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駒形神社 本社(陸中一宮)

駒形神社 本社(こまがたじんじゃ ほんしゃ)は 「陸中国一之宮」とされていて 駒ヶ岳山頂に「奥宮」が鎮座します 古代には 付近一帯が軍馬の産地であったと考えられていて 御祭神「駒形神」は「馬の守護神」ともされています 馬頭観音や大日如来と神仏習合して 東日本の各地に勧請されて 広く信仰されていきます

深江神社(壱岐市芦辺町深江栄触)

深江神社(ふかえじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載される 壱岐島24座の一座「與(与)神社(yo no kamino yashiro)」の論社とされています 社前には 弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)からの「深江田原(fukae tabaru)」と呼ばれる田園が広がっています かつて ここは大きな湿地帯(沼湖)であって ここから壱岐の王宮へ渡る処にある宮という意味から 「渡の宮(とのみや)」と呼ばれていたと伝わります

坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります

葛城一言主神社(御所市大字森脇)

葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は 「葛城之一言主大神」を祀ります 境内には 推定樹齢1,200年の大イチョウがあり 古社であることが見事にわかります 里人は どの様な願い事でも 一言の願いならば叶う「一言さん(いちごんさん)」と信仰し続けています 『記紀神話』の伝承によれぱ 一言主神は 第21代雄略天皇の条に 雄略天皇と葛城山で狩りを競われた神として記され 大和朝廷の中心で大王家と対等ともされた最大の古代豪族「葛城氏」が 一極集中に向かう大王家(雄略天皇)との対立構図のように描かれているとも窺えます 『続日本紀』天平宝字8年( 764年)条では 雄略天皇と狩りを競った「高鴨神」が土佐国に流されていたが 天平宝字8年に元の地に祀ったとあります

鳴無神社(須崎市浦ノ内)

鳴無神社(おとなし じんじゃ)は 土佐神社(土佐国一之宮)の元宮とされています 伝説によれば 土佐に流されて浦ノ内湾に漂着した「一言主命」を奉斎したのが鳴無神社の始りです ここから祀り変える地を選ぶために「一言主命」が投げた大石が 落ちた所が 土佐神社境内の礫石と伝わります

巖鬼山神社(弘前市)

巖鬼山神社(がんきさんじんじゃ)は 津軽一之宮「岩木山神社」の元宮とされています その由緒は古く 延暦15年(796)岩木山北麓に巌鬼山西方寺観音院が建立され始まりました 大同2年(807)征夷大将軍 坂上田村麿が 蝦夷平定祈願のために再建したと伝えられます

住吉 大鳥 両大社 宿院頓宮 (住吉大社・大鳥大社 両大社の御旅所)

住吉 大鳥 両大社宿院頓宮(sumiyoshi ohotori ryotaisha shukuintongu)は 摂津国一之宮「住吉大社」と和泉国一之宮「大鳥神社」の両大社(両社ともに 一之宮)の御旅所とされています 1つの社殿に・住吉大社に所縁のある「波除住吉神社」・大鳥大社に所縁のある「大鳥井瀬神社」が 両大社に所縁ある神社として祀られています 境内の飯匙堀(iigaibori)は 水のない空堀ですが 住吉大社の神功皇后にまつわる伝説などがあります 

大鳥羽衣濱神社(高石市羽衣)

大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は 羽衣をまとう天女を連想させるような神社名を持ちます 御祭神は 大鳥大社に祀られている「日本武尊」の后神で 仲哀天皇の皇太后となる「両道入姫皇女」が祀られています また 当社は江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります

穴門山神社(倉敷市真備町妹)

穴門山神社(あなとやまじんじゃ)は 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の妃「穴門武媛命(anato takehime nomikoto)」を御祭神としています 古代 児島半島の北側に広がる岡山平野にかつて存在した海「吉備の穴海」を「高山(koyama)」の頂上から見守り続けていたのでしょうか? 

大鳥北濱神社(堺市)

大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です  和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります

国神社 古社地(堺市 南区 鉢ヶ峯寺)

国神社(くにじんじゃ)古社地は 「垂仁天皇8年 天照大神が 鳳凰に化して この襲峯(おいそのみね)に降りました」との伝承をもち 現在の「大鳥美波比神社」の古社地ともされています

大鳥美波比神社(大鳥大社 境内)

大鳥美波比神社(おおとり みはひじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載され 又 大鳥大社を筆頭とした「大鳥五社大明神」の一つで 由緒正しい神社です 御祭神の天照大神(amaterasu okami)が 「鳳」と化して降臨をしたとする由来があり まさしく「大鳥(otori)」あるいは「鳳(otori)」にふさわしい伝承を持ち 大鳥大社 境内に坐ます

興神社(壱岐市芦辺町)〈壱岐国一之宮〉(元印鑰宮)

興神社(ko shrine)は 壱岐国が王制の時代であった頃の 一支国(壱岐国)の王都の跡「原の辻遺跡」のすぐ傍に鎮座します 官庫の鑰(かぎ)や国府政所の印かんを納める所として「印鑰大明神」の社号で呼ばれ 格式高い由緒を伝えます 里人の通称名は「一の宮」です 現在では 本来の式内名神大社「天手長男神社」で「壱岐国一之宮」は当社「興神社」とする説が有力です

坐摩神社(大阪市中央区久太郎町)〈摂津國一之宮〉

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します

砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神 大己貴命をお祀りしたのが 里宮の始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命」と「体徳の神・建御名方命」を祀ります

砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています

鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)

鳥海山大物忌神社 蕨岡口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ わらびおかくちのみや)は 出羽国一之宮として 鳥海山の山頂に 本社(奥宮)が鎮座し 麓の登山口は「口ノ宮」と呼ばれて「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の二ヶ所に里宮が鎮座しています 鳥海山大物忌神社(蕨岡口ノ宮)の創祀は 欽明天皇25年(1400年以上前)の御代と伝わります

鳥海山大物忌神社(吹浦 口ノ宮)

鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮(ちょうかいざんおおものいみじんじゃ ふくらくちのみや)は 出羽国一之宮です 鳥海山を御神体として 3つの神社が鎮座しています 鳥海山の山頂には「本社(奥宮)」が鎮座します 鳥海山の麓の登山口には「口ノ宮」と呼ばれる里宮が 「吹浦(fuku ra)」と「蕨岡(warabi oka)」の2ヶ所に鎮座しています 創祀は 欽明天皇二十五年(1400年以上前)の御代と伝わる古社です

高瀬神社(南砺市高瀬)

高瀬神社(たかせじんじゃ)は 越中国一之宮として格式高く 御祭神は 大己貴命(大国主命)を祀ります 近くには 当社の鎮座地とも伝わる「高瀬遺跡」もあり 農耕文化の芽生える弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)の頃の鎮座と推測されています

土佐神社(高知市一宮)〈延喜式内大社・土佐國一之宮〉

土佐神社(しなねさま)は 土佐国一之宮として高い格式を持ちます 古代より 神が宿る自然石「磐座(iwakura)」をお祀りしていて「礫石(tsubute ishi)」と呼ばれるこの石が この地に落ちて止まった処に社を建てて祀られたのが始まりとしていて 創祀は古代に遡ると云われます  

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