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三宅神社(鈴鹿市国府町)〈延喜式内社・伊勢國總社〉
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地が゛國司の宅址゛であり゛屯倉(ミヤケ)の跡地゛と伝わるので 式内社〈①伊勢國 鈴鹿郡三宅神社②伊勢國 河曲郡 大鹿三宅神社〉の論社とされ゛伊勢國總社゛とも呼ばれます 更に 明治41年(1908)に式内社③江神社の論社゛樫木大明神゛を合祀しましたので 現在は 三つの式内社の論社です
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三宅神社(鈴鹿市三宅町)〈三つの式内社①加和良神社②三宅神社③大鹿三宅神社の論社〉
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地の地域は 中の川沿岸にあり 鈴鹿の屯倉(みやけ)〈国司宮所在の地〉が置かれた所であるとされています このことから地名も゛三宅の号あり゛と伝わり 〈①三宅神社②大鹿三宅神社〉の論社となっています 又 式内社〈③加和良神社〉とする説もあり 三つの式内社の論社となっています
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大鹿三宅神社(鈴鹿市池田町)〈延喜式内社の論社〉
大鹿三宅神社(おおかみやけじんじゃ )は 社伝によれば゛久安三年(一一四七)伊勢国河曲郡一ノ宮村大字池田へ建立゛と伝へるのみです 当社所蔵の棟札の記載から式内社 大鹿三宅神社(おほかの みやけの かみのやしろ)の論社とされますが この棟札については ゛偽造なる事著し明なれは 信受し難し゛ との説もあります
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神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)
神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます
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飯野神社(鈴鹿市三日市)〈二つの式内社〈①高市神社②飯野神社の論社〉
飯野神社(いいのじんじゃ)は 弘治元年(1555)式内社 高市神社を合殿(あいどの)に奉斎し 二つの式内社〈①高市神社(たかいちの かみのやしろ)②飯野神社(いゐのの かみのやしろ)〉の論社です 明治39年(1906)明細帳に飯野高市両神社と社名を記し 大正13年(1924)社名を変更し飯野神社と単称するに至っています
