榛名神社(高崎市榛名山町)

榛名神社(はるなじんじゃ)は 第2代 綏靖天皇〈即位 BC584~582年頃〉の御代 饒速日命の御子 可美真手命 父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりと云う 第31代 用明天皇 元年(586)祭祀の場が創建と伝わります 式内社 椿名神社(はるなの かみのやしろ)〈つばきなのかみのやしろ〉であるとされ 社号の゛榛名゛と゛椿名゛の文字の違いについても諸説があります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

榛名神社(Haruna shrine

通称名(Common name)

・榛名山(はんなさん)
・お榛名様(おはんなさま)

【鎮座地 (Location) 

群馬県高崎市榛名山町849

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)[鎮火・開運]
埴山姫神(はにやまひめのかみ)[五穀豊穣]

合祀
水分神(みまくりのかみ)
[水の神]
高靇神(たかおかみ)[水の神]
闇靇神(くらおかみ)[水の神]

《明治以降合祀》
大山祇神(おほやまずみのかみ)
[山の神]
御沼靇神(みぬまのおかみのかみ)[水の神]
大物主神(おほものぬしのかみ)[大国様]
木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)[縁結び・安産守護の神]

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・天下泰平・国家安泰
鎮火・開運
・家内安全・五穀豊穣
・商売繁盛・縁結び・安産守護の神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒書によれば

第2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)の時代〈即位 BC584~582年頃〉
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の御子 可美真手命(ウマシマデノミコト)父子が山中に神籬(ひもろぎ)を立て天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったのが始まりといわれ
第31代 用明天皇(ようめいてんのう)元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられます

古くから神仏習合が定着し 南北朝時代ごろから衰退
天海僧正の手により榛名山は復興され慶長十九年(1614年)上野寛永寺の下 管理がされます
明治の神仏分離により仏教色が廃され 元の榛名神社の社号に復した

由緒

 第三十一代用明天皇元(丙午)年紀元1246(西暦586)、創祀と伝えられ、延喜式内の古社で上野十二社の六の宮である。
南北朝時代から座主執行の二職が置かれ、徳川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が長く続き、東叡山上野寛永寺の管下に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理して居たが、明治初年神仏分離の改革により榛名神社に復した。

御祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)[鎮火・開運]
埴山姫神(はにやまひめのかみ)[五穀豊穣]

例祭5月15日。

社殿は 寛政4年(190年前)の改築、周囲の巨厳と調和して建立されたもので荘厳の極致を表している。
御祭神は社殿の後ろに立てる御姿岩の洞窟中に祀られている。
榛名神社の太々御神楽(神代舞)36座は享保時代(約270年前)以前より伝えられたもので、その舞と拍子は極めて荘重古雅で昭和27年3月無形文化財に指定されている。

御宝物と古文書
 大織官藤原鎌足公真筆経文一、小野道風の真筆経文一、平相国清盛公真筆経文一、庁宣一、足利持氏の許状(応永30年3月28日)一、鎌倉御所入道知行書一、長野伊予守立願書一、鎌倉執事上杉憲房の制札、同上杉憲政の制札一、武田信玄の高札 鏡之部 八ツ花形(鏡経6寸白銅製奈良朝以前の物という)一、円形鏡(経5寸4分乳鏡)一、円形鏡(経8寸裏に松喰鶴の模様あり)一、円形懸仏(経8寸7分十一面観世音細線の像あり奈良朝の物という)一、円形懸仏(経8寸4分裏に大檀那源氏女弘安4年8月とあり)一、円形懸仏(経6寸5分裏に富士権現とあり)

随神門(旧二王門)
 1847年(弘化4)上棟、棟梁は埼玉県宮内の関根修理、神仏分離までは2力士像があって雲慶の作と伝えられていた。

矢立の杉
 400年前武田信玄が箕輪城(城主長野信濃守)攻略のみぎり矢を立て戦捷祈願せられたる杉の巨木で周囲10米余、枝南七米余、北5米余ありさながら天をつくが如くである。近くに矢の久保、のぞき岩等の古戦跡がある。昭和8年文部省一般史蹟に天然記念物として指定されている。

