国常立神社(橿原市南浦町)

常立神社くにとこたちじんじゃは 延喜式神名帳927 AD.所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)奥宮相当します

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

常立神社(Kunitokotachi shrine

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県橿原市南浦町326

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》国常立(くにたちとこのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

常立(くにとこたち)神社

祭神は常立命(天地開闢(てんちかいびゃく)とともに現れた国土形成の神)
 俗に天の竜王と称され、境内社として高龗神(たかおかみ 竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壺が埋められており、古来天の時この神に雨乞いして壺の水をえたが、まだ降雨のない節は、この社の灯明の火で松明をつくり、村中を火降りして歩いたという。
 末社に伊弉諾(いざなぎ)神社(祭神 伊弉諾命)、伊弉冊(いざなみ)神社(祭神 伊弉冊命)があり、天香久山の東山麓に鎮座する
橿原市

現地案内板より

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【由  (History)】

奈良県史』第五巻 神社〈平成元年(1989)五月発行〉によれば

国常立神社

香久山山頂の丘陵上に南而して鎮座する。

古来 雨の竜王とも呼ばれた。『五郡神社記』や『大和志料』は当社を式内の天香山坐櫛真知命神にあてているがうなずき難い
国常立命は『紀』巻第一国土形成の神としている本来当社の主神であったが、いつのころからか末社高龗神(竜王神)が雨請の神として崇敬されたためか主客位置を替え、社名だけが本来の名を残している。

切妻造の覆屋の中に並立する春日造の本殿内右側の棟札に「奉正遷宮善女竜王」「嘉永(一八五四)三月三日」とあり、左側にも「奉正遷宮善女竜王」「昭和十年十二吉日」と墨書されていて二社とも雨請神とされている。
向って右側神殿前に内径七二・五センチ、深さ約一メートルの水をたたえた壷か埋めこめられていて、古来干天時にこの水を替えると降雨があると伝えられた。

 例祭は四月十八日

奈良県史』第五巻 神社 著者 奈良県史編集委員会・編集 出版社 名著出版

名勝 大和三山 香具山

平成十七年七月十四日文部科学省指定

奈良盆地の南部に位置する、香具山(かぐやま)(152.4m)、畝傍山(うねびやま)(199.2m)、耳成山(みみなしやま)(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰(とうのみね)から北西に延びた尾根が侵食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳(そび)えるいわゆる死火山です。

三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝火山口神社、耳成山口神社などが祀(まつ)られてきました。ま、皇宮(こうぐう)造営の好適地ともされ、特に藤原京の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。

大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。

香具山は伊予風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天(あま)の香具山」とも呼ばれます。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。

橿原市教育委員会奈良森林管理事務所

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の向かって右側に並んで祀られる

高龗神社《主》高龗神(たかおかみのかみ)

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

伊弉諾神社(上の御前)《主》伊弉諾命

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祭神は伊弉冊命。伊弉諾命とともに国生み・神生みをおこなったとされている。

 國常立神社の末社であり、の御前神社とも呼ばれる。同じく末社の伊弉冊神社の御前神社とも呼ばれており、天香具山東登山わきに鎮座する。(橿原市)

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伊弉冊神社(下の御前)《主》伊弉冊命

 祭神は伊弉冊命。伊弉諾命とともに国生み・神生みをおこなったとされている。

 國常立神社の末社であり、下の御前神社とも呼ばれる。同じく末社の伊弉諾神社は上の御前神社とも呼ばれており、ここよりさらに東の天香具山の山腹に鎮座する。(橿原市)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

相嘗祭条には 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)](くしまちのみことのかみ)は 太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座とされていて 太祝詞神の如く載せられています

太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座 坐左京二条

絹(キヌ)4疋 絲(イト)2絇2両 綿6屯 調布7端3丈8尺 唐布2段2丈6尺 木綿3斤4両 鮑1斤4両 堅魚5斤4両 (きたい)〈干し肉〉8斤 凝海藻6斤 塩2升 海藻4斤 筥2合 (サラケ)缶(モタイ) 水(ホトギ)山都婆波 小都婆波 筥瓶 高盤片盤 短女杯筥杯小杯陶曰各4口 酒稲100束 神統

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

嘗祭(にひなへのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々
中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

延喜式神名帳927 AD.所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社でもあり 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮ともされます

①天香山坐櫛眞命神社(大月次新嘗・元名大麻等乃知神)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)十市郡 19座(大11座・小8座)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 天香山坐櫛眞命神社(大月次新嘗・元名大麻等乃知神)
[ふ り が な ]あまの かこやまのます くしまのみこと かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amano kakoyamanomasu kushima no miko no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

➁久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)京中 3座…大(預月次新嘗)3(うち預相嘗2)

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)左京二条坐神 2座(並大)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ]くしまちのみことのかみ)
[Old Shrine name]Kushimachi no mikoto no kami)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します


天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)の論社

天香山神社とする説「國常立神社」とする説があります

・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉

・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉


久慈真智命神(大 月次 相嘗 新嘗)(くしまちのみことのかみ)の論社

京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神の元社として 天香山神社本社 国常立神社奥宮 とする説

