土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛なり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しまし ご祭神は大土乃御祖神(おつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮と異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿向き鎮座ます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

土宮(Tsuchi no miya

通称名(Common name)

土御祖神社(つちのみおやのかみのやしろ)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市豊川町〈豊受大神宮の境内〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大土乃御祖神(おつちのみおやのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

〈豊受神宮(外宮)別宮〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮綜覧』

宮(ツチノミヤ

 豊受大神宮宮域内に坐す。當宮は、大土乃御祖神(オホツチノミオヤノカミ)と奉齋す。故に土御祖神社とも稱す。

 豊受大神宮御鎭坐地の地主の神に坐す。蓋しと山田原の鎭守神にて坐しを、外宮御鎭坐以來專ら本宮にせられて、大宮の地主神となり給へるなるべしと云ふ。
 既に延曆の頃よ月次、神嘗の祭には、多賀宮と同日に祭義を行はれ、古來別宮に亞ぎて崇敬を受けられしが、崇徳天皇の大治三年 紀元一千七百八十八年 

度會河 宮川 の堤防守護の神助を仰ぐ為に、宮宣下あて、別宮に列せられた

 明治四十二年度の御遷宮に際し、從來の御敷地狹隘なる以て、更に南方に新地を開、南北並列の御敷地を設けらる。現今神殿の造立地卽ち是な

〔殿
正殿 神明造、萱葺、鐵金物打立、御階付、東面、
瑞垣御門壹間 猿頭門、扉付、

瑞垣壹重 袖繰板打
鳥居壹基 神明造
幄舎壹宇 切妻板

【原文参照】

神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594 (参照 2024-01-12)

【由  (History)】

土宮の由緒と沿革

土宮は、古来外宮ご鎮座の山田原の守護神として崇敬されてきました。延暦23年(804)の『止由気宮儀式帳』には「大宮地神」と記され、長徳3年(997)の『長徳検録』には外宮所管の田社32前の1座として「土御祖神社」の名を見ることができます。 しかし、田社とは今でいう末社にあたり、古代においては別宮ではありませんでした。

大治3年(1128)に宮川堤防の守護神として別宮に昇格しましたが、田社から別宮の地位に昇格したのは特別な理由があったものと推察されます。

現在、市街地の西を流れる宮川は、かつて幾筋かに分岐し、今の市街地も流域にあたりました。当時は治水技術も発達しておらず、氾濫による被害が相次ぎ、地域住民にとって宮川治水の感心は高く、土地の守護を司る大土乃御祖神に対する祈りは切なるものがあったことでしょう。また、外宮の祭祀を行う上でも洪水は支障をきたしたと考えられます。そのような状況の下で宮川堤防の守護神ということに重きが置かれ、大治3年に宮号宣下され、別宮に昇格したのです。

さて、他の別宮が全て南面するのに対して土宮だけが東面しています。保延元年(1135)のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討されましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。これについては南面に建てれば正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由に拠るとか、古来種々論じられてきましたが、詳らかにしません。但し、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前にさかのぼり、古くからの姿を残したものといえます。

神宮司庁HPよりhttps://www.isejingu.or.jp/about/geku/betsugu.html

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

土宮は 豊受大神宮の境内に鎮座します

・豊受神宮(外宮)

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

・お伊勢さん125社について

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外宮 別宮(べつぐう)4宮

別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味

神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます

多賀宮 (たかのみや)外宮の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)

・多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

土宮 (つちのみや)外宮の別宮〉

土宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)

月夜見宮 (つきよみのみや)伊勢市宮後

延喜式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》月夜見尊(つきよみのみこと)月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

風宮 (かぜのみや)外宮の別宮〉

風宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神 大土乃御祖神(おつちのみおやのかみ)について

『古事記』によると 大土神(おほつちのかみ)と云う

大年神の系譜中に見える
大年神が 天知迦流美豆比売を娶って生んだ神々(奥津日子神・奥津比売命・大山咋神・庭津日神・阿須波神・波比岐神・香山戸臣神・羽山戸神・庭高津日神・大土神)の内の一神 またの名を土之御祖神という

『先代旧事本紀』第4巻「地祇本紀(一云、地神本紀)」によると 土之御祖神(つちのみおやのかみ)