双龍門
 八棟造りの建物で、原山宿大工棟梁清水和泉の建立したもの、彫刻は熊谷宿長谷川源太郎の作で、中国の三国史から取材したものである。

尚榛名神社社殿(幣殿、間殿、拝殿)国祖殿、額殿、神楽殿、双龍門の7棟及び鉄燈篭(元享3年奉納)一基は昭和57年4月20日、県より重要文化財として指定せられた

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

榛名神社 由緒

当社は第三十一 用明天皇 丙午元年(一.三〇〇余年前の創祀で延喜式内社である徳川時代の末期に至るまで神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺などと称えて、上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。

御祭神 火産霊神(ほむすびのかみ)(鎮火開運)
    埴山毘売神(はにやまひめのかみ)(五穀豊穣)

社殿は寛政年の改築(一七〇余年前御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている
神代舞(太々神楽三十六座)二五〇年前から伝えられたもので国の無形文化財に指定されている

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

境内案内図

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榛名神社

≪国指定重要文化財≫ 平成17年12月27日 指定

本社・幣殿・拝殿
 文化三年(1806)の再建。手前が拝殿、奥が本社で両者をつなぐのが幣殿。 本社、拝殿ともに人母屋の権現造。屋根は銅板葺。目貫の鷲、左右海老虹梁の二能など彫刻が多い。 格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師根本常南の筆。 祭神は火産霊神、埴山毘売神。

国祖社・額殿
 国祖社はもと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを、 いつの頃からか本社のそばに摂社として祭るようになったと伝えられ、 天保十二年(1841)に修復された。 祭神は豊城入彦命、彦狭島命、御諸別命。
 神仏分離以前は本地仏を安置し、本地堂とも呼ばれた。
 額殿は文化十一年(1814)、国祖社に増築する形で建立。 本来は神楽の拝見所であるが、大小の「太々御神楽」の扁額を掲げてあることから額殿と呼ばれている。

双龍門
 竣工は安政二年(1855)。間口十尺、奥行九尺。総欅造。 四枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。 羽目板の両面には「三国志」にちなんだ絵柄が彫られており、 天井の上り龍、下り龍とともに双龍門の風格を高めている。 棟梁群馬郡富岡村清水和泉、彫刻武蔵熊谷宿長谷川源太郎、天井の龍は高崎藩士矢島群芳の筆。

神楽殿
 明和元年(1764)十一月の再建。方二間の高床形式。 神に奉納する神楽を演じる場所であり、 本殿と向かい合い、床の高さを同じくする。 棟梁は佐藤直右衛門。

神幸殿
 矢立スギから少し登った左手にあり、安政六年(1859)の建立。
 塗装は施されておらず、古式の仏堂の形式を踏襲している。

随神門
 二ノ鳥居をくぐった正面にある八脚門で弘化四年(1847)の建立。 神仏習合時代には仁王門であったが、現在は随神が祀られている。

≪群馬県指定重要文化財≫ 昭和五十七年四月二十日指定 鉄燈籠
 銘文によると元亨三年(1323)に沙弥願智が大工芳十光長に作らせ奉納したとある。 材質が鉄であることや基礎の獅子が浮き彫りにされている格狭間の形状などに鎌倉期の特徴がよく表れている。 鉄灯籠として県内最古。

群馬県教育委員会 高崎市教育委員会

現地案内板より

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御姿岩(みすがたいわ)

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・本殿御姿岩の中

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・幣殿(へいてん)

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・拝殿(はいでん)

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・國祖社(こくそしゃ)・額殿

《主》豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)〈崇神天皇の皇子・毛野国君の始祖〉
   彦狭島命(ひこさしまのみこと)〈豊城入彦命の孫〉
   御諸別命(みもろわけのみこと)

もと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを 本社のそばに摂社として祀るようになったと伝えられる