・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉

・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

奈良県橿原市南浦町 天香久山(あまのかぐやま)の山頂に鎮座します

香久山の観光トイレの駐車場に車を停めて 香久山の西麓の登山道から入ります

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案内板の地図は 南北が逆です 右側(西側)から進みます

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登山道の入り口に立ち 山頂を目指します

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登山道は整備されています

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香久山(かぐやま)国有林

ここは歴史的にも有名な大和三山一つで標高が152メートルあります。耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)が孤立峰であるのに対し、香久山(かぐやま)は多武峰(とおのみね)、音羽山(おとはやま)につづく龍門山塊(りゅうもんさんかい)の一部で、一番山容が目立たず面積も9ヘクタールとわずかですが、三山の中では最もよく知られている山です。

 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
  衣干すてふ 天の香具山
    持統天皇

奈良森林管理事務所

現地案内板より

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香久山山頂を目指します 要所には 道案内の立札があり 登山道を外さなければ 迷うことはありません

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頂上の開けた土地の北側に 当社の祠が南向きに並んで祀られています

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国常立神社(橿原市南浦町)に参着

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拝殿 無く 基壇上に瓦屋根を支える柱で質素に建てられています

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拝殿にすすみます 拝殿後方には 玉垣に囲われ本殿が鎮座します

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本殿向かって(東側)玉垣の外 案内板の下に手水鉢があります

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玉垣前で一礼をして 神域へと進みます

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古来 雨の竜王とも呼ばれた神社で 2つの祠が並んで祀られています

向かって左側(西側)は「國常立神社」御祭神は 國常立命 こちらが本社
向かって右側(東側)は「高龗神社」 御祭神は 高龗神 こちらは境内社

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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向かって右側 高龗神社の手前に 壺が埋められています 天に この壺の水を替えると降雨があると伝えられています

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舒明天皇が 天香久山から国見(くにみ)をされた時の歌が記された案内板があります

大和(やまと)には 群山(むらやまあれど)とりよろふ
天の香具山(あまのかぐやま)登り立ち 国見(くにみ)をすれば
国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ
海原(うなはら)は 鴎(かもめ)立つ立つ
うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

舒明天皇(じょめいてんのう)

現地案内板より

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案内板と同じ景色があります 香久山の山頂 西方は 展望が開けていて 畝傍山 背後に二上山葛城山を見渡すことができます

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社殿に一礼をして 香久山下ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します


天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)の伝承

『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

天岩戸の段では 天香久山が占い 神事に関する重要なとして 記されています

日本書紀の天岩戸の段にも同様記述があります 

【抜粋意訳】

天岩戸の段

それで 天照大御神(あまてらすおほみかみ)は見て恐れ 天の石屋の戸を開き 中にお籠りになった
そうして高天原はすっかり暗くなり 葦原中国も全く暗くなった こうして夜がずっと続いた

そこで 大勢の神々の騒ぐ声は 五月に湧き騒ぐ蠅のように一杯になり あらゆるわざわいがすべて起こった
この事態を受けて 八百万の神が天の安の河原に自ずから集まり 高御産巣日神の子の思金神に考えさせ
まず常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせ
天の安の河の川上にある堅い石を取り 天の金山の鉄を取って 鍛冶の天津麻羅(あまつまら)を捜し出し 伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて鏡を作らせ
玉祖命(たまのおやのみこと)に命じて八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りを作らせ
天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を呼んで 天の香山の雄鹿の肩の骨をそっくり抜き取ってきて 天の香山の天波波迦(あめのははか)(カニワサクラ)を取って(その皮を焼いて)真男鹿(まおしか)肩骨を焼いて占合(うらない)まかなはしめて 天の香山の茂った五百津真賢木(いほつまさかき)を根ごと掘り起こし その上方の枝に八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りをつけ 中ほどの枝に八咫の鏡をかけ 下方の枝には白い幣と青い幣をさげて このさまざまな品は 布刀玉命が尊い御幣として捧げ持ち 天児屋命が尊い祝詞を寿ぎ申し上げ
天手力男神(あめのたちからをのかみ) 戸の脇に隠れ立ち
天宇受売命(あめのうづめのみこと) 天の香山の日影蔓(ひかげかずら)を襷にかけ 真析蔓を髪飾りにして 天の香山の笹の葉を採物に束ねて手に持ち 天の石屋の戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし 神がかりして胸乳を露出させ 裳の紐を女陰までおし垂らした
すると 高天原が鳴り響くほどに数多の神々がどっと笑った

