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木積神社(京丹後市大宮町久住)〈『延喜式』木積神社〉

木積神社(きづみじんじゃ)は 伝記には 丹後国與謝郡「三重郷」五十日眞黑人(いかがまくろうど)の宅に潜在した伝承を持つ 二皇子〔弘計尊(をけのみこと)〈第23代 顕宗天皇〉・億計尊(おけのみこと)〈第24代 仁賢天皇〉〕を祭神とする 延喜式内社 丹後國 與謝郡 木積神社(こつみの かみのやしろ)の論社です

木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)〈『延喜式』阿知江神社・木積神社〉

木積神社(きづみじんじゃ)は 江戸時代には山王大神 又 大和國三輪より勧請した三輪大神とも云われていました 罹災等により建築物 社記 古文書等を消失しましたが 2つの式内社〈①丹後國 與謝郡 阿知江神社(あちえの かみのやしろ)②丹後國 與謝郡 木積神社(こづみの かみのやしろ)〉の論社となっています

加悦天満宮&〈境内社〉吾野神社(与謝野町加悦)〈『延喜式』阿知江神社・吾野神社〉

天満神社(てんまんじんじゃ)&〈境内社〉吾野神社(あがのじんじゃ)は 加悦天神山に鎮座します 天神山は元々は吾野神社の鎭座する神域でしたが 桃山期 天正年中 天滿大自在天神がこの山の一部に勧請され 天滿信仰が隆盛となり 庇を貸して母屋を取られた形で 天神山の山頂に鎮座する吾野神社は 本坐であった事は忘れ去られています

吉野神社(宮津市文珠宮ノ谷)〈『延喜式』吾野神社〉

吉野神社(よしのじんじゃ)は もと智恩寺の鎮守社 三宝荒神でしたが 明治六年 神仏分離で智恩寺を離れ この地に新たに霊代を奉安し社号を改めました 又『神祇志料』に「須津村より文殊村に出る道を和野塙(わのはな)といふは吾野の訛なり」とあり 延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)の論社でもあります

上山神社(伊根町字菅野小字宮山)〈『延喜式』吾野神社〉

上山神社(うえやまじんじゃ)は 社伝によると 醍醐天皇延喜五年(九〇五)撰上の延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)であると伝えるが 創立年代は後一条天皇長元九年(一〇三六)としています 江戸時代後期に編纂された『丹哥府志(たんかふし)』には延喜式内 吾野神社なり と記されています

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