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・杵築社(きづきしゃ)

《主》大国主命,事代主命《合》豊宇気姫命,五十猛命,大屋津姫命,誉田別命,経津主命,奥津彦命,奥津姫命,日本武命,

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・石祠〈御姿岩の下

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・神楽殿(かぐらでん)

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・鉄燈籠(てつとうろう)

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・九折岩(つづらいわ)

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・雙龍門(そうりゅうもん)

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・ヌボコ岩

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・神門(しんもん)

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・神幸殿(みゆきでん)

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・矢立杉(やたてすぎ)

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・御水屋(おみずや)

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・暦杼楓(れきじょふう)・瓶子瀧(みすずのたき)

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・万年泉(まんねんせん)

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・神橋(しんきょう)・行者

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・塞神社(さえのかみしゃ)

《主》八衢比古命,八衢比賣命,来名戸神

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・三重塔(さんじゅうのとう)

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・三之鳥居

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・塩原太助奉納玉垣

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・秋葉山神社(あきばじんじゃ)

《主》秋葉神,氷室神,天津神,国津神,雷天神,風天神

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・千本杉(せんぼんすぎ)

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〈七福神(しちふくじん)〉

・弁財天

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・大黒天

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・恵比寿

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・布袋尊

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・福禄寿

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・寿老人

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・毘沙門天

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・石祠

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・隋神門(ずいじんもん)

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・二之鳥居・社号標

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・大鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・榛名湖・榛名富士・烏帽子ヶ岳

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・御沼龗神社(みぬまおかみじんじゃ)

《主》水分神,高龗神,闇龗神

・富士山神社(ふじさんじんじゃ)

《主》木花開耶姫神

・男根岩(だんこんいわ)

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・一之鳥居

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)上野國 12座(大3座・小9座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)群馬郡 3座(大1座・小2座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 椿名神社
[ふ り が な ](はるなの かみのやしろ)つばきなの かみのやしろ
[Old Shrine name]Haruna no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『上野国神名帳(kozuke no kuni jimmeicho)』〈寛政5年(1793)〉に記される伝承

上野国神名帳に 正一位 榛名大明神として記されています

【抜粋】

上野国神名帳

上埜国捴五百七十九座 鎮守十二社 正一位

明神
赤城大明
伊香保大明
榛名大明
宿祢大明
大明
火雷大明
・・・・・
・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『上野国神名帳』『群書類従 神祇部 23』塙保己一寛政5年(1793)- 文政2年(1819)木版刊行https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037294&ID=M1000000000000049991&TYPE=&NO=

『上野名跡志(kozukemeisekishi)』〈嘉永6年(1853)刊〉に記される伝承

箕輪の項には〈現 椿名神社 旧鎭座地(高崎市箕郷町西明屋)〉を゛延喜神名式に群馬郡三座の内   椿名神社是なり゛と 式内社 椿名神社であると記し さらに゛其所 椿名とあり゛゛箕輪故城の東南 椿山と云に古祠あり゛゛箕輪の城跡より東ノ方八丁許に 椿名大神宮ませり゛と詳細を記しています

あるいは 式内社゛榛名の里宮゛ではないだろうかとも 記しています

【抜粋意訳】

上野名跡志 二編 群馬郡 名義東西二郡ノ事

〇箕輪

 後上野志ニ箕輪ハ明屋村也ト云
・・・
・・・

〇箕輪故城の東南 椿山と云に古祠あり 天照皇大神 三輪大明神 西宮大神 三社合殿と云 額には三輪大明神とあり

延喜神名式に群馬郡三座の内   椿名神社是なりと云

神名帳頭注に椿名神社 其所 椿名とあり
もと椿名は 榛名を冩〈写〉ひかめくるにはあらずか 字形よく似たり
名跡考に云 如く斯は もと榛名の里宮などにはあらぬか

山吹日記に 箕輪の城跡より東ノ方八丁許に 椿名大神宮ませり
石室の上に 宮居立りと見ゆ 式には椿名とあれど 椿名の方まさらんか
神名帳の頭注にて 榛名 椿名一山と聞ゆと云
名跡考にも 此あたり迄 榛名の地内ならんといえり

