延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

鹿島御子神社旧蹟(南相馬市鹿島区鹿島町)

鹿島御子神社旧蹟(かしまみこじんじゃ きゅうせき)は 大同元年(西暦806)に現在の社地に社殿を造営し遷座するまでの旧鎮座地です 社伝に「日本武尊命御東征の時 此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々 御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり」とあるのはこの旧蹟地になります

鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)〈『延喜式』鹿嶋御子神社〉

鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 命が奥州の地を統御する為 この地〈鹿島の稚児沼〉に仮宮された時 賊徒が放火したが 命は直ちに「火伏せの神事」を以て四方八方に拡がった猛火を鎮めたと云う故事があり 火伏せの神として信仰されます

鹿島御児神社(石巻市日和が丘)〈『延喜式』鹿嶋御兒神社〉

鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は 太古 関東の鹿島 香取 両神宮の祖神の御子が 共に命を受けて海路奥州へ下向し 石巻に上陸されたと伝わります その乗船が たまたま石巻の沿岸に到り停泊して錨を操作した際 石を巻上げたことから 石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります

月山神社(亘理町吉田作田)

月山神社(つきやまじんじゃ)は 以前は月山大権現と称し下大畑の龍光寺〈現 亘理町立吉田小学校の地〉に祀られていた 文久元年(1861)6月に現社内に移転し 明治2年(1869)月山神社と改称 明治43年2月 作田の民有地に祀られていた小祠の鹿島社〈延喜式内社 鹿島伊都乃比気神社の論社〉と八幡神社を合併奉祀し現在に至ります

鹿島天足和気神社(亘理町逢隈鹿島)

鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)は 当初は三門山山頂に祀られていたとされ 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 曰理郡の三社〈①鹿嶋伊都乃比氣神社➁鹿嶋緒名太神社➂鹿嶋天足和氣神社〉の論社で 創祀は 武甕槌神だけであったが 稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)を左殿に 猿田彦命(鹿島緒名太神社)を右殿に奉斎して鹿嶋三社大明神と称し 後に現在地に遷座と伝わります

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