普天満宮(宜野湾市普天間)

普天満宮(ふてんまぐう)は 王府から特別の扱いを受けた゛琉球八社゛の一つで 創建の伝承によれば 往昔 普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり 第一尚氏王統・第5代国王 尚金福王から第6代国王 尚泰久王の頃(14501460年)熊野権現を合祀したと伝わります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天満宮(Futenmagu)

通称名(Common name)

・普天間宮(ふてんまぐう)
・普天間権現(ふてんまごんげん)

【鎮座地 (Location) 

沖縄県宜野湾市普天間1-27-10

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》

一、熊野権現
 伊井再尊(いざなみのみこと
 速玉男命(はやたまをのみこと
 事解男命(ことさかをのみこと
 天照大御神(あまてらすおほみか
 家都御子神(けつみこのかみ

二、琉球古神道神
 日の神
 竜宮神(ニライカナイ神)
 普天満女神(グジ-神)
 天神・地神・海神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

琉球八

【創  (Beginning of history)】

普天満宮 略記

鎮座地 沖縄県宜野湾市普天間一丁目二七一〇

御祭神
一、熊野権現
 伊井再尊 いざなみのみこと
 速玉男命 はやたまをのみこと
 事解男命 ことさかをのみこと
 天照大御神 あまてらすおほみかみ
 家都御子神 けつみこのかみ

二、琉球古神道神
 日の神
 竜宮神(ニライカナイ神)
 普天満女神(グジ-神)
 天神・地神・海神

例大祭 旧暦 九月十五日

御由緒
 当宮は別称普天満権現、琉球八社の一つである。
創建については往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(一四五〇六十年)熊野権現を合祀したと伝えられている。
現存する古い記録には「普天満権現」碑(一五九〇年)がある。

琉球神道記(一六〇五年)琉球国由来記(一七一三年)琉球国旧記(一七三一年)にも当宮関係が記載されている。前記の琉球神道記には當國大社七處アリ六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」叉「普天間権現の事」については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛瀧ト見ユ、東ニ當リテ瀑布アリ、其水霊也・・・・」と、祭神のことが記されている。

 尚、普天満宮は熊野那智(飛瀧)に末吉宮を熊野新宮に、識名宮を熊野本宮に見立てて信仰されていたようである。

 さらに、近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は琉球八社の内の七社はもとより、その分社、あるいはビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所としても数多くある。

 当宮の縁起伝承には首里桃原に女神が出現され、後に普天満の洞窟に籠られた。さらにその後、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された。叉、中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難をすくつたという伝承があり、「当ノ屋」 ではそのお礼参りが続いている。

 旧暦九月は普天満参詣と称され、かつては中山王はじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げた。

洞穴は、全長二八〇メートルあり、洞穴の形成規模等からして地域の地形地史を知るうえでも貴重なものである。洞穴及び東洞口付近は遺跡となっており沖縄貝塚時代前期後半以後(約三千年前)の遺物が多数発掘されている。叉、約二万年前の琉球鹿、琉球昔キョン、イノシシなどの化石も発見され「普天満宮洞穴」は平成三年八月一日付で、宜野湾市文化財「名勝」に指定される。

現地案内板より

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【由  (History)】

普天満宮 普天満宮洞穴(市指定名勝)

 沖縄本島中部最大の神社で、琉球八社の1つである由緒正しい「普天満宮」。健康祈願や交通祈願をはじめ、合格祈願・安産祈願まで幅広いご利益をうけることができます。航海安全や豊漁、五穀豊穣の神様としても古くから信仰されています。

本殿の隣にある「普天満宮洞穴」は、全長約280メートルの鍾乳洞で、現在はその一部、およそ50メートルが公開されています。

1991年8月1日に「宜野湾市指定文化財(名勝)」に指定されたこの洞穴は、普天満宮発祥の場所ともいわれています。

宜野湾市役所HPより
https://www.city.ginowan.lg.jp/sightseeing/tourist_attractions/7034.html

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・奥宮〈普天満宮洞穴 内〉

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・普天満宮洞穴

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宜野湾市指定名勝

普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)

平成三年八月一日指定

 琉球石灰岩層に形成された全長およそ280メートルの横穴洞穴で、主洞口を東にして西方向へ延びている。洞穴の開口部は二か所あり、主洞口は石灰岩の崖の中腹、他の一つは洞壁が崩壊してできたものである。

 洞穴の内部は、途中二か所ほど天井も低く幅も狭いところがあるが、平均して天井の高さは4~6メートル、幅は1~3メートルあり、充分立って歩ける広さである。
洞内には、広い場所が三か所ある。
その一つは、奥宮(おくみや)になり、広場のうち最も大きく幅15メートル、天井の高さ6メートルである。
他の一つは、奥宮(おくみや)からおよそ80メートル奥の所である。
そこにはつらら石や石筍がよく発達し、また広場の真中には幅4メートルほどの石柱があり、これが洞穴全体を支えているかのようである。