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『上野名跡志』https://dl.ndl.go.jp/pid/763824/1/145著者 富田永世 出版者 篠原叶 出版年月日 明18.11

権田村の項には 式内社 椿名神社として〈現 椿名神社(高崎市倉渕町権田)〉の記載はありません

榛名山の項には 式内社 椿名神社として〈現 榛名神社(高崎市榛名山町)〉が 詳細が記されています

又 榛名山は 上古は伊香保山と呼ばれ ・伊香保・椿名の両式内社は一か所に在ったのであろう
榛名神社〈現 榛名神社(高崎市榛名山町)は゛式内社 伊香保ノ神社゛であり 式内社 伊香保神社は〈現 若伊香保神社(渋川市有馬)〉であろう とも記しています

さらに 古代の参道は 箕輪の方から登っていたので 今 箕輪椿山にある〈現 椿名神社 旧鎭座地(高崎市箕郷町西明屋)〉は 里宮であったのだろうとも記しています

【抜粋意訳】

上野名跡志 二編 群馬郡 名義東西二郡ノ事

〇権田村

・・・・
・・・・

〇榛名山

・・・・
・・・・

後 上野志に舊事大成經を引いて 舊事紀 天孫本紀の彦湯支命にます也
是は 伊香保ノ神社にまして 伊香保ノ湯前明神は 若伊香ノ神社なるへしと云

山吹日記に 榛名大明神は 元湯彦命とも満行將軍とも埴安大神とも云
元湯彦命と申御名は 大成經に出たる説にて正しきものにはふつに見えねば用いがだし 満行將軍の名も なえて聞えされば おぼつかなし 埴安大神と申そ まづはうへしきよう也と云
上野名跡考に 伊香保ノ神社は 今云榛名にして 伊香保ノ湯前明神は 若伊香保ノ神社ならんと上野志にいえる予か 按する所と符を合たるが如し
伊香保ノ神社は 延喜式に名神大とありて月次奉幣にあづかる大社也 椿名ノ神社は 小社也 然てー山を榛名山とし 温泉ノ地のみ伊香保と思は誤也
萬葉ノ歌等によりて見れば榛名山は なべて上古は 伊香保山と云しなるべし
さて 伊香保 椿名ノ両社は ー所に有しなるべし 椿名の椿ノ字は 椿名(ハル)と よむべきを 椿名とよむは誤也 然て後に いつしか榛名と文字をも書替たるなり
さて古道は 箕輪の方より登しにて 今 箕輪椿山にますは 里宮なるへし
榛名山満行宮は元湯彦大神 此山往古は 繁昌ノ地にて三千百坊あり云々)
西遊行嚢抄にも 春名山は延喜式の伊加保ノ神社也と云)

かく書ともに 榛名伊香保ノ神社なりといえど たしかなる證もなし
名跡考に 大社小社をいえるもあたらぬ事なり
神の御上にも盛衰ありて 式に見え玉へる御神も 今は八播 天神 牛頭天王などに成玉ひしもあり 亦は其御跡さえ定かなをぬもあるに 式外ノ神の今栄え玉ふもある也

今 温泉の地のみ伊香保と思は誤也と言わざる事也
伊香保ノ沼も榛名に近ければ 伊香保ノ根呂は廣かりけんかし されど榛名ノ山は なべて伊香保山と言しならんとは 榛名を伊香保ノ神社と思うからなり 椿名と書替たる也といえど 蘇比乃波里波良とよめりしを思うに 榛ノ字よしあり
亦上野國ノ神名帳に 榛名明神は群馬西郡に四座 勢多郡に二座 片岡郡に一座見え玉えと 椿名明神は一所も見え玉わぬにても 椿は榛の字の誤写なる事あきらか也

