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岩木山神社(弘前市)〈津軽國一之宮・日本の北門鎮護〉
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は 宝亀11年(780)岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源と云われ 延暦19年(800)征夷大将軍の坂上田村麿公が 蝦夷平定祈願達成の御礼に山頂の奥宮を再建した 本州最北の位置する青森県に鎮座する威容を誇る名社として 異名を「日本の北門鎮護」と呼ばれます
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大鳥大社(堺市西区鳳北町)〈延喜式内社 名神大社・和泉国一之宮〉
大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます
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枚聞神社(薩摩国一之宮)
枚聞神社(ひらききじんじゃ)は 薩摩一之宮とされています 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社です 歴代の島津藩主からの崇敬も厚く 修理・改造・再建等は幾多に及んでいますので 優雅な朱塗りの社殿は見事な造りです 特に中央の勅使殿の向拝に彫られた彫刻は必見です 又 宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます
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姥神大神宮(江差町姥神町)
姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は 言い伝えによれば 約570年前の文安4年(1447年)に ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創と伝わります このお陰で 江差は「ニシン漁」で蝦夷地(ezochi)きっての景気にわきかえり 人々は豊かに暮らしてきました 北海道最古の神社とされていて「蝦夷地(ezo chi)の一宮」として 人々に大切に祀られています
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波上宮(那覇市)
波上宮(なみのうえぐう)は 古来琉球の信仰として 海神の国(ニライカナイ)の神々に祈りを捧げる 御嶽拝所(聖地・拝所)がある崖の上の場所に鎮座しています 琉球王朝(琉球國)時代には「琉球王国の無事安泰を祈願」する守り神として 王朝から特別の待遇を受け信仰された「琉球八社(官社)の制」の首座を占めた格式を持つのが「波上宮(naminoe gu)」です
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飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【後編】
水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています 御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています
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飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【前編】
水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています 御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています
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田村神社(八雲町西岩坂)
田村神社(たむらじんじゃ)は 「御塔祭」が 現在は2月11日 古くは旧正月7日にあり 七日塔祭(なぬかどまつり)と呼ばれています 氏子全員が 集合し年頭の挨拶の後 五穀豊穣を祈願し弓矢を持って害獣を取り 田植えをして その後大餅を下ろす祭り「大餅(おおもち)神事」が続いています 今でも里人に篤く崇敬されています
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志多備神社(八雲町西岩坂)
志多備神社(したびじんじゃ)は 境内に日本一大きいスダジイの木があり この地区の荒神様の依代として崇められ 11月9日に里人が 総荒神として30mほどの大蛇を「依り代(yori shiro)」として作り お祭りを行っています
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高良神社(松江市八幡町)
高良神社(こうらじんじゃ))は 『出雲國風土記』に「加和羅社(kawara no)yashiro」と記載され 江戸時代には「加波羅明神(kawara myojin)」と呼ばれ 今でも「こうらさん」と里人に奉じられます
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山代神社(松江市古志原町)
山代神社(やましろじんじゃ)は 「所造天下大神 = 大穴持命(onamuchi no mikoto)」の御子神「山代日子命(yamashiro hiko no mikoto)」を祀ります
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能義神社(安来市能義町)
能義神社(のきじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』に「出雲四大神」と尊称する大神が4柱坐ますが その内の1柱「野城大神(noki no okami)」が祀られます
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佐為神社(宍道町白石)
佐為神社(さいじんじゃ)は 女夫岩遺跡(meotoiwa iseki)の神籬を御神体として坐ますと伝わります 参道入り口の鳥居から本殿に向かう直線の参道方向の延長線上に 御袋岩(女夫岩遺跡)があります
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女夫岩遺跡(宍道町白石)
女夫岩遺跡(めおといわいせき)は 『出雲國風土記』に「所造天下大神命(ameno shita tsukurashishi okami)=大国主命」が 猪狩りに犬を使って追わせたところ 犬と猪が 石に姿を変えたという伝承があり その「猪の像(shishi no kata)」が「女夫岩遺跡」とされていて 風土記所載の「宍道社(shishiji no) yashiro」の旧蹟です
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大森神社(宍道町佐々布)
大森神社(おおもりじんじゃ)は 『雲陽志(unyo shi)』に大森大明神と記されています 遠い神代に 「大国主大神が 猪を追い詰め給い その猪が 石となった物」と伝わる「猪石」が「女夫岩遺跡(meotoiwa iseki)」にあり これを旧鎮座地としています
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志保美神社(伯太町井尻)
志保美神社(しほみじんじゃ)は 伯太川に添う田園に「塩見明神(shiomi myojin)」として鎮座します 社名の「志保美(shihomi)」は「塩見ないし潮見」の意であろうと伝わります
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嘉羅久利神社(安来市広瀬町)
嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)は 三笠山の麓に鎮座します 御祭神は「素盞嗚尊(susanowo no mikoto)」と御子神「韓国五十猛命(karakuni itakeru no mikoto)」を祀ります
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都辨志呂神社(安来市広瀬町)
都辨志呂神社(つべしろじんじゃ)は 遠き神代に能義地方を巡行された「素盞嗚尊(susanowo no mikoto)」が 杖(tsue)を置き忘れた社なので「杖代社(tsueshiro no) yashiro」となり それが「都俾志呂社(tsuheshiro no) yashiro」になったと伝わります
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山狹神社(上山佐)
山狹神社(やまさきじんじゃ)は 熊野大社と同じ御祭神「久志美気濃命(kushimikenu no mikoto)」を祀ります 熊野大社の鎮座する峰とは 反対側に鎮座しています
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山狹神社(下山佐)
山狹神社(やまさじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の論社です 境内社にも『出雲國風土記』の所載で『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載のある「久志美氣濃神社(同[山狹]社坐 久志美氣濃神社)」が論社としてあり御祭神は「加夫呂伎熊野大神(kaburogi no kumanono okami)」を祀ります これは熊野大社と同じ御祭神となります