『古語拾遺』に登場する゛「大地主神」と同神か゛とする説もあるが 定かではない

内宮の摂社 大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)について

皇大神宮(内宮域外の摂社に 大土御祖神社があり 
『延喜式神名帳』伊勢国 度会郡 大土御祖神社(おつちのみおやのかみのやしろの論社となっています

豊受大神宮(外宮)別宮 土宮(つちのみや)の御祭神 大土乃御祖神(おつちのみおやのかみ)関連付ける説もあります
また 内宮摂社 大土御祖神社の御祭神は 『皇大神宮儀式帳〈平安時代初期成立〉』の「大土神社」の記載によれば・大国玉命・水佐々良比古命・佐々良比売命の三柱であり 大土神や土之御祖神との共通性は見出しがたい とする説もあります

大土御祖神社 (おおつちみおやじんじゃ)〈皇大神宮(内宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちの みおやの かみのやしろ)

・大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大国玉命(おおくにたまのみこと)水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊勢市駅から 外宮の社頭まで 約450m 徒歩8分程度

豊受神宮(外宮)

神明造の白木鳥居に一礼をして

外宮参道を進みます

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正殿でお参りをして 南へ折れて 別宮へと進みます

途中 亀石を渡ります

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別宮への参道に入ると 向かって左手に゛風宮゛ 向かって右手に゛土宮゛
正面の石段(檜尾山(ひのきおやま)を上がると゛多賀宮゛となっています

参拝の順序は・多賀宮・風宮・土宮と云われています

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右手にある 土宮にすすみます

土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉に参着

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お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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土宮は 他の宮と異なり 社殿向きます
そのため 白と黒の玉石が整然と敷き詰められた 東向きの御敷地は南北に隣接して 社殿の隣に 古殿地(こでんち)があります
古殿地とは〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所が 次の式年遷宮を待ちます〉

古殿地奥には 心御柱(しんのみはしら)が立つ処に 覆屋の小さな社が一つ建てられています

現在は 南側〈向かって左〉が古殿地 北側〈向かって右〉が御敷地となっています

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以前のお参りの時は 敷地は今とは南北が入れ替わっています

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『大神宮叢書〈昭和7-9年(1932~1935)〉』に記される内容

この宮は 「大神宮式の所攝の神社條にも記されず」とあり「されば宮地を守り給ふ御霊の神に坐なるべし」とあり さらに「内宮の興玉の神と同じほどの神ときこゆ」ともある
内宮所攝の中、大土御祖神社と同神」とあり 後に堤防の守り神とされて別宮と号した旨が 当時の記録と共に詳細に記されています

【抜粋意訳】

 

此宮は、帳また大神宮式の所攝の神社條にも記されず。ただ六月例に、十七日卽更宮地神爾神酒ー缶供奉、とある此神ならんか。九月例にも同じさまに見ゆ。
されば宮地を守り給ふ御霊の神に坐なるべし。(内宮の興玉の神と同じほどの神ときこゆ。)卽ち内宮所攝の中、大土御祖神社と同神にませば、後に土宮の宣旨有しなり。

倭姫世記に、土神祖神二座、宇迦之御魂神 ,土乃御祖神の二座といへり。(神名秘書にも同じさまに見え、大田命傳記には同じさまながら土乃御祖神一座、亦 祈神大田命といへり。)
これも古傳なるべけれど、(外宮私説に偽説あるは、ただ内宮の上にたたむとての巧なれども、外宮の神名には又 古の傳も残るべきなり。

今按ふに、度會大國魂神土御祖神、大年神の御末にますよし古事記に見ゆ。二座にもあらんか。其よしは神名祕書に宮川堤守護の神と云、
鎭座傳記に、山田 原地主
 大土御祖神とあり。(山田原地主とは、大國玉神と宮地の霊と二神に云如くおぼゆ。垂仁紀に倭大國魂神治ニ大地官、また古語拾遺に、大地主神と云もませり。古事記には、大國魂命と土御祖神と別に記せるなどを思ふべし。しかるに平田篤胤の古史徵に土御祖神に大字な冠らせ、此神は度會之地主神也と云文を世記傳記によりて加へたリ。此人の學は信がたし。)此二座ならんも知がたし。(宇迦乃御玉の神はよしなし。内宮大土神社に土地神三柱を祭れば、此宮も同じかるべし。)

長秋記、(源師時卿の日記なり)長承三年に土宮云々、准ニ七所別宮可レ預ニ官幣云々。(七別宮とは、荒祭・月讀•伊邪那岐•瀧原・竝宮・伊雜宮の六所に、高宮をそへて七所と云なり。長承は崇德院の御代の年號なり。)

