伯耆国(ほうきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 伯耆国の6座(小6座)の神社のことです
伯耆國(hoki no kuni)とは
伯耆國(ほうきのくに)は 現在の鳥取県の中部及び西部 伯州と呼ぶこともあります
鳥取県西部域を指す「西伯耆」
中部域を指す「東伯耆」に分けられ 双方は若干 方言や文化などが異なります
出雲地方との古代遺跡の類似性 方言などの文化的共通点が多くあり 出雲とあわせて雲伯地方とも呼ばれます
伯耆国(ほうきのくに) 式内社 6座(並小) の論社について
6座(小6座) 現在の論社は 7社
川村(カハムラノ)郡 2座(並小)の論社
倭文神社(しとりの かみのやしろ)
・倭文神社(湯梨浜町)
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倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます
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波波伎神社(ははきの かみのやしろ)
・波波伎神社(倉吉市)
久米(クメノ)郡 2座(並小)の論社
倭文神社(しとりの かみのやしろ)
・倭文神社(倉吉市志津)
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倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の国譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています
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國坂神社(くにさかの かみのやしろ)
・國坂神社(北栄町国坂)
會見(アフミノ)郡 2座(並小)の論社
胷(胸)形神社(むなかたの かみのやしろ)
・宗形神社(米子市宗像)
大神山神社(おほむわの かみのやしろ)
・大神山神社 本社(米子市尾高)
・大神山神社 奧宮(大山町大山)