伊香保 椿名の両社は 一所に有しなるへしと言は 神名帳の頭注に椿名とあれど 實は榛名の書損也とは 下心には思玉えと さも註しがたければ 其所 榛名と書れしなるべし すなわち榛名は 式の椿名ノ神社にて 上野國ノ神名帳に 正一位 榛名大明神と見え玉う大神也

箕輪の椿山は 此の榛名ノ里宮なとなるべし
後按 一宮に傳し 古写本の写しなりと云 上野國ノ神名帳には 西群馬郡に従一位 椿名木戸明神と見えて 搞本外一本に片岡郡西群馬郡に榛名木戸明神とあるをも椿名木戸明神と書り名跡考の説の如く 椿名は ハルナにや猶可考

・・・
・・・
・・・

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『上野名跡志』https://dl.ndl.go.jp/pid/763824/1/145著者 富田永世 出版者 篠原叶 出版年月日 明18.11

国立国会図書館デジタルコレクション『上野名跡志』https://dl.ndl.go.jp/pid/763824/1/145著者 富田永世 出版者 篠原叶 出版年月日 明18.11

国立国会図書館デジタルコレクション『上野名跡志』https://dl.ndl.go.jp/pid/763824/1/145著者 富田永世 出版者 篠原叶 出版年月日 明18.11

国立国会図書館デジタルコレクション『上野名跡志』https://dl.ndl.go.jp/pid/763824/1/145著者 富田永世 出版者 篠原叶 出版年月日 明18.11

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 上野国 群馬郡 榛名神社(はるなの かみのやしろ)〈椿名神社(つばきなの かみのやしろ)〉の論社

・榛名神社(高崎市榛名山町)

・榛名社(高崎市箕郷町西明屋)跡地
〈旧登山道東口の里宮 or 旧鎭座地 跡地〉

・諏訪神社(高崎市箕郷町東明屋)
〈榛名社(高崎市箕郷町西明屋)跡地の合祀先〉

・椿名神社(高崎市倉渕町権田)
〈旧登山道西口の里宮〉

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR高崎線 高崎駅から北西へ 榛名湖を目指し約27.4km 車50分程度

県道211号線で榛名山の南面を上ると 途中 一の鳥居が建ちます

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神仏習合の香りが強く残っている宿坊の立ち並ぶ参道を進むと 社頭の社号標と鳥居が建ちます

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榛名神社(高崎市榛名山町)に参着

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社頭から本殿まで550mと案内があります

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隋神門をくぐると 深い緑の杜に包まれる参道を進みます

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整備された参道には 石畳が敷き詰められてゆったりと歩けます

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参道の右下は渓谷となり 榛名川が流れています

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途中 石段があり 左手に三重塔 右手には杉の巨木

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岩の落石防止のような通路があります そして行者溪の大岩

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大岩と巨木の景観の中 参道を進みます

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渓谷の反対側には 瓶子瀧(みすずのたき)

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雙龍門(そうりゅうもん)とヌボコ岩

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左には 摂社の國祖社(こくそしゃ)
この時は修繕工事中で 写真がシートにあり

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以前の写真では

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お参りをします

本社の拝殿の奥には 幣殿が続き 更に本殿は 背後に聳える御姿岩(みすがたいわ)の中にあります

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それにしても 御姿岩(みすがたいわ)とは云い得ています

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この岩々と杉の巨木の聳え立つ境内には圧倒されます

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参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 椿名神社について 所在は榛名山に在す〈現 榛名神社(高崎市榛名山町)〉 祭神はよくわからないと記しています

【抜粋意訳】

椿名神社

椿は 波留名と訓べし
〇祭神 分明ならず
榛名山巌殿寺縁起記、元由彦友命、又名 彦由支命、」
地名記云、埴安姫命荒魂四座、和魂三座、

〇榛名山に在す、地名記 今 満行大権現と称す
〇萬葉集十四上野歌に、
伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆
〈いかほろの そひのはりはら ねもころに おくをなかねそ まさかしよかば〉