同三年六月廿ー日己亥、〇中略 按察使談云、明日可レ有ニ仗議事、朝家大事、必可レ参、豊受太神宮土宮、彼外宮地主也、然而年來無レ預ニ官幣、而今度准ニ七所別宮、可レ預ニ官幣之由、自ニ本宮依ニ申請、已蒙ニ裁許、仍重申請云、御殿元高五許尺也、而准ニ七所別宮者、每年荷前幣物可レ納ニ御殿内也、件幣物、廿年遷宮外無ニ取出事者、不ニ大造於ニ御殿、件物無ニ可レ置之處者、准ニ内宮荒祭外宮高宮等可レ被レ造、此御殿一丈許有ニ何難哉云々、同宮自レ本東向也、而太神宮拜七所神宮皆南向也、今度准ニ他社、可レ造ニ南向歟云々、廿四日壬寅、〇中略 土宮地主神也、無下知ニ造社本緣之人、自レ昔東向奉レ居、何可ニ改定哉云々、とあり。
かゝれば古より此社は有ながら、いと微なればいかなる故に此處に祭らるるとも知人のなかりしよしなり。さるから帳にも記されざる故よし明かなり。(高五尺許といへば、所攝神社と同じさまに見ゆ。)

又此時外宮の禰宜等申請し故に、朝廷より別宮の勅宣有しを、其宮制は舊のまゝなれば、御殿の事によりて仗議者有しなり。(辨官抄に、外宮土宮、可レ爲ニ別宮之宣旨長承比云々、可レ尋、とあり。此頃さだかに知がたきなるべし。長祿は長承の誤なる事、上條見合すべし。)


此事神名祕書に、(度會行忠の書なり。)大治三年六月五日官符、改ニ社號爲レ宮、預ニ
 祈年月次神甞祭 幣也、是宮河堤爲守護神也、保延元年遷宮之時、造宮使親章造進之 ,と見ゆれば、宮號の宣旨は既く崇德天皇の御代 大治三年に有りて、保延元年に、(長承四年改元なれば同年なり。)御殿の造進有しなり。(かかれば大治より後五年目に造進なるべし。此造宮使親章は保延二年正月二十七日正五位下除目、次造 豊受太神宮功、と遷宮次第記にひけり。是保延元年外宮造進之時に、此土宮も造進りしなり。神祇本源に、長承二年仰ニ造宮使被レ增ニ作寶殿畢、とあるは年號たがへり。)
弘安九年参詣記に、土宮、大治三年六月五日防河の功によりて、宮號の宣旨をくだされ、長承三年八月三日、諸別宮の例に任て幣を送奉るべきよし宣下と記せり。(此弘安は永仁年中より以前なれば、度會氏人の僞をただす證となる事多かり。此文も大治三年防河の功によりて宮號あり。長承二年に奉幣のこと有しよしもしられたるが如し。猶下に此書なひける事もかかる類なれば、其心して見るべきなり。)
かかれば度會川堤防護の爲に宮號の御制有しなり。(神名式、河内國丹比郡狭山堤神社ませり。此はいはゆる狹山池の提を防護の為に宮社の御制有りとおぼゆれば、此土宮と同じ例なり。)

さて此川は其水源多氣郡大杉山なろ大臺原巴淵より流れ出て、二十八里ばかり下流なる大湊より海に入れり。(又枝流もいと多くして、全の中島、小川、浦口、二俣、中河原、また西河原など云町屋も此川の在し處なり。)
いと大なる川水にて、古より水溢て宮地また人宅の害をなし、堤など崩頽れし事ありしかば、此堤防護の爲とて此神に宮號有しならん。(近代此堤に人力を用ふれども、度々崩るる愁ありしかば、公儀より憐み給ひて文祿元年に大堤を築かしめ給へど、又年を經て崩れしかば、正保四年に将軍家より銀丗貫を下し給ひ、築かしめ給ひける。同年三月十五日より事始め在て、堅く大堤を築きしかば、永代旡窮の堅堤となりて、是時より溢水の愁なく人民安心せり。是今も存る堤是なり。かかるをもて古とても溢水の患有しこと知べし。)

【原文参照】

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315 (参照 2024-01-13)

神宮司庁 [編]『大神宮叢書』前篇,内外書籍,昭和7-9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212315 (参照 2024-01-13)

土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

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