

埼玉県皆野町金崎1377

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》知知夫彦命Chichibuhiko no mikoto)
   知知夫姫命Chichibuhime no mikoto)


配祀
野槌神野栗社
・高龗貴船社

《合
・応神天皇字馬場の八幡社
素戔嗚尊字岩下の八坂社
菅原道真天満天神社
・句句迺馳命・軻遇突智命・埴山姫命・金山彦命・罔象女神磐裂神経津主神根裂神己貴命少彦名神・神直日神字瀬戸山の十二社大神社
倉稲魂命字瀬戸山の稲荷社
大山祇神字腰の大山祇社
建御名方神諏訪社
事代主命・別雷神・火産霊

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

初代 知知夫国の国造(クニノミヤツコ)祀る神社

【創  (Beginning of history)】

金崎神社(かなさきじんじゃ) 御由緒

皆野町金崎109

国造(くにのみやつこ) 
知知夫彦命ちちぶひこのみこと)・知知夫姫命(ちちぶひめのみこと)
を祀る神社

当社は、現在十二天山の南東、字岩下の旧 八坂社 境内地に鎮座しているが、以前は ここからやや西に寄った社中山(しゃちゅうやま)の中腹に鎮座していた。社中山は 宝登山の裏手に当たり、そこからは国神方面が一望できる。

 社記によれば、当社は 本郡の旧跡である国造知知夫彦命・知知夫姫命の古塚近くの山にあり、古墳の祭神二柱を祀っているところからこの塚とは縁があるという。
また「新編武蔵風土記稿」には、「野栗社 諏訪社 貴船社 以上三社合殿、村の中程、村の総鎮守、無年貢地、例祭727日、神主宮前主計」とあり、当社は初め、野栗三社権現と称し、三社合殿で祀られていたが、大正期には 既に氏子の間では、野栗社と貴船社の事は忘れられ「お諏訪様」とのみ呼ばれていた。

 明治40年(1907)に 字馬場の八幡社、字岩下の八坂社・天満天神社、字瀬戸山の十二社大神社・稲荷社、字腰の大山祇社を合祀し、同43年(1910)に村社となった。

 社名はこ時、村名をとって金崎神社とした。更に昭和53年(1978)には現社地に遷座して、今日に至っている

◇御祭神
知知夫彦命
・知知夫姫命

◇御祭日
元旦祭(1月1日)・節分祭(2月上旬)・春祭り(4月中旬)・夏祭り(7月中旬)・秋祭り(10月上旬)

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【由  (History)】

金崎神社 遷宮記念碑

知知夫彦命が 詔を畏み 国造として秩父に降ったのは10崇神天皇御代されている
清き荒川豊かな台地自然美に恵まれた秩父が ここに拓かれ 産業文化の創造が始められた 秩父の基を礎かれた命の偉業は真に大である

盆地の東端眺望の地 字 国神に 本郡 著名の旧跡 国神塚があり 知知夫彦命 知知夫墳墓伝えられ 近くに古き大銀杏天高く聳え立っている

ここより東方 社中山には 古来 野栗三権現在った明治維新の祭 村名社号とした金崎神社改称し 知知夫彦命19柱を祭神境内神社7社を祀った

神社所蔵の 鏡に安元2年 由工門とあり 刀には野栗三社 宝前 元久2年乙丑9月納主新右エ門の銘があることから 野栗三社は800年以上の古社であった事が解る

社中山が 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したので 之を奥社とし

八坂神社跡地に新社殿を造営し 新しく知知夫彦命23柱を奉斎する
神神は・知知夫彦命知知夫野槌神・高龗・応神天皇・素戔嗚尊菅原道真・句句迺馳命・軻遇突智命・埴山姫命・金山彦命・罔象女神磐裂神経津主神根裂神己貴命少彦名神・神直日神・倉稲魂命大山祇神建御名方神事代主命・別雷神・火産霊神・其の御神徳は広大であり