 洞穴の入口に近いところの洞壁には、連続している三つの細長い溝のようなものが見られる。これは洞穴ノッチである。つまり、洞穴の中を流れる水によって浸食されてできたものである。これが洞壁の高さの異なる地点にあるということは、洞穴内の水位が次第に下がるなど何らかの地殻変動があったことを物語る科学上の重要な証拠である。

 また、洞穴の入口付近には、数万年前に絶滅したシカ類を含む厚い化石層がある。化石は、リュウキュウジカやリュウキュウムカシキョンで、200頭以上も発掘されている。化石は洞内にも散在し、さらに、土器も発見され遺跡 にもなっている。

平成四年三月 宜野湾市教育委員会

現地案内板より

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・鍾乳石の石柱

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・本殿

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・狛犬〈本殿の横〉

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・拝殿

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・狛犬〈拝殿の横〉

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・社務所

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・普天間権現 樋川

拝所〈ウガンジュ〉

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・手水舎

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

普天満宮(宜野湾市普天間)は 琉球八社の一つです

琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

普天満宮(宜野湾市普天間)縁起伝承について

普天満宮の縁起伝承には

 首里桃原に女神が出現され 後に普天満の洞窟に籠られた さらにその後 洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と御神威弥高に示された

とあります

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『琉球昔噺集』〈昭和8年〉に記される伝承

『球陽(きゅうよう)』〈琉球王府によって編纂(1743~45年)〉の外巻(げかん)として製作された説話集が『遺老説伝(いろうせつでん)』です
『遺老説伝』は 琉球各地に散らばる神話や伝説・昔話などの゛口碑゛をまとめたものです

ここには ゛普天間権現゛の口碑 女神の説話が記されています

【抜粋意訳】

琉球昔噺集 三八、 普天間権現


八月十五夜の、まんまるい、お月樣は、虎頭山(とらずやま)の上に、美しい姿を、現はしました。夫婦の者は、陸じく、物見に出て、月を眺めて居りました。
 首里王城下、桃原村(とうばるむら)も秋たけて、家々に植ゑられた、生垣の薄が、ほうけて、月光の下に立ってゐるのも、また棄て難い、眺めでありました。

「ほんとに、昔から詩に作られ、歌によまれた十五夜の、お月さまほど美しいものは、またと此の世にはあるまい。」
と、夫が申しますと、

妻は、
「全く、あなたが、お仰しゃる通り、十五夜のお月樣は綺麗です。だが何といっても、お月様よりも、何よりも、美しいのは、私のお姉様だと、思ひます。然しお姉様は、どうしても人に見られませんのよ。」
さう聽くと、夫の好奇心は、頂点に達しました。

結婚してから、何度妻の家に行っても、一度も其姉を見た事がありませんでした。今妻の話をきいて、母の乳を、はなれてから、決して煮た物を食べないといふ、不思議な美しい、姉の「コゼイ」を、何とかして、見度いものだと、思ひました。


夫婦は相談をして、翌くる日の晚、妻の家へ参りました。さうして妻は、夫を庭の樹の陰にかくし、自分はうちへ、這入って、行きました。

「姉さん、助けて下さい下さい。」
と言ふ、苦しさうな聲が、庭の池の中から、聞えて來ました。

妹が、池に落ちたのに、驚いた、姉さんは、苧を績(う)でんゐましたが、あはてて、はだしのまま、庭にかけ下りて來ました。

 その時、十六夜の月は、青空にかかかり月光は庭のすみずみまで、くまなく照らして、ゐました。

庭の、樹のかげに、かくれてゐた夫は、美しい妻の、姉さんの姿を、やっと見ることが、出來ました。
「たうとう、人に見られて、仕舞った。」

さう感じた姉さんは、もうこの家に、居ることは、出來ないと思って、そのまま、駆け出しました。

家内中吃驚して、その後を追っかけました。

然し「クシマシチャビラ」までは、其姿が見えましたが、それから先は、何處へ行ったかの、わかりませんでしたが、
幸にも、姉さんの着物には、 績(う)んだ苧が、くっついて居たと見えて、その一條の糸を辿って行きますと、普天間(ふてま)の洞穴の中で、つきてゐました。
父母や、妹、乳母等は、その洞穴の入口で泣いて、居りました。

殊に自分の不心得の為に、姉を怒らせて、仕舞った妹は、聲を張り上げて、泣いて居りました。
「どうぞ、姉さんかへって下さい。もう決して、あんな、わるい事は致しませぬ。」
両親も乳母も、
「どうぞ、きげんをなほして、帰って呉れ。」
と頼みますと、

暫くして、金鈴を、振るやうな聲で、
「御父さん御母さん、もう私は、歸ることは、出來ませぬ。之が、御別れで、ございます。私は普天間の権現で、假に御二人の子として、生れて來たので、あります。どうぞ私の事は、あきらめて下さい。」
と云ったかと思ふと、後は松吹く風の音が、聞こえる許りでした。(をはり)

