常陸国 式内社 28座(大7座・小21座)について

常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される

常陸国 28座(大7座・小21座)の神社です常陸国(ひたちのくに)について

常陸国(Hitachinokuni)は 令制国の一つ東海道に属する
現在の茨城県の大部分

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令制国成立前は 日高見国だったとされている

筑波国造、新治国造、茨木国造、仲国造、久自国造、高国造、道口岐閉国造がそれぞれ支配する国に別れていた

大化改新(645)後 国郡制の施行によって常陸国とな

東国における古代律令体制への反抗は強く
天長3年(826)上総国常陸国上野国の3国は 国守に必ず親王が補任される親王任国(しんのうにんごく)となる

親王太守は 現地へ赴任しない遙任であった
親王任国での実務上の最高位は次官の国介(すけ)とされ 平安中期以降は 国介(すけ)は 他国の国守と同列に扱われた

このころ国司として下向した源氏・平氏・藤原氏の分流が 土着して未開地を開発 下人や農民などを従えて土豪として成長した
10世紀なかば 乱を起こした平将門(まさかど)はその一人
将門の乱後 平国香(くにか)の子孫が大掾(だいじょう)氏を称して繁栄
また源義光(よしみつ)の子孫 佐竹(さたけ)氏も勢力を有した

佐竹氏は 豊臣(とよとみ)秀吉の小田原征伐の時 秀吉に味方 国の大半を領有した

関ヶ原の戦い後 佐竹氏は 秋田へ国替になり
その後
徳川家康の実子が配され
慶長14年(1609)徳川 御三家(ごさんけ)水戸藩が成立

明治維新の際
水戸藩のほか笠間下館(しもだて)下妻土浦(つちうら)など13藩があった

明治4年1871)7月 廃藩置県 茨城県と新治県となった
明治8年(1875)新治県は 茨城県に編入された

常陸国(ひたちのくに) 28座(大7座・小21座)

大社7座は 7社大社7社は 名神大社
小社21座は 20社
 計28座は 27社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 9郡〈延喜式神名帳に記載〉
鹿島郡真壁郡信太郡久慈郡筑波郡那賀郡新治郡茨城郡多珂郡

目次

鹿島郡(かしまの こおり) 2座(並大)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鹿島神宮(名神大 月次 新嘗)(かしまの かむのみや)

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮

大洗礒前薬師菩薩明神社(名神大)(おほあらいそきさきやくしほさつの あけのかみのやしろ)

・大洗磯前神社(大洗町磯浜町)

真壁郡(まかべの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)

・大國玉神社(桜川市大国玉)

信太郡(しだの こおり) 2座(並小)と論社について

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楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)

・楯縫神社(美浦村郷中)

阿弥神社(あみの かみのやしろ)

・阿彌神社(阿見町竹来)

・阿彌神社(阿見町中郷)

久慈郡(くしの こおり) 7座(大1座・小6座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)

・長幡部神社(常陸太田市幡町)

・長幡部神社 旧鎮座地(常陸太田市幡町)

薩都神社(さちつの かみのやしろ)

天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)

天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)

静神社(名神大)(しつの かみのやしろ)

靜神社(茨城県那珂市)

稲村神社(いなむらの かみのやしろ)

立野神社(たちのの かみのやしろ)

筑波郡(つくばの こおり) 2座(大1座・小1座)と論社について

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筑波山神社二座(一座名神大・一座小)(つくはやまの かみのやしろ ふたくら)

那賀郡(なかの こおり) 7座(大2座・小5座)と論社について

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大井神社(おほヰ かみのやしろ)

青山神社(あをやまの かみのやしろ)

吉田神社(名神大)(よしたの かみのやしろ)

阿波山上神社(あはやまのうへ かみのやしろ)

酒烈礒前薬師菩薩神社(名神大)(さかつらいそさきやくしほさつの かみのやしろ)

・酒列磯前神社(ひたちなか市)


藤内神社(ふちうちの かみのやしろ)

石舩神社(いはふねの かみのやしろ)

・石船神社(東茨城郡城里町)

新治郡(にいはりの こおり) 3座(大1座・小2座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

稲田神社(名神大)(いなたの かみのやしろ)

鴨大神御子神主神社(かもおほむわみこのかむぬしの かみのやしろ)

佐志能神社(さしのの かみのやしろ)

茨城郡(むはらき こおり) 3座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

夷針神社(いはりの かみのやしろ)

羽梨山神社(はなしやまの かみのやしろ)

主石神社(ぬしいはの かみのやしろ)

多珂郡(たかの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

佐波波地祇社(さははくにつかみのやしろ)

東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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