連胤按るに、西野撮土云、 いかほの沼は里より二里半はかり山をへて、はんなの方にありと云へり、萬葉に、蘇比乃波里波其とある蘇比は添にて、沼に近き處と見えたり、地名記、椿名神社と伊加保神社は其間 二里と云へり、

神位
國内神名帳云、正一位 榛名大明神

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 椿名神社について ゛榛を椿に作る誤れり゛とし 所在は榛名山に在り〈現 榛名神社(高崎市榛名山町)〉と記しています

【抜粋意訳】

榛名(ハルナノ)神社

〇按 本書 榛を椿に作る誤れり、今 上野國神名帳に據て之を訂す、

今 榛名山に在り、満行権現と云ふ、上野國志、山吹日記、巡拝舊祠記、神名帳考、

即 六宮也、神道集

今 四月八日、十五日、九月九日祭を行ふ、熊谷縣注進状

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 椿名神社について 祭神を゛稲田姫命゛とし 所在は榛名山〈現 榛名神社(高崎市榛名山町)〉と記しています

【抜粋意訳】

椿名神社

祭神 稻田比

 四月八日 十五日 九月九日
社格 郷社

所在  榛名山 (群馬郡室田町大字榛名山 )

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

榛名神社(高崎市榛名山町)ついて 式内社 椿名神社であると記しています

【抜粋意訳】

〇群馬 上野國 群馬郡室田町大字榛名山

縣社 榛名(ハルナノ)神社

創立年代詳ならず、舊と満行権現と称延喜の制式内の小社に列せられ (式には榛を椿に作ると雖も、榛の誤字なること先人既に説なり)國帳に 正一位榛名大明神と見え、當國六の宮たり、往古は頭甚だ盛大して、社家三千百坊とせられしが後衆徒戰爭に加はて敗を取りし以來社運衰加ふるに後 村上天皇 正平六年二月兵に罹り  古記錄 古器を失ひ社運益々衰に傾きしが德川慕府 社領五十石を寄進しく社運回復するに至れり、境内建久、文永年間の金石の銘あり元文五年萬年泉の銘に云く、山祠廊奉天由(〇中略)緩靖入山之窟隠者(〇中略)用明時始架構於前卽今廟堂也」、と元より俗説に過ぎすと雖も、亦以て當社の古社なりし一證として見るべし、明治の初、縣社に列す地方有数の大社とす。

社殿は本殿・拜殿・神饌所・神庫・神樂殿、額殿、雙龍、神門、神輿殿、社務所随身門等あり、境内は四萬五百五十坪 榛名山中に在り岩石の間を切開きて社地とす渓流として其麓を饒り頗る幽の境た、石を昇れば、雙龍門の側に天柱の如く聳ゆる巨あり、ケ岳といふ、社背亦怪岩の立するあり、御姿石といふ形狀人に似たり、里俗其のに白幣を立て、之を崇敬す。

境内神社
杵築神社  熊野神社 八幡 抜鉾神社 養蚕神社 竈神社
塞神社 御祖霊神社  氷室神社  貴船神社  龍田神社  東照宮
諏訪神社 岩長神社 稻荷神社 三輸神社 菅原神社 大山祇神社
天津神社 國津神社 宇豆女神社 五柱神社 鈿神社 三島神社

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

『上野國志(Kozukekokushi)』〈明治43年(1910)〉に記される伝承

榛名神社(高崎市榛名山町)ついて 式内社 椿名神社であり 榛名山行大権現と呼ぶとし 祭神は゛元湯彦命゛であると記しています

【抜粋意訳】

群馬郡 〇神社

榛名山行大権現と

延喜式曰、群馬郡 椿名神社、

神社本紀曰、背野國 ,秦名神祠、高丘宮天皇時元湯建大神至這國鏡坐先是、橿原宮天皇時、與父神 美眞道(うましまちの)大神伏夷賊亦戦大力之惡神咸殺之咸伏之依之此主勝軍道