そこで 天照大御神は不思議に思い 天の石屋の戸を細めに開け 戸の内側から仰った「私がここに籠もっていらっしゃるので 天の原は自然に暗く また葦原中国もすべて暗いだろうと思うに どうして天宇受売は楽をし また八百万神は みな笑っているのか」と仰った
そこで天宇受売が申し上げた「あなた様よりも貴い神がいらっしゃいますので 喜び笑って楽をしているのです」
こう申し上げている間に 天児屋命布刀玉命は鏡を差し出し 天照大御神にお見せ申し上げた 天照大御神はいよいよ不思議に思って 少しずつ戸から出て鏡に映ったお姿をのぞき見なさるその時 脇に隠れ立っていた手力男神がそのお手を取って外へ引き出すやいなや 布刀玉命が注連縄を天照大御神のうしろに引き渡して申し上げた「これから内へおもどりになることは出来ません」と申し上げた
こうして天照大御神 お出ましになった時 高天原も葦原中国も自然と照り明るくなった

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『万葉集(Manyo shu)〈7世紀前半~759年頃〉』に詠まれる歌

第10巻 1812番歌
作者 柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)
題詞 春雜歌

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【抜粋意訳】

巻十 春雑歌1812

訓読
ひさかたの 天の香具山(あまのかぐやま)このゆふべ
(かすみ)たなく春立(はるた)つらしも


天の香具山(あまのかぐやま)に 今日この夕方
(かすみ)がたなびいている ああ春になつたらしい

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

香具山北麓に鎮座 と記しています

【抜粋意訳】

天香山坐櫛眞命神社 大月次新嘗 元名大麻等乃知神

天香山は阿米乃加具夜萬、櫛真は久慈眞智と訓べし
〇祭神明か也
○香具山北麓に在す、今 北浦神と称す、(大和志、同名所図会)、
〇日本紀、神武天皇 戊午年八月、夢有天神訓之曰、宜収天香山社中土、以造天平瓶八十枚、并造嚴瓶而敬祭天神地祇、

類社 左京二條坐久慈真智神

神位 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉れ授に 大和国 従五位下 天香山大麻等知神 従五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社の天香山坐櫛眞命神社所在は 天香山の山頂にある祠〈現 国常立神社(橿原市南浦町)〉と記しています

【抜粋意訳】

天香山坐櫛眞命(アメノカグヤマニマスクシマノミコトノ)神社

延喜式神名帳天香山坐櫛眞命神社 大月次新嘗 元大麻等乃知神
三代実録天香山大麻等野知神ニ作ル
新抄格勅符抄ニ「櫛眞知乃神 一戸 大和」と見ゆ。
神名帳に謂ゆる 右京二條坐久慈真智命は もと当社の分霊祭れるものなり、事下に引ける亀相記に見えたり。
当社の所在は大和志に「在ニ 香久山北嶺属ニ 南浦村乃称ス北浦神ト・・」とあれども、社名に天香山坐の冠するのみならず、
五郡神社記に「在ニ神戸郷香山村山頂ニ 但東向」とあれば無論山上にあれしなり、今 山頂に一小祠の存するは これ当社の名残りなるべし。

註 神社明細帳に指定村社香山神社 十市郡南浦村字天指、祭神 櫛眞命由緒大麻呂井夫和神と云ふ、貞観元年正月授 従五位上 延喜式内とあり。

案ずるに五郡神社記に「天香山坐四處神社、帳云、十市郡 天香山坐櫛眞命神社一座 大月次新嘗 在に神戸郡香山村山頂に但東向
亀卜伝授・・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813


久慈真智命神(大 月次 相嘗 新嘗)(くしまちのみことのかみ)の伝承

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

久慈真智命神は 太祝詞神を主としている 平安京〈現 京都〉遷宮の際 二柱の神は 大和国〈現 奈良〉より遷座して 平安京に近い遷座先の神が尊崇を受け 元社は後れて 神位を授かっている と記しています

【抜粋意訳】

久慈真智(クシマチノ)命神

久慈真智は假字なり
〇祭神明らかなり
〇四時祭式上、新年祭條 卜定神祭二座とある一座なり、
 四時祭式下、相嘗祭條には、太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座と前神の如くにも載せられて、総ては太祝詞神を主として、この神の上まで称(まじ)さざりける也、されば この神を言挙(ことあげ)せるものなし、旧説に大和国より遷せりといへり

類社 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)

神位 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉れ授に 左京職 従五位上 久慈真智命神 正五位下

按るに、この二柱は卜庭を守り給ふが故に、遷都の時に、社を建て、大和国なるを、今の京にも奉斎れるなるべし、然て後は自(オノズ)から帝都に近き方を尊崇せられけむ、本社たる大和国 太祝詞神社には、神位の事も見えず、對馬国なるは、やうやう正五位下に叙し、また大和国 櫛真命神社も、別名もて従五位上を授け給ひ、共に当社には後れたり、かかる例は古今に多き事也けり、

古語拾遺曰、・・・
儀式曰、・・・・・
四時祭式上曰、・・
太政官式曰、・・・
民部省式曰、・・・
掃部寮式曰、・・・
西宮抄曰、・・・・
北山抄曰、・・・・
江次第曰、・・・・
朝野群載曰、・・・

神祇官勤奏・・・・

神祇官
卜ニ時推平否事・・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

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国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

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国常立神社(橿原市南浦町) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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