恵比寿神社は 下田市須崎の恵比須島(Ebisujima lsland)の頂上に鎮座しています 古代の人々が「海神(Watatsumi)」や「伊豆諸島の島神(Shimagami)」に祈りを捧げた場と考えられています 付近には 古墳時代~奈良時代の祭祀跡(Saishi Remains)(焚き火の跡等)が発見され「夷子島遺跡(Ebisjima Remains)」として下田市の文化財に指定されています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
恵比須神社(Ebisu Shrine)
(えびすじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県下田市須崎 恵比須島
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》夷子神(ebisu no kami)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
海と向き合う人々の祈りの地 恵比寿島遺跡(えびすじまいせき)
(下田市指定史跡)
Ebisjima Remains Location ofancient seaworship
(Historic sitedesignated by Shimoda City)ここ夷子島遺跡は、古墳時代(こふんじだい)後期から奈良・平安時代にかけての祭祀遺跡(さいしいせき)で、古代の人々が海神(わたつみ)や伊豆諸島の島神(しまがみ)に祈りを捧(ささ)げた場と考えられています。
1959年に実施された発掘調査(はっくつちょうさ)では、多数の祭祀用の土器(どき)などが出土し、かがり火を焚(た)いたと思われる跡も3ヶ所確認されました。
伊豆半島南部の岬や小島には古代の祭祀遺跡が多くみられます。これは、険(けわ)しい山が海にせまり、狭い平地しかないという地形が、人々の生活と海とのかかわりを深め、海や島々への祈りを生んだためと考えられます。
伊豆半島ジオパーク
IZU PENINSULA GEOPARK現地案内板より
【由 緒 (history)】
不詳
恵比寿島(えびすじま): 海底火山の記憶を残す信仰の島
Ebisujima lsland: Evidence of submarine volcanism,uplift,and human history
伊豆半島の南部には、太古の海底火山の噴出物が広く分布しています。長い海底火山の時代の後、伊豆全体が隆起(りゅうき)と浸食(しんしょく)をうけたため、本来は地下に埋もれていたはずの美しい内部構造を直接見られるようになったのです。恵比須島(えびすじまは)は、こうした海底火山の地層のほか、隆起と浸食がつくった地形や、海と向き合って暮らしてきた人間活動の証拠など、見どころ満載の場所です。
島の周囲に広がる磯遊びスポット「千畳敷(せんじょうじき)」は、波が削った浅瀬が、その後の隆起によって海面上に姿を表した「波食台(はしょくだい)」です。
島の頂上にある恵比須(えびす)神社 付近には、古墳時代から奈良時代の祭祀跡(さいしあと)(焚き火の跡等)が発見され、「夷子島(えびすじま)遺跡」として下田市の文化財に指定されています。ここは古代人が「海の神」に祈りを捧(ささ)げた場所と考えられています。近くにある「須崎恵比須島 指向灯」は、今も下田沖の水路を照らし、行きかう船を導いています。
伊豆半島ジオパーク
IZU PENINSULA GEOPARK現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
夷子島遺跡(Ebisjima Remains)について
縄文時代中期の遺物と共に 土師器 須恵器 焚火の跡も発見され 祭祀遺跡として「史跡」の指定を市から受けています
伊豆諸島の神々に対する 古墳時代後期(6世紀後半)~奈良期(8世紀)の祭祀遺跡(Saishi Remains)であったとされ 火を焚いて「まつり」を行っていたとされます
下田の白浜海岸に鎮座する「白濱神社(Shirahama Shrine)」の古代祭祀遺跡(Saishi Remains)とされる 白浜海岸の丘陵「火達山(hitachi yama)」と同様の火祭り〈伊豆の火山列島である 伊豆諸島の神々(御島の神々)への祭祀〉です
10.夷子島遺跡
古墳時代後期から奈良期にかけての祭祀遺跡。
昭和12年、同34年の2回にわたって発掘が行われ、島の頂上から多数の手捏土器や須恵器が出土したほか、焚き火の跡も発見された。
海島に鎮座すると考えたれていた神々に対して、島の頂上で火を焚いて「まつり」を行っていたと思われる。
南伊豆を代表する海の祭祀の典型例である。下田市役所公式HPより
https://city.shimoda.shizuoka.jp/category/050202bunkazai/111148.html
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神「夷子神(ebisu no kami)」と「恵比須島(Ebisujima lsland)」について
ここで呼ばれる「エビス」とは 明治時代以降の伊豆地方では「事代主命(Kotoshironushi no mikoto)」だと考えられています
しかし 一般に言う 「エビス様 ダイコク様」といった信仰ではありません
伊豆地方では 伊豆七島の神とされている「三島大明神(Mishima daimyojin)」を「事代主命(Kotoshironushi no mikoto)」と同一神と考ています
