鴨下神社(かもしもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の末社として『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社です 中世に廃絶していましたが 明治7年(1874)に再興されて現在に至ります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鴨下神社(Kamoshimo shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡玉城町勝田字上ノ山3642
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)
鴨比古命(かもひこのみこと)
鴨比賣命(かもひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈皇大神宮(内宮)末社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『大神宮叢書』前篇〈昭和7-9年〉に記される内容
【抜粋意訳】
神宮典略二 内宮宮社 田社 鴨下神社
鴨とは地名なり。上〔鴨社〕にいへり。下とは其地鴨神社よりひくければ鴨神社にわけていふなるべし。〔或説に鴨神社の前社といふは違へり。〕
かくいふ例は神名式に ,大和國葛上郡高鴨阿治須岐詫彦根命神社あり。此社地は高き處なる故に、鴨事代主神社と分む爲に高鴨といふにひとしかるべし。〔今も同郡佐美庄に高鴨山あり。〕
また同式に、某上社とも、某下社ともいへる例多かり。此鴨社は上にいへる如く山神村の山の上加萬我谷にあるを、當神社は城田郷狩田村に在て平場なるによりて、鴨神社に分む爲に鴨下神社といふなるべし。稱に大水上兒石己呂和居 此神は上〔鴨神社〕に石己呂和居命とあるを此文に命字なきは脱せしなり。
鴨比古鴨比女命、形無 鴨は地名なれば此狩田村まで古へは鴨の地なるべし。鴨比古とある下に命字脱せしならん。比女神のみ命字在べきよしなし。此神のます故に鴨下神社といふなるべし。されば此地は神名をもて名に負しともいふべけれど、上の鴨神社には此神まさざればしかにはあらじ。此神形無といふは三柱神を兼ていふか。鴨比古の上に又字脱して二柱をいふか。石己呂和居は上〔鴨神社〕に形石坐よし見えたり。
さて帳に、右神社太神宮造奉使造奉而祝、形無、と十五字見えたり。諸本を考ふるに、一本に大神宮造奉而祝 ,とありて、使造奉の三字なし。一本には形無の二字なし。是によりて考ふるに、一本使造奉の三字は脱せしにて在かた勝れり。形無の二字は轉写の誤なるべし。上に形無とありて下にもあるは重複なり。解に、祝形無は析字なるべし。或説に形は部字を誤れるかといふは、祝部無といふ意にいへるなれど、此社のみ祝なき例見えざれば此説もうけがたし。右神社大神宮造奉使造奉而祝、は田社の中にも此社のみ造宮使の造奉りて祝祭よしを理はれるなるべし。共よしは上〔攝社條〕に、已上六箇處社、造神宮使造作奉也、とある如く、此社は鴨社造替の時に一同に造り奉りて、祝は造奉らざれど、田社の中に入れる社どもなるを云か。是も鴨神社の事を後人の此處に誤り記せし口文に入つるにや。かゝる事これかれ例あれば泥むべきにはあらざるか。されど六所神社は重く、此社は田社にて卑しけれど、造宮使の奉レ造よしを思ふに、上に鴨神社正殿二區、とある一區は此下社にて、〔〇以下原本空白〕
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年〉に記される内容
【抜粋意訳】
鴨下神社(かもしもじんじゃ)
田宮寺からその東隣りの大字勝田(かつた)に入ると、その南端れの丘陵の上に、皇大神宮の末社鴨下(かもしも)神社が祭られてゐる。大字山神の鴨神社から見ると、その山の裾の方であるため、鴨下神社と稱されてゐる。
倭姫命の御時の鎭祭と傅ふれば、こゝも古代からの産土神であったことが分る。 末社ではあるが造宮使造替六社の一つに数へられてゐる。
御祭神は儀式帳に大水上神(おほみなかみのかみ)の兒である石己呂和居命(いしころわけのみこと)、鴨比古命(かもひこのみこと)鴨比賣命(かもひめのみこと)の三柱の神となってゐる。勝田の田野の水利灌漑を司どり給ふ守護の神である。
尚ほ、この勝田といふ所は、昔、伊勢三座(いせさんざ)といふ猿樂能(さるがくのう)の中、猿樂師勝田氏の居つた所である。北畠氏の臣であったが、北畠氏没落の後は、濱郷村の方へ居を移した。室町、江戸時代から每年九月の神嘗祭に、両宮の神域近くの所で、猿樂能を奉納したもので、今でも毎年の神嘗祭に、外宮前で挙行する能樂は、この名残を傳へたものである。
勝田で攝末社巡拜の最後のコースを終へ、省線田丸駅へ出で、こゝから山田へ歸る。秋、今日此の頃は紅葉狩りの風情はなくても、松茸狩りの籠をふくらませて歸る人が多い。秋の氣配を充分に味はふことが出來る。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
鴨下神社は 皇大神宮(内宮)に16社ある末社の第1位です
・皇大神宮(内宮)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉は 『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に所載される古社
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉と鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉について
社名の「鴨」は 鴨氏との関連が指摘され ゛鴨神社゛が山の中腹にあり ゛鴨下神社゛は山麓の里にあり 社名に「下」を附した里宮 祭神も同神との説があります
・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)・御前神(みまえのかみ)
・鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)鴨比古命(かもひこのみこと)鴨比賣命(かもひめのみこと)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 田丸駅から南西に約2.1km車7分程度
境内の西側に墓地の駐車場があり車は止めるスペースはあります
ここに至る接道は 鴨下神社の南側と西側を通っています
西側の道から入ってしまいました
鴨下神社〈皇大神宮(内宮)末社〉に参着
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式外社 鴨下神社について 式内社の鴨神社の前社との説も記しています
【抜粋意訳】
鴨下神社
祭神 石己呂和居、鴨比古、鴨比賣命
〇城田郷狩田村に在す、神名略記、
〇儀式帳云、大水上兒、石己呂和居、鴨比古、鴨比賣命、形無、」
神名秘書云、鴨社在に城田郷山上村、前社在に同所狩田村、
神名略記云、所謂 前社疑此社乎、
【原文参照】