大成經皇孫本紀曰、元湯彦命は、眞道見命子、石長媛命、葛城高商丘宮の御宇天皇時、元(はじめ)爲足尼(たりあま)也、次爲申食國政大夫、奉斎(いつき)大神、俱父命神、前征(すすみて)東夷、至 尾張國、戰猛力雄(たけちからをの)神、此神力至強、常食以神兒、元湯彦神、競戈相闘(せめあひたたかふ)猛力雄神遂屈請服、赦之尚撃 至参河國、伏隠飡(かけくひ)彦鬼、尚至科野國、殺 綠長祇鬼(あなたけすみのをに)、還上(のぼりて)佐萬、機壽百十萬七千五百八十五歳、登廿瀨峯、刺山而入、双槻(なみつき)宮御宇天皇之御代、出毛上国榛名山峯、形人(あらひと)神名云 満行権現、

謹按神史、元湯彦命者、天照太神五代之孫也、(天照皇太神、天忍穂御水尊、饒速日尊、熟美眞味命、元湯彦命、)物部之遠祖也、十巻き舊事本紀、天孫本紀、湯彦命と同神なり、

圭田山中方三里、
別當岩殿寺満行院、天台宗東叡山兼帶、社壇は盤石に作掛てあり、其巖、宮の上に蓋ふ社の四邊、奇石怪岩、重畳環峙て、實に仙境と云べし、其宮上を蓋ふ高岩を、御姿と云、本地堂勝軍地藏 東西堂、攝社九十九所 三重塔,

境地、
覚満窟 行道窟 行者谷 護摩壇洞 弘法大師所修護摩處、常時鈴今猶存焉、日天嶽 月天嶽影向石 神馬蹄石 牛頭石 天狗腰掛石 宮社傍不許人往 醫王閣左 役行者殿右 大山府君中 袖摺嚴 神社へ行路 萬年泉 碑銘あり

榛名山萬年泉銘井序
上野有榛名山、層峰重積、險阻而盤回、西北嶺口、窪爲ー泓、池潤数千畝、池之左路通信州、一大山乎、山有祠廟、奉祀元由彦命、命宇摩志麻治命之子、相神武緩靖、後入山之窟隠去、乃共薨矣、其窟窈冥、浅深莫測焉、用明時、始架構於前、即今廟堂也、相距十三四步許、路左出檻泉焉、湧自巌、雖旱獠、弗溢弗涸、名曰萬年泉、緣崖穿爲洞、爲・・・・・・・・
・・・・

【原文参照】

『上野国志』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/763813/1/1著者 毛呂権蔵 (義郷) 著 出版者 環水堂 出版年月日 明43.9

『上野国志』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/763813/1/1著者 毛呂権蔵 (義郷) 著 出版者 環水堂 出版年月日 明43.9

『上野国志』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/763813/1/1著者 毛呂権蔵 (義郷) 著 出版者 環水堂 出版年月日 明43.9

『群馬県群馬郡誌(Gunmaken gunmagunshi)』〈大正14年(1925)〉に記される伝承

榛名神社(高崎市榛名山町)ついて 榛名山巖山にあり 式内社 椿名神社であり 榛名山行大権現と呼ぶとし 祭神は゛土御祖埴山毘賣神・火御祖火産神゛であると記しています

【抜粋意訳】

群馬県群馬郡誌
第五章 第一節 神社
    第二項 縣社

二、榛名神社(室田町)

【由緒】

 室田町大字榛名山巖山にあり、創立は社傳に據れば神武・緩靖両朝の御宇 饒速日命の御子 可美眞手命・及び孫 彦湯支命父子東國裁定の任果てて、榛名山中に薨ぜりと言ひ傳へ、山上に神籬を立てて、天神地祇を祭り皇孫を壽き奉り、永く東國五穀の豊穰を祈り國家鎭護の霊場なりしといふ。用明天皇元年四月八日始めて齋祀を行はれ鎭魂祭の遺法に因り十月中の寅の日を以て皇祖の無窮皇孫の天壽を祝福し奉るといふ、祭神は土御祖埴山毘賣神・火御祖火産神なり。

 社格は維新前迄は満行宮大椎現と称し來り、明治元年榛名神社と復稱し、同五年郷社に列し、同十七年三月縣社に昇進す。當社は醍醐天皇の御宇錄せられたる延喜官帳上野十二社の中にして祈年班幣に預れり、又上野國神名帳に正一位榛名大明神とあり、建久元年の廳宣には檢非違使健兒両使を榛名山に於て停止すべき事、及本地といひ垂跡と云ひ特殊の神域に坐せば國家鎭護の霊地にて、天長地久の仙苑なわと明鑑あらせ給ふ、仙覚萬葉集抄 (鎌倉時代 )には榛名山は古來より、雨乞の勅使を立てさせられし霊山とあり、文永五年の鐘銘に榛名山巖寺とあり、鎌倉二位尼政子は源家繁昌の爲め當社へ祈願を籠めしといふ、南北朝の際 榛名山座主領の爭奪戰等ありて遂に鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社務執行兼帶してより俗別當職の管掌となる、以來山中社家神主の統一なく英雄の割拠に任せ法印山伏の各所に蟄居せるありて反覆常なかりき、徳川家康天海僧正を引きて駿河或は仙波に論議を構ふるに方りて本多佐渡・井伊直政の斡旋に預り徳川家康の黑印の法度と天海の掟制に應じて天台宗上野寛永寺に属せり、家光の朱印より代々書替をなし來りしがに維新の変革に際し徳川氏大政奉還ありてより榛名山朱印十一通は太政官に返上せり、實に明治元年三月の事なりき。

 榛名山神領は上古はいかほ山と呼び上毛野始祖豊城入彦命の御子孫代々の御料地なり、中古山中三里四方榛名山神領と稱し來り天台・眞言修驗の霊地にて王法守護國家鎮護の道場なり、早く比叡山延暦寺に属し榛名山座主と唱へ藤原道長の後胤世襲し之が庄園となり南北朝時代に至るまで二十餘代に及べり、山麓十餘里にかけて昔より御分霊の多きこと數ふるに遑あらず、神地・神田も各所に黙在し、榛名山寺領内は武家時代より檢非違健兒両使の停止守護不入の地にて山中朱印に於ては無高なり、
徳川時代より輪王寺宮大王廳の御料地にして殺生禁断なり、天下安穏の大祈禱場として東叡山宮門跡の護寺別當下知の神社地なり、故に社寺法度の下に諸役免除の地にて維新以降境内社地を除くの外帝室御料地・官有地・民有地に區別せり、東叡山輪王寺の官領として榛名山巖殿寺は里見山光明寺の兼攝する所其の住職を以て榛名山學頭兼別當とし神領宮殿寺院並衆徒社家を管督せしめ総て上野寛永寺門跡に隷属せしむ、後西院天皇の皇子大明院公辨法親王には満行宮の御染筆ありて東山天皇の皇子崇保院公寬法親王には榛名山の御染筆扁額を奉進せらる。
・・・・・
・・・・・

【原文参照】

『群馬県群馬郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1020918/1/333著者 群馬県群馬郡教育会 編 出版者 群馬県群馬郡教育会 出版年月日 大正14

『群馬県群馬郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1020918/1/333著者 群馬県群馬郡教育会 編 出版者 群馬県群馬郡教育会 出版年月日 大正14

『群馬県群馬郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1020918/1/333著者 群馬県群馬郡教育会 編 出版者 群馬県群馬郡教育会 出版年月日 大正14

『群馬県群馬郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1020918/1/333著者 群馬県群馬郡教育会 編 出版者 群馬県群馬郡教育会 出版年月日 大正14

『群馬県群馬郡誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1020918/1/333著者 群馬県群馬郡教育会 編 出版者 群馬県群馬郡教育会 出版年月日 大正14

榛名神社(高崎市榛名山町) (hai)」(90度のお辞儀)

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