(附記) 別に傳はる口碑では、妹の夫のことが、油賣りの男になって居て、妹も七八歳だとなってゐます。

【原文参照】

喜納緑村 著『琉球昔噺集』,三元社,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1452964

喜納緑村 著『琉球昔噺集』,三元社,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1452964

喜納緑村 著『琉球昔噺集』,三元社,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1452964

普天満宮 縁起伝承の地゛首里桃原に女神が出現された地゛について

縁起伝承姉妹が住んでいた実家の跡とされる地が 那覇市首里桃原町にあります

現地の鳥居には゛普天間権現発祥之地と記されます

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

沖縄自動車 北中城ICから 西へ約1.7km 車5分程度

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鳥居横の道を進み駐車場へ

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普天満宮(宜野湾市普天間)に参着

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イベント情報が張り出されていました
民族衣装が美しいので

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駐車場は東側にあり 一度拝殿の前を通りながら

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手水舎で清めます

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拝殿にすすみます

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扁額には゛普天満宮゛と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の奥にある゛普天満宮洞穴゛に進みますと
本殿が鎮座していましした

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洞穴拝観は 授与所で受付をするように張り紙がありました

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授与所に届け出て 社務所によると゛社務所の壁にあった龍の絵゛

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洞穴入口まで巫女さんに案内されて進み
そこからは 一人で進みます
洞穴に通じている琉球石灰岩の真っ白な通路には 出土された約二万年前に生存していた゛琉球鹿・琉球昔キョン・イノシシ゛などの化石も展示されていました

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通路を抜けると 目の前に鍾乳洞内に祀られる゛奥宮゛

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洞内に足を踏み入れると 幻想的な空間に鎮まる聖域に 息を呑み込む

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祠の前で
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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洞内はさらに奥へと伸びています

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奥宮の祠に一礼をして 洞内から出ます

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『琉球神道記』〈万暦33年(1605年、和暦では慶長10年)〉に記される伝承

普天満宮(宜野湾市普天間)について ゛普天間権現゛と呼び 濫觴(らんしゃう)〈物事の始まり〉については知らないが 紀州熊野の那智の滝の神であろうと記しています

【抜粋意訳】

琉球神道記 巻第五 普天間権現神宮寺 普天間権現事

濫觴(らんしゃう)〈物事の始まり〉亦知ラズ。
熊野ノ飛瀧(那智)卜見ユ。東ニ當テ瀑布布(バクフ)アリ。其水霊也。松樹ハ高ク秀テ。古仙ノ住所トモ云ベシ。岩窟幽閑ニシテ世尊入定ノ洞トモ傳ン。臨ム磐アリ。登ル嵓アリ。形チ轉々シテ。諸色又鮮也。滴(シタタル)露ハ旱天ニモ絶コトナシ。霖雨ニモ増サズ。風吹共入ズ。水注共濡ハズ。宛四山圍邊ノ田中ナリ。昔ハ五衰殿ノ女后讒留ヲ受テ名ニ當ル。今ハ飛瀧ノ大薩埵。三熱径ニ消シテ五障ノ雲自晴ン。何ノ祈カ會(カナハ)ザラン。何ノ益カ施サザラン。賴哉。

【原文参照】

良定 著 ほか『琉球神道記』,明世堂書店,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1040100

 『沖縄案内』1937年〉に記される伝承

【抜粋意訳】

第二十一章 名所舊蹟 中頭郡 普天間権現

 那覇を距ること四里、大山驛より小一里東部、宜野溶村普天間にあり、烏居を入れば拜殿の背後一大鐘乳洞内の小祠に椎現を祀ってある。
沖縄八社の一にして古來四民の崇信甚だ厚く諸願祈祷の霊地としてゐる。洞内鍾乳石無数に垂下して奇観を呈し冷気人を襲ひて身に沁るを覚える。往昔は農具置場になってゐたがいつしか観音像が安置せられ霊驗著しきを以て人々尊信深しといふ (委細は拙著 善行美談貞婦事蹟参照)。

 傳説にいふ、昔 首里桃原村に姉妹の美人がゐた。姉は容色世に類なく優れてゐたが常に閨房深く鎖して人目を避けてゐた。或時妹の計策に陷りその夫に盜見されたので大に之を愧ぢ遂に普天間の洞窟に入りて跡を隠したとのことである。
洞内は容易に通り拔けることが出來る。入口の陽石及一大化石は頗る珍奇とするに足る。境域相接して眞言宗の神宮寺がある。四百五十年前の建築に係るといふ。以前郡立中頭農學校も此地に在ったが後縣立に併含された。中頭郡役所は置縣後 首里役所と併設になってゐたが後年普天間に移り、郡廃後 廳舎の一部は農事試驗場 (畜産試驗場 )に充當されてゐる。社前大通りの松並樹は藩政時代の植栽で實に代表的のものである (口繪参照 )

【原文参照】

島袋源一郎 著『沖縄案内』,沖縄図書,青山書店,1937. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1908935

島袋源一郎 著『沖縄案内』,沖縄図書,青山書店,1937. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1908935

普天満宮(宜野湾市普天間) (hai)」(90度のお辞儀)

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琉球の゛歴代の王統゛と゛琉球八社について

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