祭礼に奉納する獅子舞も由緒あるものである

昭和53年4月14日 遷宮祭を記念し 本事業奉賛者名を左に記し 感謝の意を表するものである

昭和5310吉日

金崎神社 社殿 建設委員長 荒井巻治
金崎神社 代表役員 宮司  田島平八郎
・・・・
・・・・

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿向かって横の 小さな石祠豊受大神・猿田彦命

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

旧 鎮座地の奥宮(元は野栗三権現について

金崎神社 遷宮記念碑によれば
「神社所蔵の 鏡に安元2年(1176) 由工門とあり 刀には野栗三社 宝前 元久2年(1205)乙丑9月納主新右エ門の銘があることから 野栗三社は800年以上の古社であった事が解る」としています

旧鎮座地は 当初 現在地より西へ1km程の社中山(シャチュウヤマ)
野栗社 諏訪社 貴船社」の3社合殿〈野栗三社権現〉として鎮座していた 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したので これを奥社として 現在地〈八坂神社跡地〉に昭和53年(1978)に新社殿を造営して遷座とあります

奥社への参道の階段は 地滑り地帯という事もあり かなり傷んでいます
注意して上ることをおすすめします
社号標が建ち 「村社」は埋められていますが「金崎神社」とあります

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現在の鎮座地は 古墳群の中にあります

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当社 金崎神社(皆野町)から上長瀞駅までの間には「金崎古墳群」があり
境内のすぐ脇には「天神塚古墳」があります

遷宮記念碑の後ろ こんもりとしているところが「天神塚古墳」です

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名 称:天神塚古墳(てんじんづかこふん)
別 名:大堺4号墳・氷雨塚
墳 形:円墳
規 模:直径:13m、 高さ:2m 横穴式石室:全長:7.6m
築 造:6世紀中葉(古墳時代後期)
指 定:県指定史跡(名称:金崎古墳群 昭和51年(1976)3月30日指定)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

初代 知知夫(チチブ)国造(クニノミヤツコ)
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)が祖神(オヤガミ)を祀った 秩父神社(知知夫国新一之宮)

一緒に読む
〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)

秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 第10代 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)に任命された 八意思兼命の十世の子孫「知知夫彦(チチブヒコ)命」が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています

続きを見る

初代 知知夫(チチブ)国造(クニノミヤツコ)
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命(Chichibuhimeno mikoto)」の居住した地域と伝わる 金崎神社(皆野町)〈当神社〉

 

初代 国造(クニノミヤツコ)の夫婦神
「知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命(Chichibuhimeno mikoto)」の墳墓と伝わる
「国神塚古墳」「国神の大イチョウ(知知夫彦命
(Chichibuhiko no mikoto)」

「国神(知知父姫命(Chichibuhimeno mikoto)のイチョウ」

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知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)にまつわる その他の神社

三峯神社 境内 秩父神社 埼玉県秩父市三峰

椋神社 境内 秩父彦之大神 埼玉県秩父郡皆野町皆野

楡山神社境内 知々夫神社 埼玉県深谷市原郷

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

秩父鉄道「上長瀞駅」から南西に約700m 徒歩10分程度
R140号金崎信号西進むと右側〈山側〉に鎮座

金崎神社Kanasaki Shrine)に参着

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注連縄のかかる白い鳥居が建ち 一礼をしてくぐります

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境内の左手は金崎公会堂 境内右手は簡易な児童公園で 村民の憩いの場となっているようです

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鳥居をくぐると すぐに手水舎があります

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拝殿にすすみます 扁額には「金崎神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿右側には子どもの遊具があり後ろの山は 木々が色づいて 夕日に映えています 社殿の左側が「天神塚古墳」です

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

秩父郡の巻7 金崎村の条に
野栗社 諏訪社 貴船社」の3社合殿〈野栗三社権現〉として また現在 合祀されている神社〈十二所神社など〉とともに記されています

意訳

金崎村

金崎村は 郡の東寄りあり・・・・・
国神・・・・・

十二所社 村の東に在り・・・
稲荷
愛宕社

〇野栗社
〇諏訪社
〇貴船社
以上3社合殿 村の中程 村の総鎮守 無年貢地 例祭727 神主宮前主計

八幡社 稲荷社合祀 村民持ち 同じ
稲荷社
諏訪社
金比羅
・・・・・・・・
・・・・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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金崎神社Kanasaki Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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