岩木山神社(弘前市)〈津軽國一之宮・日本の北門鎮護〉

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は 創建は 宝亀11年(780)岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源と云われます 延暦19年(800)征夷大将軍の坂上田村麿(sakanoe no tamuramaro)が 蝦夷平定祈願達成の御礼ため山頂の奥宮を再建しています 名実ともにその威容を誇る名社として 本州最北の位置する青森県に鎮座することから異名として「日本の北門鎮護」と呼ばれています

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  岩木山神社(iwakiyama shrine)
 (いわきやまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

  お岩木様・お山・下居宮(orii no miya)

【鎮座地 (location) 】

青森県弘前市大字百沢字寺沢27

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》岩木山大神(iwakiyama no okami)

顕国魂神(utsushi kunitama no kami)= 大己貴命
多都比姫神(tatsuhi hime no kami)
大山祇神(oyamatsumi no kami)
宇賀能売神(ukanome no kami)
坂上刈田麿命(sakanoe no karitamaro no mikoto)坂上田村麻呂の父

【御神格 (God's great power)】

・津軽守護 Protect Tsugaru
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・開運 Good luck

【格 式 (Rules of dignity) 】

・津軽国一之宮
・別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

創建は780年 岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源と云われます
記録では2度の火災に遭い 1度目の1589年には大半を焼失したと伝わります

【由 緒 (history)】

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」

当社は 昔から「お岩木さま」「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。

神山・霊山である岩木山は 津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授けたまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。

岩木山大神は 太古より神霊岩木嶺にお鎮りになられ、今から約1200年前、宝亀11年(780)社殿を山頂に創建したのが 当社の起こりであります。

延暦19年(800)征夷大将軍 坂上田村麿これを再建し、別に山麓十腰内の里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、寛治5年(1091)神宣により下居宮を現在地に奉遷いたしました。

その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営がおこなわれ、近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、

名実ともにその威容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、厚く崇敬されております。

大國魂鎮守旧國幣社

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]より

 【境内社 (Other deities within the precincts)】

・岩木山神社奥宮 岩木山頂に鎮座します
 《主》岩木山大神(iwakiyama no okami)

境内社
・白雲神社《主》多都比姫神荒魂(tatsuhi hime no kami no aramitama)
・稲荷神社《主》宇賀能売神荒魂(ukanomitama no kami no aramitama)

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

岩木山神社(iwakiyama shrine)は 古代より岩木山(1625m)を「お岩木やま」と呼んで ご神体山としています

Please do not reproduce without prior permission.

・山頂に鎮座するのは 「奥宮(oku miya)」
・山麓に鎮座する里宮を「下居宮(orii no miya)」と呼んでいます

社伝によれば
今から約1200年前 宝亀11年(780)社殿を山頂に創建したのが 岩木山神社の起こりとされています

延暦19年(800)征夷大将軍 坂上田村麿(sakanoe no tamuramaro)が 蝦夷平定祈願達成の御礼ため山頂の奥宮を再建して 里人の参拝に便宜を図り 山麓十腰内(tokoshinai)の里に「下居宮(orii no miya)」を建立した(現 巖鬼山神社)とあります

※下記「神社の伝承(Old tales handed down to shrines)」を参照してください

これによって 山頂を奥宮と称するようになり
寛治5年(1091)神宣により「下居宮(orii no miya)」を岩木山東南麓の百沢地区(現在地)に遷座して 百沢寺(hyakutakuji)と称するようになったのが 現在の岩木山神社と伝わっています

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「北門鎮護(hokumon chingo)」の岩木山神社(iwakiyama shrine)について

岩木山神社(iwakiyama shrine)が 名実ともにその威容を誇る名社として 本州最北の位置する青森県に鎮座することから異名として「日本の北門鎮護」呼ばれています

授与所で頂けるご朱印は「北門鎮護」とあります

中門に掲げられる扁額『北門鎮護』は 明治時代の元帥海軍大将「東郷平八郎」の揮毫(kigo)によるものです
日露戦争への出陣前に必勝祈願として 参拝奉納されたと伝わります
天井には「五体の龍神」が描かれています

Please do not reproduce without prior permission.

岩木山の伏流水が湧水となっています 手水について

手水は 岩木山の湧水で「禊所」となっていて 奥宮に向かうには こちらで禊をして清めてから 奥宮登拝道でお山に向かいます 

Please do not reproduce without prior permission.

