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駒形神社 里宮(陸中国一之宮)
駒形神社 里宮(こまがたじんじゃ さとみや)は 江戸時代(1603年 ~1700年頃)に仙台藩側から駒ヶ岳山頂の奥宮に向かう参拝路口にあたる「金ヶ崎の里宮」になります 明治4年(1871)に 山頂の「奥宮」が 国幣小社に列する際に 奥宮・里宮とも参拝時の交通が不便であるので 当時の水沢県県庁に近い水沢の鹽竈神社の本殿が仮遥拝所とされました それが現在の駒形神社「本社」となります この「奥宮」と「本社」の中間なので「中宮」とも呼ばれています
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駒形神社 本社(陸中一宮)
駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます
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坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)
坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります
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興神社(壱岐市芦辺町)〈壱岐国一之宮〉(元印鑰宮)
興神社(ko shrine)は 壱岐国が王制の時代であった頃の 一支国(壱岐国)の王都の跡「原の辻遺跡」のすぐ傍に鎮座します 官庫の鑰(かぎ)や国府政所の印かんを納める所として「印鑰大明神」の社号で呼ばれ 格式高い由緒を伝えます 里人の通称名は「一の宮」です 現在では 本来の式内名神大社「天手長男神社」で「壱岐国一之宮」は当社「興神社」とする説が有力です
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坐摩神社(大阪市中央区久太郎町)〈摂津國一之宮〉
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します
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砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉
砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神 大己貴命をお祀りしたのが 里宮の始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命」と「体徳の神・建御名方命」を祀ります
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砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)〈三河国一之宮〉
砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています
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鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)
鳥海山大物忌神社 蕨岡口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ わらびおかくちのみや)は 出羽国一之宮として 鳥海山の山頂に 本社(奥宮)が鎮座し 麓の登山口は「口ノ宮」と呼ばれて「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の二ヶ所に里宮が鎮座しています 鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)の創祀は 欽明天皇25年(1400年以上前)の御代と伝わります
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鳥海山大物忌神社(吹浦 口ノ宮)
鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ ふくらくちのみや)は 出羽国一之宮です 鳥海山を御神体として 3つの神社が鎮座しています 鳥海山の山頂には「本社(奥宮)」が鎮座します 鳥海山の麓の登山口には「口ノ宮」と呼ばれる里宮が 「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の2ヶ所に鎮座しています 創祀は 欽明天皇二十五年(1400年以上前)の御代と伝わる古社です
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高瀬神社(南砺市高瀬)
高瀬神社(たかせじんじゃ)は 越中国一之宮として格式高く 御祭神は 大己貴命(大国主命)を祀ります 近くには 当社の鎮座地とも伝わる「高瀬遺跡」もあり 農耕文化の芽生える弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)の頃の鎮座と推測されています
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土佐神社(高知市一宮)〈延喜式内大社・土佐國一之宮〉
土佐神社(しなねさま)は 土佐国一之宮として高い格式を持ちます 古代より 神が宿る自然石「磐座(iwakura)」をお祀りしていて「礫石(tsubute ishi)」と呼ばれるこの石が この地に落ちて止まった処に社を建てて祀られたのが始まりとしていて 創祀は古代に遡ると云われます
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與止日女神社(佐賀市大和町)
與止日女神社(よどひめじんじゃ)は 景勝地の川上峡のほとりに鎮座して 欽明天皇25年(564)に創祀と伝わる由緒ある「肥前国一之宮」となります 御祭神は 海の神・川の神・水の神として信仰され 家内安全・交通安全などのご利益祈願でもにぎわいます 境内には 樹齢1500年近くの大楠をはじめ 子授かりや安産のご利益が伝わる「金精さん」もあります
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天津神社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮)
天津神社(あまつじんじゃ)・奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)は ・天神を祀る「天津神社」・国津神を祀る「奴奈川神社」が すぐ横に並んで祀られています 鎮座している土地は 富山県との境に位置する新潟県最西端の糸魚川市です 縄文期よりのヒスイの産地として名高い地です 翡翠は古代は「玉」とされて大変貴重な神器でありました 「奴奈川神社」では ヒスイの神「奴奈川姫命(nunakawa hime no mikoto)」を祀ります
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岩木山神社(弘前市)〈津軽國一之宮・日本の北門鎮護〉
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は 宝亀11年(780)岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源と云われ 延暦19年(800)征夷大将軍の坂上田村麿公が 蝦夷平定祈願達成の御礼に山頂の奥宮を再建した 本州最北の位置する青森県に鎮座する威容を誇る名社として 異名を「日本の北門鎮護」と呼ばれます
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大鳥大社(堺市西区鳳北町)〈延喜式内社 名神大社・和泉国一之宮〉
大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます
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枚聞神社(薩摩国一之宮)
枚聞神社(ひらききじんじゃ)は 薩摩一之宮とされています 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社です 歴代の島津藩主からの崇敬も厚く 修理・改造・再建等は幾多に及んでいますので 優雅な朱塗りの社殿は見事な造りです 特に中央の勅使殿の向拝に彫られた彫刻は必見です 又 宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます
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姥神大神宮(江差町姥神町)
姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は 言い伝えによれば 約570年前の文安4年(1447年)に ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創と伝わります このお陰で 江差は「ニシン漁」で蝦夷地(ezochi)きっての景気にわきかえり 人々は豊かに暮らしてきました 北海道最古の神社とされていて「蝦夷地(ezo chi)の一宮」として 人々に大切に祀られています
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波上宮(那覇市)
波上宮(なみのうえぐう)は 古来琉球の信仰として 海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる 御嶽拝所(聖地・拝所)がある崖の上の場所に鎮座しています 琉球王朝(琉球國)時代には「琉球王国の無事安泰を祈願」する守り神として 王朝から特別の待遇を受け信仰された「琉球八社(官社)の制」の首座を占めた格式を持つのが「波上宮(naminoe gu)」です
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飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【後編】
水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています 御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています
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飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【前編】
水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています 御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています