四至神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉&九丈殿・五丈殿(外宮境内)

四至神(みやのめぐりのかみ)は 元々は 豊受大神宮(外宮)神域各所〈二百除前〉に祭祀されていた四至(神域の四方の境界)を守る所管社です 中世に廃絶 近世に一所〈九丈殿南側 石畳に榊(さかき)が立つ所〉に再興されています その奥には・九丈殿(くぢょうでん)・五丈殿(ごぢょうでん)・玉串行事所〈石を敷きつめた広い石原〉があります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

四至神(Miya no meguri no kami

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市豊川町279(外宮境内)

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》四至神(みやのめぐりのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

〈豊受大神宮(外宮)所管社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』昭和3年〉に記される内容

【抜粋意訳】

豊受大神宮 殿舎

五丈殿 切妻造、板葺・・・壹宇
九丈殿 切妻造、板葺・・・壹宇

右神宮司廰造替

五丈殿は遷宮に開する諸祭典の饗膳竝に年中恆例の雨儀の諸式、皇族の別宮遙拜に用ゐられ、九丈殿は攝社以下遙祀の祭典を行はるる殿舎なり。儀式帳によれば「直會所一院、五丈殿二間〔一長四丈、廣一丈六尺・高一丈・一長六丈・廣二丈・高一丈〕九丈殿一間〔長九丈、廣二丈・高一丈〕直會御門〔長一丈二尺、廣一丈・高一丈〕と見え・五丈殿はもと二宇あり、ーをー殿又は解齋殿とも云ひ、勅使以下の直會用ゐられ、九丈殿は勅使の從者の直會饗膳に用ゐられたり。而るに中世五丈殿廃絶して、その行事は九丈殿にて行ふことゝなれり。從って九丈殿をー殿と假稱したるこどもありき。寬文六年に五丈殿再興を出願し、元祿四年に至り漸く徳川氏によりて其の一宇、所謂ー殿のみ再興せられたり。九丈殿は丈尺は減じたれど ,中絶することなくして今日に及べり。

攝社末社所管社 豊受大神宮所管社 四至神

鎭座地 豊受大神宮神域内

四至神(ミヤノメグリノカミ)は 大宮の廻に坐して、其の境界を守り給ふ神等にして、九丈殿の南方に石畳を構へ、石神を安置して祭祀せり。每年二月及び九月中に吉日を撰びて、宮廻神(ミヤノメグリノカミ)二百除前を祭ることは、早く延曆の儀式帳に見えたり。後には此等の神々を四十四所に合祭せる趣、大治御形記・倭姫命世記・御鎭座傳記・神名祕書等の記載によりて知らる。近世此の祭場を、上代に於ける末社の遺址なりと説くものあり。漸次廃亡して、維新前には僅かに外院に十六所を存するのみとなれり。明治四年神宮御改正後は九丈殿にて合祭せしが、現今は十六所のーなる廻神の石畳にて祭祀せり。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

『神宮綜覧』1915年〉に記される内容

【抜粋意訳】

豊受大神宮宮域案内

十二、四至神(ミヤノメグリノカミ)

神樂殿の次、参道の右側に鎭座す。石疊南面、社殿なし。其由緖内宮四至神に同じ。

十三 九丈殿
十四 五丈殿

神樂殿の西方参道に近きを九丈殿、次を五丈殿とす。両殿共に、雨儀祭典の修祓をなし、又遷宮に関する諸祭典の饗膳を行ふ殿舎とす。

古は直會院(ナホライドコロ)と総称して、五丈殿貮宇と九丈殿壹宇とありしが、中世五丈殿は壹宇となり、それも假殿に過ぎざりしを、元祿四年に再興せられ、以て今日に及べり。

【原文参照】

神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

 四至神は 豊受大神宮(外宮)所管社です

・豊受神宮(外宮)

