枚聞神社(薩摩国一之宮)

枚聞神社は 薩摩一之宮とされています 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社です 歴代の島津藩主からの崇敬も厚く 修理・改造・再建等は幾多に及んでいますので 優雅な朱塗りの社殿は見事な造りです 特に中央の勅使殿の向拝に彫られた彫刻は必見です 又 宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  枚聞神社(hirakiki shrine)
 (ひらききじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

  おかいもんさん

【鎮座地 (location) 】 

 鹿児島県指宿市開聞十町1366

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

枚聞神一座
《主》大日霎貴命(ohirume muchi no mikoto)=天照大御神

《配》天之忍穂耳命(ameno oshihomimi no mikoto)
   天之穂日命(ameno hohi no mikoto)
   天津彦根命(amatsu hikone no mikoto)
   活津彦根命(ikutsu hikone no mikoto)
   熊野樟日命(kumanuno kusuhi no mikoto)
   多紀理毘賣命(tagiribime no mikoto)
   狭依毘賣命(sayoribime no mikoto)
   多岐都比賣命(tagitsu hime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・交通安全 Traffic safety
・航海安全 Voyage safety
・漁業守護 Fishery protection
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・薩摩国一之宮
・別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

社伝には遠く神代の創祀なりと伝う

【由 緒 (history)】

祭神 大日霎貴命(天照大御神)を正祀とし、他に皇祖神八柱神を併せ祀るとあり。神社の沿革 御鎮座年代を詳らかにせずといえども、社伝には遠く神代の創祀なりと伝う。

既に貞観2年3月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられて居るのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記され、殊に貞観16年7月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和むる為勅命により封戸2000を奉られたことを記載している。

延喜式には 薩摩国頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を用いられている。古来薩摩国の一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にし、正治2年社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等10余度に及び、元亀2年頴娃領主家の内乱により1900余町の神領を失ったのを、天正20年9月には島津家より改めて田畑合計24町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たもので、明治御治定の折同4年5月国幣小社に列格仰出され、現在薩摩の国一宮として、又神社本庁所属別表社として地方の崇敬を集めている。

一般の信仰 南薩地方一帯の総氏神として又地方開拓の祖神として厚い崇敬が寄せられて居るが、特に交通安全、航海安全、漁業守護の神として附近航行の舟人等から厚く信仰されて居る。

往年 島津家に入貢していた琉球人等は特に航海中開聞岳の雄姿を遥かに拝するや神酒を奉って無事を祈ったものの由、現に神社には琉球王の名に依って航海安全の神徳を奉謝して献納された額面等が数面保存されて居る。

その他旧23日には他国に出稼ぎに出かけて居る肉親の人達の無事安泰を祈ってお参りする風習が今でもなほ氏子崇敬者の間に盛んに続けられて居る。

 「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 奥宮(開聞岳の山頂に鎮座)
・御嶽神社《主》伊邪那岐大神

境外摂社
・川上神社《主》弥都波能売神・・唐船峡 内

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)薩摩国 2座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)穎娃郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 枚聞神社

[ふ り が な ](ひらきき の かみのやしろ)
[How to read ](hirakiki no kaminoyashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「開聞岳(kaimon dake)」と「 枚聞神社(hirakiki shrine)」について

神社パンフレット挿絵より「三国名勝図会」(江戸末期27代藩主 島津斉興の命により編纂)

開聞岳は 今から約3700年前の縄文時代に誕生した 標高924mの活火山です 複数回の噴火で形成された円錐形の山体が 海に浮かぶようにあり とても美しく「薩摩富士」と聞も称されていて 日本百名山の一つに数えられています

山頂には 当社「枚神社(hirakiki shrine)」の奥宮「御岳神社」が祀られています

呼称の「開聞」は 古くは「ひらきき」と読み 後に「かいもん」と読むようになっていきます

これは 開聞岳は「海門山」とも表記され その美しい山体が 昔から航海の目印でもあったからと伝えられています

ゆえに 枚聞神社が祀っている「開聞神=枚聞神」は 海の神様としての性格をあわせ持っていますので 「開聞宮」を「和多都美(watatsumi)神社」ともいいました 

これは「開聞宮の脇宮」として祀られてあった神に地主神として祀られていた神々を見ると想像ができます
「二龍宮」に豊玉彦命・豊玉姫命
「懐殿宮」に潮満珠・潮涸珠の二珠
「姉姫宮」に豊玉姫命
「天井宮」に玉依姫命