当然飲用も可能です環境省のHPには次のようにあります とても神聖で 且つ水質もキレイな水です
青森県の代表的な湧水 - 環境省www.env.go.jp › ... › 代表的な湧水

弘前市 御神水 ごしんすい 弘前市百沢
「岩木山神社の境内奥にて、現在も勢いよく流れ出ている。」

スポンサーリンク

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

弘前駅から 県道3号経由 約15km 車 30分程度
津軽富士と異名を持つ遠くまで広がる裾野の上に聳え立つ「岩木山」を眺めながら道路を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

岩木山神社(iwakiyama shrine)に到着

Please do not reproduce without prior permission.

参道の入り口に 大きく白い「一の鳥居」が建ちます
参道は 一直線でその先には 岩木山の山頂が見えています

岩木山(1625m)は そのお山の山頂形容が三つの峰に並び立ち
弘前側から見ると

・(左)鳥海山
・(中)岩木山
・(右)巌鬼山
となっています 山裾を長く引き「津軽富士」と呼ばれる秀峰です

Please do not reproduce without prior permission.

すなわち 山頂にある奥宮に向かって 真っ直ぐに参道があって その先に社殿が建てられています
まさしく遥拝所としての里宮です パンフレットの境内図をお借りして添付します

 

御神体山「岩木山」を仰ぎながら 一礼して鳥居をくぐります

Please do not reproduce without prior permission.

参道に入ると 白い「二の鳥居」があり すぐに今度は「三の鳥居」が建ちます 

Please do not reproduce without prior permission.

この2つの鳥居の中間に 向かって右手にある背の高い大杉(樹齢300年)が「御神木 五本杉」です

Please do not reproduce without prior permission.

次にある「三の鳥居」は 丹塗りの朱色で 寛永の間(1624〜44年)に建立された木製の鳥居です

Please do not reproduce without prior permission.

この辺りまでは 錯覚なのか参道が平坦か少し下っているように感じます

Please do not reproduce without prior permission.

ここから緩やかに上り始めるような感じの石畳を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の先に 丹塗りの朱色の大きな楼門(高さは約18m)が正面に見えてきます 

Please do not reproduce without prior permission.

楼門は 国の重要文化財です

「三の鳥居」と同じ頃 寛永5(1628)年に2代藩主 津軽信枚公(tsugaru nobuhira ko)によって建立されたと伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

手水は 岩木山の湧水で「禊所」となっていて 山頂の奥宮に向かうには こちらで禊をして清めてから 奥宮登拝道でお山に向かいます 「下居宮(orii no miya)」へのお詣りも同様です 清めます

Please do not reproduce without prior permission.

この楼門の手前の玉垣の両脇に注目すると 狛犬が 「上向きと下向き」に構えています つまり1体は逆立ちのポーズです

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・1体は 頭を上にした狛犬は「金運アップ」
・1体は 頭を下に向けた逆立ちの狛犬は「恋愛運アップ」にご利益があると云われていて 参拝者が次々に写真に収めています

 

この「対の狛犬」については下記の「神社の伝承(Old tales handed down to shrines)」に詳しくご紹介してあります
楼門を抜けると 中門とその背後に拝殿が構えます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

こちらも国の重要文化財で 掲げられる扁額『北門鎮護』は 明治時代の元帥海軍大将「東郷平八郎」の揮毫(kigo)によるものです 天井には「五体の龍神」が描かれています

Please do not reproduce without prior permission.

中門をくぐり抜けて良く見ると 木鼻には 人の夢を喰べて生きるとされている伝説の生き物「獏(baku)」の姿が彫られています

Please do not reproduce without prior permission.

中門の背後は 拝殿が建ちます

拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

 

拝殿に掛かる 太注連縄を柱に結わく方法が 津軽の神社特有の「井の文字で結わく」です
これは津軽地方では 豊作を願い 縄の形を井戸の「井」文字結んているらしく やはり「龍神信仰」の表われでしょうか

Please do not reproduce without prior permission.

中門をくぐり出て 本殿を仰ごうと 拝殿向かって右側に進みます

拝殿及び本殿を御垣の外 境内の参道から仰ぎます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

境内社の白雲大神社と稲荷神社の2つ祠があります
社殿の脇に白い登旗が沢山たなびく参道があり 境内の奥へと導いています

Please do not reproduce without prior permission.

白雲大龍神の祠へと続く 参道です

Please do not reproduce without prior permission.

立派な狛犬が座し 周りには「白蛇の池」と呼ばれる白い色の池が取り囲みます 

Please do not reproduce without prior permission.

祓い清めのご神橋となる板橋を渡ると この池の中の島に鎮座します
御祭神は「多都比毘売荒魂(tatsuhi hime no kami no aramitama)」を祭る神社ですが
龍神様を祀った神社とされていて登旗には「白雲大龍神」とあります 

境内社にお詣りです
・白雲神社《主》多都比姫神荒魂(tatsuhi hime no kami no aramitama)

Please do not reproduce without prior permission.