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)について

延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです

両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました

『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)延暦23年(804)〉に載る古社です

九丈殿(くぢょうでん)五丈殿(ごぢょうでん)について

由氣太神宮院事に直會所として記されています

直會所壹院

五丈殿貮間〔一長四丈、廣一丈六尺・高一丈・一長六丈・廣二丈・高一丈〕
九丈殿壹間〔長九丈、廣二丈・高一丈
直會御門〔長一丈二尺、廣一丈・高一丈〕゛

宮廻神(ミヤノメグリノカミ)について

每年二月及び九月中に吉日を撰び 宮廻神(ミヤノメグリノカミ)二百除前を祭ることが記されています

゛二月例

・・・・・
月内取吉日 所管諸社十六處 并 宮廻神(ミヤノメグリノカミ)二百除前 御井二所神 御田神所々 小社九所神乎 春歳祈祭供奉至于二月上旬祢宜内人等勘校供供奉用物四種〔絹五丈一尺 木綿四斤 麻十斤 鐵一延〕

゛九月例

・・・・・
月内取吉日 所管諸社 及 宮廻神(ミヤノメグリノカミ) 御田神処々枝神祭仕奉祢宜内人等 巡勘共供奉〔但諸社祝告刀申 宮廻神 御田神処々枝神 御巫内人用告刀申〕用物三種〔絹五丈一尺 木綿四斤 麻十斤〕

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

外宮に参詣

・豊受神宮(外宮)

参道の第二鳥居を少し過ぎた場所 神楽殿の先
九丈殿(くぢょうでん)・五丈殿(ごぢょうでん)・玉串行事所〈石を敷きつめた広い石原〉の九丈殿の南側 石畳に榊(さかき)が立つ所です

四至神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内)に参着

お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

当日は雨の中 初穂引きに参加いたしましたので
奥の五丈殿(ごぢょうでん)に奉納した初穂が奉られました

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伊勢神宮と神社』大正8年〉に記される伝承

【抜粋意訳】

神宮御宮域 豊受大神宮 四至神(みやのめぐりのかみ)九丈殿(くぢょうでん)五丈殿(ごぢょうでん)玉串行事所(たまぐしぎょうじしょ)

神樂殿(かぐらでん)の前を少しく進むと、道の右側に少さな石畳(いしたたみ)のあるのに心付(こころづ)くであらう。これは四至神(みやのめぐりのかみ)と申(まを)して、大宮(おほみや)の四囲を守護し給ふ神で、其の数は四十四座。社殿を設けず、ただ南を正面とするだけの古朴なるものである。

 四至神(みやのめぐりのかみ)の後方に二つの大きな建物がある。四至神(みやのめぐりのかみ)の直ぐ後につづいた建物は九丈殿(くぢょうでん)と云ひ、攝末社などの遙拜祭祀(ようはいさいし)は此處(ここ)で営(いとな)まるるところである。其の先の長い建物は五丈殿(ごぢょうでん)と云って雨天(うてん)の節の祓(はらひ)の式や、遷宮(せんぐう)の際の祭典(さいてん)の饗膳(ごちそう)などを行ふ所になって居(を)る。昔は直會院(なほらひどころ)と稱して五丈殿(ごぢょうでん)二つと九丈殿(くぢょうでん)一つとあったものであるが、中頃(なかごろ)に五丈殿(ごぢょうでん)は一つ、然(しか)も假殿(かりどの)に過ぎなかつたのを   近代(きんだい)に復興(ふくこう)せられたものであると云ふことである。

 五丈殿(ごぢょうでん)の前に玉石を敷きつめた廣い石原がある。玉串行事所(たまぐしぎょうじしょ)と云って、玉串行事及び奉幣(ほうへい)の時に、官幣(くわんぺい)を檢(てんけん)する場所になって居(を)る。先年假殿遷宮(かりどのせんぐう)を行(おこな)はれた時にも此の行事があった。俗に大庭と呼んで居る。

【原文参照】

鈴木暢幸 編『伊勢神宮と神社』,大正書院,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/943715

四至神〈豊受大神宮(外宮)所管社〉(外宮境内) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

お伊勢さん125社について

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-伊勢神宮
-,

error: Content is protected !!

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.