いづれも海神(watatsumi)に関連する神々をお祀りしていることからもわかります

龍宮伝説「玉手箱」と琉球王朝からの崇敬

枚聞神杜には 琉球王の名による扁額もあり 琉球など南方からの船は 開聞岳が見えると薩摩に到着した事を知り 航海の安全に感謝し 盃を交わして祈りをささげたとの事です 

「海の神様は竜宮に坐ます」“この地が竜宮界であった”とされているのもうなずけます

宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

開聞駅から 約750m 徒歩10分
境内は 朱色の垣に囲まれていますので すぐにわかります

 枚聞神社(hirakiki shrine)に到着

鳥居 ⇒ 拝殿 ⇒ 御神体山「開聞岳(kaimon dake)」と配置されています
南にある御神体山「開聞岳(kaimon dake)」に向かうように北側から参道が南に延びています

 一礼して「朱色の鳥居」をくぐると 駐車場になっています その先に再び「朱色の鳥居」

左手に「手水舎」があり 清めます

「朱色の鳥居」をくぐると 社殿が見えます 

中央は勅使殿となっていて その後方に拝殿・幣殿と本殿が建ちます

朱色の拝殿の左右に 長床の回廊ように朱色の社殿が横に広がっていますので 社殿の配置も特殊に感じます 

ここが授与所になっていますので ご朱印帳などをお預けして お詣りです

社殿は 島津藩主の崇敬も厚かったと伝わる通り見事な造りです
勅使殿は 優雅で 朱塗りや向拝に彫られた彫刻は必見です

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

授与所に戻り ご朱印を拝領して 宝物館の閲覧を申し入れます

室町時代の「化粧箱」とされ 昔は 神宝として本殿の奥に納められてあった宝物 通称「玉手箱」正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)が収納されています

かつて 大祭の前夜には この「玉手箱」に納められた化粧道具で 御神像に化粧を施していたと伝えられます
境内を後にします

鳥居をくぐり 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』より

現在の枚聞神社は 当時の「和田都美神社(watatsumi no kamino yashiro)猿田彦命」と記されていて 境内の様子が絵図に記されています

『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』(1675年~1697年)国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039344&ID=M2014090119552785625&TYPE=&NO=画像利用

『大日本国一宮記(dainihonkoku ichinomiyaki)』「群書類従」(室町時代(1336~1573)の成立)に記される伝承

和田都美神社(watatsumi no kamino yashiro)と称せられていたと伝えています

意訳
『 和多都美神社 枚聞神社と号す 鹽土老翁 猿田彦神 』

【原文】「群書類従」『大日本国一宮記』刊本(跋刊)[旧蔵者]昌平坂学問所 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037297&ID=M1000000000000054068&TYPE=&NO=映像利用

「天智天皇 御巡幸伝説」と「瑞照姫」(社伝)

 開聞岳の麓の岩屋に一仙人が行をしていたら或日 一頭の鹿が現はれ法水を舐めたところ忽ち懐妊して一児を分娩した。

之を瑞照姫、又は大宮姫と申す。天性の麗質世上に聞こえ、二歳にして上京 藤原鎌足に育てられ、十三歳にして宮中に召され天智天皇の妃として御寵愛を受けること深かったが、他の女后等に嫉まれ遂に宮中を連れ出でて 伊勢の阿野津より船出し山川の牟瀬浜に上陸 郷里へ帰って来られた。

 其の時大甕二個を持ち帰られたが、一個は途中で破損した。他の一個は現在尚神社の宝物館に保管されている。

其の後天皇は姫を慕って薩摩に御下向され、姫の許で余生を送られ御年七十九歳で崩御遊ばされたと伝記には記されている。

神社パンフレットより

「神馬の像」にある神馬の由来

『 その昔、開聞岳の麓岩屋仙宮で牝鹿から女の子が生まれ、瑞照姫と名付けられた。

姫は非常に聡明であった為、宮中に召されることとなった。

その後、天智天皇のお側で大宮姫として格別の御寵愛を受けられたが、理由あって故郷開聞に帰ることとなった。

 天智天皇は、大宮姫を慕って白馬に乗り、この開門の地を訪れたという。

天皇の愛する白馬は仙田の御馬所で、井上・大山両家により飼育されることとなり、それ以来、両家は枚聞神社の神馬役を務めたという。

平成十一年十月十五日

寄贈者 旧仙田御馬所役 井上与右衛門子孫 井上廣嗣・・・・・・ 』

説明書き

薩摩一之宮として 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社
枚聞神社(hirakiki shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

薩摩国には 一之宮が 2社 鎮座しています もう一つの 一之宮「新田神社」の記事もご覧ください

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