続いて境内社へお詣りです
稲荷神社は白雲大神社の隣にあって こちらは 赤いのぼりが目印となります
・稲荷神社《主》宇賀能売神荒魂(ukanomitama no kami no aramitama)

Please do not reproduce without prior permission.

お詣りを済ませ 楼門をくぐり戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道が一直線になっていることが良くわかります

Please do not reproduce without prior permission.

ご神橋を戻るとすぐ脇に 守札授与所があり お守りやご朱印を頂きます

Please do not reproduce without prior permission.

木々に囲まれた美しい参道をゆっくりと戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

参道を戻る途中に「出雲神社」という神社があります お詣りをします

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

扁額には「奥富士 出雲神社」とあります

Please do not reproduce without prior permission.

ご朱印を頂きながら お話をお伺いしましたところ

奥富士は「岩木山」のこと 岩木山神社は 明治期の神仏分離までは「百沢寺(hyakutakuji)」という寺院でしたが 廃寺となった際 百沢寺の住職が 寺の檀家の先祖の霊の祀るために 別社として出雲大神を祀ったのが始まりとのことです

鳥居横は 狛犬の代わりに「蛭子様と大黒様」の石像が座しています

Please do not reproduce without prior permission.

表参道へ戻りますと「三の鳥居」に出ます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

山の天気は変わり易く 岩木山の山頂は雲に覆われています 鳥居をくぐり 振り返り一礼 

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

楼門の石垣に彫られている 「上向きと下向き」に構える「狛犬」について

この狛犬は石柱と一体となっています その作者と約2トンの運搬時の怪力無双の者のエピソードが
当社の禰宜「下沢保躬」が著した『津軽古今偉業記』(明治19年)に「名石工無名氏」と題して 書かれています
参拝時に頂いた案内紙がありますので 抜粋します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

「弘前の西岩木山神社の山門下に石神垣あり。大石を以て作りたるもの也。殊に石階の上左右にあるものは 高89尺1尺78寸の角面にして 一つの大石を以て柱もつはり柱も(押柱とも云うべきか) 又其の虎の形を作りたるも一つの石にて 其の細工の古雅なる国中信政朝臣の作らしめたるものなりと。・・・

此れを作りたる時は森山の石をとりて 其の麓にて作りたりしが、今のところへ運送の時に 其の工夫に苦しみたりしに、葛原村の半右衛門と云うもの大力無双のものにて 吾に牛五匹の人夫代を下されば、一人にして此の二つの石を運送すべしといへりしかば、人々 其の乞うに任せたりしに 半右衛門 これを担いで今のところに据えたりと云えり。

今 これを仮に検するに600貫目(2250kg)の重量あるべし。この細工人も半右衛門も奇人と云うべき也。」

文中 山門とは現楼門、虎の形とあるのがこの狛犬のことで、津軽四代藩主 信政公による貞享三年から元禄七年(1694)にかけての当社大造営の際に作られたものといわれ、・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、これを森山(当社の西方約4キロ)の石切場から 今のところに運んだ葛原村(現弘前市)の半右衛門とかいう人の怪力には正直驚かせられる。六百貫目いとえば約2トンか。つい最近まで、土にめり込んだ足跡が残っていて、あまりの重さに半右衛門の目ン玉が 少し飛び出たという話が伝えられている。

北門鎮護 岩木山神社 案内紙より

Please do not reproduce without prior permission.

岩木山神社(iwakiyama shrine)の元宮「巖鬼山神社」について

巌鬼山神社は「がんきさん」と呼びますが「いわきやま」とも読めます

由緒は古く 延暦15年(796) 岩木山北麓に岩鬼山西方寺観音院が建立されたことに始まり 坂上田村麻呂の蝦夷平定祈願のため再建されたと伝えられます

現在の「岩木山神社(iwakiyama shrine)」が山麓の十腰内(tokoshinai)の里に「下居宮(orii no miya)」を建立したとあるこれに相当します
その後 山頂を奥宮と称し 寛治5年(1091)神宣により 「下居宮(orii no miya)」を岩木山東南麓の現在地に遷座します

「巌鬼山神社」大杉の案内写真

Please do not reproduce without prior permission.

名実ともにその威容を誇る名社として 本州最北の位置する青森県に鎮座することから異名として「日本の北門鎮護」呼ばれています

岩木山神社(iwakiyama shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

岩木山神社(iwakiyama shrine)の元宮「巖鬼山神社」の記事もご覧ください

・巖鬼山神社(弘前市)岩木山神社の 旧鎮座地

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
-, ,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.