「三島神(Mishima no kami)」とは「三島=御島(Mishima)」です
すなわち 伊豆の島々の神という意であるとされていて 伊豆の三島信仰の根源とされています
この「三島神(Mishima no kami)」の中心となるのが「三島大明神(Mishima daimyojin)」です
「三島大明神(Mishima daimyojin)」を祀る神社では 三島市に鎮座する「三嶋大社(mishima taisha)」が有名です
「三島大明神(Mishima daimyojin)」は 三宅島や南伊豆では その本拠は「三宅島(Miyake Island)」とされています
この説では「三島大明神(Mishima daimyojin)」は 三宅島から 南伊豆そして 三島に遷されて「三嶋大社」となったとしています
こうしたことからも
ここ南伊豆の須崎にある「恵比須島(Ebisujima lsland)」の御祭神「夷子神(ebisu no kami)」の信仰は 伊豆の島々の神を遥拝する 古代の南伊豆の人々の信仰心と深いきづなを持つ遺跡でもあります
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆下田 須崎港 バス停「須崎海岸」から南下700m 徒歩10分程度
須崎港に鎮座する『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)の論社「両神社(Ryo Shrine)」の参拝後に 須崎港に戻ると
「恵比寿島 0.5km」との案内板があり これを見て 恵比寿の名前を持つ島があるのかと初めて知り 出向くことにしました
島へは 歩道橋が掛けられていますので 歩いて渡ることが出来ます
先程は「恵比寿島」と案内されていましたが この橋のたもとに島の名前の看板があり「恵比須島 Ebisu Jima」と表記されています
歩道橋を渡り始めると その美しい景色に誰でも気付くはずです 古代人が祭祀場とした聖地である予感が膨らんできます
島に渡ると 左右には 島を周回する眺めの良い遊歩道(10分程度で一周)
直進は 恵比寿神社(Ebisu Shrine)と灯台への階段のどちらかを迫られます
遊歩道は 後程に回る事として まずは恵比寿神社(Ebisu Shrine)へ向かいます
島の頂上まで上がると あまり人も来ないのか 普段の古社への参道の雰囲気です 狭い路の先には海が見えています
灯台の横に 拓けた場所があって
恵比須神社(Ebisu Shrine)に参着
木製の鳥居が建ち扁額には「恵比須神社」とあります 一礼をして鳥居をくぐります
拝殿にすすみます
賽銭はと捜すと扉が開きましたので
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御扉は閉じておりますので お写真を 右手前にあるのは 伊豆地方の御島神には よく拝殿に置かれている太鼓だと思います
参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
神社の隣には 灯台「須崎恵比須島 指向灯」が建っていて 南伊豆の海が見渡せます
おそらく 古代の人々は この地から海に向かって 海上に噴火の煙をあげている伊豆の島々を神と崇め 祭祀を執り行っていたのでしょう
ここからは 神子元島(miko motoshima)が良く見えます 南へ約11km程の海上にある無人島ですが
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「伊豆国(izu no kuni) 賀茂郡(kamo no kori)
南子神社(Minamiko no kamino yashiro)」の論社とされている神の島です
・南子神社(下田市 神子元島)
※式内社調査報告には記されていますが 現在 神子元島には神社や祠は見あたりません
波風が強く 何度も消失したとも伝わります
南子神社(三宅島 神着)の記事もご覧ください
・南子神社(Minamiko no kamino yashiro)(三宅村 神着)
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南子神社(三宅島 神着)
南子神社(なごじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の格式の高い由緒のある神社です 御笏神社の祭神「佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)」の一番目の王子とされる「南子命(Nago no mikoto)」を御祭神として祀ります 神着の南方にある 南子山の原生林の中に鎮座しています
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神子元島(miko motoshima)が最もよく見える景勝地として 歌人の若山牧水(wakayama bokusui)が 大正2年(1923)秋 旧友がいた神子元島灯台を訪れ7日余りを過ごし 一木一草もない荒涼たる島で 牧水の持参したダリヤが喜ばれたと詠まれた歌碑があります
神子元島と若山牧水歌碑
碑文
友が守る灯台はあはれ わだなかの蟹めく岩に 白く立ち居り昭和55年 賀茂短歌会建立
水平線に見えているのが神子元島(miko motoshima)
遊歩道を巡りながら恵比須島(Ebisujima lsland)を後にします
恵比須神社(Ebisu Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)