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⑧八千矛神(やちほこのかみ)の妻問い〈沼河比賣(ぬなかわひめ)〉
八千矛神〈大国主神〉が 高志国(こしのくに)に 美しく賢い女性〈沼河比売(ぬなかはひめ)〉が居ると聞き 結婚しようと通いました そして 求婚し 結ばれるシーンが 優雅な恋歌によって描かれます
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➆木俣神(きのまたのかみ) 亦名(またのな)は 御井神(みいのかみ)
大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は 婚約していた 稻羽(いなば)の八上比売(やがみひめ)を出雲へと率いて来られた しかし〈八上比売は〉正妻 須勢理毘売(すせりびめ)を恐れて 生まれた子供を木の股に挟んで〈木俣神(きのまたのかみ)〉〈稲羽へ〉引き返されました
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⑥大国主神(おおくにぬしのかみ)と名乗る
大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は 妻の須勢理毘売(すせりびめ)と根堅州国から逃亡する時 宝物の弓・矢・琴を持ち去ります 追いかけて来た須佐之男命(すさのをのみこと)は「お前が持つ 弓・矢で八十神(やそがみ)を追い伏せ 大国主神(おほくにぬしのかみ)と名乗れ そして 我が娘 須勢理毘売を 妻と迎え 盤石の岩盤に太い宮柱を立て 天高く棟木を立て 宮殿を造れ こやつ」と言われた 大国主神は その大刀と弓を持って 八十神(やそがみ)を追避(おいさけ)て 国を作り始められた
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➄根堅州國(ねのかたすくに)の試練
〈大穴牟遅神が〉根堅州国(ねりかたすくに)に到着すると 須佐之男命(すさのをのみこと)の女(むすめ)須勢理毘売(すせりびめ)と恋に落ち 結婚をします 姫は「麗しい神〈大穴牟遅神〉が来られました」と言い 須佐之男命(すさのをのみこと)は「これは 葦原色許男(あしはらしこを)という神ぞ」と言われ 数々の試練を与えますが 妻の須勢理毘売に助けられて その試練を乗り越えます
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④木國(きのくに)大屋毘古神(おおやびこのかみ)
蘇生した大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は 八十神(やそがみ)によって再び殺されます 又も 母神によって再び蘇生されて 木國(きのくに)〈和歌山県〉の大屋毘古神(おおやびこのかみ)の所へと逃されます
しかし 八十神は追い続け 矢を向けたので 大屋毘古神の助言で〈大穴牟遅神は〉木の股をくぐり 難を逃がれました
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➂手間山 赤猪岩(あかいいわ)と貝女神(かいのめがみ)
八十神(やそがみ)の恨みを買った 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は 手間山(てまやま)の赤猪岩(あかいいわ)で殺されてしまいます 母神が 天に昇り神産巣日之命にすがり請うと 貝女神(かいのめがみ)を遣わして 大穴牟遅神は生き返ります
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➁稲羽之素菟(いなばのしろうさぎ)と 八上比賣(やがみひめ)
稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)では 助けられた 菟(うさぎ)が予言した その通り 稲羽の八上比売(やがみひめ)を 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)が得ることになっていきます
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山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
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飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉
飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)〈飛鳥坐神社 境内〉は 『延喜式』「第8巻 祈年祭祝詞」に「山口坐皇神 等能前白久 飛鳥 石村 忍坂 長谷 畝火 耳無 御名者白」とあり「大和六所山口神社」とされます 大和國 髙市郡 飛鳥山口坐神社(大月次新嘗)(あすかやまくちにます かみのやしろ)とされます
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①〈プロローグ〉 大国主神(おほくにぬしのかみ)の御祖(みおや)
須佐之男命(すさのをのみこと)の系譜が説かれ 大国主神の出生が紐解かれていきます
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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
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飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます
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生國魂神社(橿原市大久保町)〈『延喜式』牟佐坐神社(大月次新嘗)〉
生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 旧鎮座地《丸山宮址》は 畝傍山の北麓に近い中腹〈こちらが本来の神武天皇陵であるかもとの説あり〉に鎮座されていたが 大正9年(1920)現在地に遷座しました 『延喜式神名帳(927年編纂)』に所載 大和国 髙市郡 牟佐坐神社(大月次新嘗)(むさにます かみのやしろ)の論社とされます
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牟佐坐神社(橿原市見瀬町)
牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)は 中世の『五郡神社記』旧記によると 第20代 安康天皇の御代 霊夢を受けた 牟佐村主青(ムサノスグリアオ)が「生雷神」を祀り創祀し 子孫を祝部としたと記しています 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載 大和国 髙市郡 牟佐坐神社(大月次新嘗)(むさにます かみのやしろ)とされます
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八阪神社・千代神社(田原本町阪手)
八阪神社・千代神社(やさかじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 式内社 千代神社は 千代村に鎮座 春日神社の境内摂社だったが 洪水の為に流失して下流 大安寺の森市神社の境内に祀られた 明治四十二年三月四日 同村 阪手村社 八坂神社〈現 八阪神社・千代神社(田原本町阪手)〉に合祀 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の現在の合祀先とされます
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春日神社・千代神社(田原本町千代)
春日神社・千代神社(かすがじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされます 天長年間(830年頃)洪水によって社殿が流れ 大安寺に漂着し遷座 大正九年(1920)地元の崇敬が厚く 当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっています
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大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
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木葉神社(橿原市雲梯町)
木葉神社(このはじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』所載 大和国 髙市郡 川俣神社三座(並大月次新嘗)(かわまたの かみのやしろ さんざ)(だい つきなみ にいなめ)とされています 創建・由緒は不詳ですが当初は この地に居住した「川俣氏」が 祖神を祀ったものだろうとされます
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河俣神社(橿原市雲梯町)
河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記され《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定されます また《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります
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森市神社・千代神社(田原本町大安寺)
森市神社・千代神社(もりいちじんじゃ・ちしろじんじゃ)は 『磯城郡誌』には「千代村に鎮座の春日神社に境内摂社であった式内社の千代神社が 洪水の為に流失して下流に流れ着き 現在は大安寺の森市神社の境内に祀られている」と記され『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 大和國 城下郡 千代神社(ちしろの かみのやしろ)とされます