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霧島東神社(高原町祓川)〈『續日本後紀』霧嶋岑神・『延喜式』霧嶋神社〉
霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は ゛天之逆鉾゛を社宝とし〈高千穂峰の山頂の天孫降臨伝説の地〉第10代崇神天皇の御代 霧島山を信仰する社として創建と伝わる 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(きりしまの かみのやしろ)の論社で 天暦年間(947~957)性空上人が別当寺 錫杖院を建立し 霧島六社権現の一つとなった
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霧島神宮(霧島市霧島田口)
霧島神宮(きりしまじんぐう)は 旧記に 欽明天皇の御宇(540)はじめ高千穂峰と御鉢「噴火口」との中間 脊門丘(セタヲ)に奉斎され 後 御山の噴火の為 悉く炎上し 天暦年間(950)性空上人が高千穂河原に再興奉遷した 後 文暦元年(1234)の大噴火で 社殿 僧坊寺が災禍に遭い 今から500年程前に現在地に鎮座しました 式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(貞)(きりしまの かみのやしろ)の論社です
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霧島岑神社(小林市細野)
霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)は 社伝に 往古 高千穂峰(矛峰)と火常峰(御鉢)の間 脊門尾(セタオ)に鎮座と伝わり 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(貞)(きりしまの かみのやしろ)の論社です その後 韓国岳 大幡山 御鉢 新燃岳の噴火で相次いで神殿を焼失しては造営を繰り返し 明治6年(1872)夷守神社を霧島岑神社に合祀した上で 現在地〈夷守神社の社地〉に霧島岑神社が遷座されました
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八幡神社(能美市鍋谷町)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は 古代の豪族 和気公と江沼臣春日部の先祖が居住し 各々の祖神・白山比咩神・蟹淵ノ神・水無谷の風ノ神などを祀ったのが始まりと伝 天平勝宝元年(749)興福寺領となり 後 八幡神を勧請 明治40年に7社を合祀 その一つに式内社 能美郡 滓上神社の論社 滓谷神社があります 境内には 家立(やだ)ちの大事業を行った 杉本庄兵衛の徳をたたえ 鍋谷の祖霊(それい)として祀(まつ)られています
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滓上神社(小松市中海町)〈『延喜式』滓上神社〉
滓上神社(かすかみじんじゃ)は 社伝に「垂仁天皇の皇子五十日帶彦命が越国に下向 越前を経て当地に幾星霜駐留あらせられ」と云う延喜式内社 加賀国 能美郡 滓上神社(かすかみの かみのやしろ)です 発祥の地 奥宮は東南2km程 その後北方200m平地から明治17年(1884)大洪水被災し明治22年(1888)現 高台に遷座
