酒列磯前神社(ひたちなか市)

酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は 「神秘の参道」があり これを抜けると 宝くじの高額当選者が出る続ける「幸運の亀」が坐ます あなたにはきっと幸運が待っています 御祭神は 遠い海の彼方「常世の国」から「宝船」に乗って降臨された「少彦名命(sukuna hikona no mikoto)」です 「幸運の亀」は 御祭神の使者なのでしょう 

ご紹介(Introduction)

【神社名】(shrine name)

 酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)
 さかつらいそさきじんじゃ 

【通称名】(Common name) 

・酒列明神 sakatsura myojin
・乳母神さま uba kami sama

【鎮座地】(location) 

茨城県ひたちなか市磯崎町4607番地2

【地 図】(Google Map)

【延喜式神名帳】    「旧国名 郡 ・ 神社名」

(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
【engishiki jimmeicho】「old region name・shrine name」

常陸國 那賀郡  酒烈礒前 薬師菩薩神社  名神大
hitachi no kuni  naka gun
      sakatsura izozaki no yakushi bosatsu  no kaminoyashiro

【御祭神】(God's name to pray)

《主》少彦名命(sukuna hikona no mikoto)
《配》大名持命(ona mochi no mikoto)
  =大国主命(okuninushi no mikoto)

【御神格】(God's great power)

少彦名命(sukuna hikona no mikoto)「医薬の術の祖神」「酒を造る醸造の神」そして「海上安全・豊漁・学問の神」
大名持命(ona mochi no mikoto)「商売繁盛・福徳円満・縁むすび・五穀豊穣の神」

・病気平癒 Healing of disease
・健康長寿 Health and longevity
・安産育児 Safe childbirth and childcare
・交通安全 Traffic safety
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・事業繁栄 Business prosperity
・醸造発展 Brewing industry development
・温泉神 Hot spring god
・等 etc

【格式】(Rules of dignity)

延喜式内社 名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)

別表神社(beppyo jinja)

【創建】(Beginning of history)

『日本文徳天皇実録』(nihon montoku tenno jitsuroku)に記載 
斉衡3年(856年)12月29日 常陸国鹿島郡の大洗磯前に御祭神が現れ創建

【由緒】(history)

『文徳実録』によると、文徳天皇の斉衡3年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になり、塩焼き(塩を精製する者)の一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、当社「酒列磯前神社」が創建され、また現在の東茨城郡大洗町には「大洗磯前神社」が祀られました。

翌天安元年8月には官社に列せられ、更に10月には「酒列磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜の制では名神大社に明治18年4月には国幣中社に「大洗磯前神社」と共に列されました。

「公式HP 酒列磯前神社の由緒」から参照

【境内社】(Other deities within the precincts)

・酒列鎮霊社《主》日露戦争より第二次世界大戦までの戦没者506柱祭神
・稲荷神社 《主》倉稲魂命(ukanomitama no mikoto)
・天満宮  《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
・事比羅神社《主》大物主命(omononushi no mikoto)
・冨士神社 《主》木花咲耶媛命(konohanasakuyahime no mikoto)
・水神社  《主》罔象女命(mitsuhanome no mikoto)

スポンサーリンク

【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)

「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」の創建について

平安時代初期の『日本文徳天皇実録』(nihon montoku tenno jitsuroku)
「第55代 文徳天皇(montoku tenno)の御代とされる 嘉祥3年(850年)~天安2年(858年)の8年間を扱う 第五の六国史」に記載されている

斉衡3年(856年)に常陸国(hitachi no kuni)鹿島郡(kashima gun)の大洗磯前(oarai no isozaki)に 大奈母知(ona mochi)少比古奈命(sukuna hikona no mikoto)が託宣され

大己貴命(大奈母知) を大洗(o arai)  に 
少彦名命(少比古奈命)を酒列(saka tsura)に

それぞれを祀りましたのが 両社の創建となったと伝えられています 

創建後
その翌年 天安元年(857)8月には官社に預かり 
10月には薬師菩薩神(yakushi bosatsu no kami)の称号を贈られた

(927年)『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』名神大社(myojintaisha)に列せられ

全國的な尊崇をあつめて 歴代領主の崇敬は厚く
建久二年(1191)源頼朝(minamoto no yoritomo)は 神馬33頭 神領地寄進 社殿修繕を行う
応永廿九年(1422) 水戸城主 初代 江戸道房より六代 重道に至る数百年間 江戸氏が修繕に当る
元弘二年(1332)佐竹貞義(satake sadayoshi)が社殿を造営

しかし その後 戦国乱世で社殿を喪失 中世には廃絶してしまったらしく

この旧社殿の鎮座地は 現在の「一の鳥居の辺り」と伝えられていて 近世になって 特に「水戸黄門」としても知られる 水戸藩2代藩主「徳川光圀(tokugawa mitsukuni)公」が 元禄3年(1690)に 当社へお詣りされた頃は 神籬形式の祭祀であったらしく 神社の再興を願われて

「徳川光圀(tokugawa mitsukuni)公」が 造営の起工がなされ 境内を大規模に拡張 遷宮の計画は 光圀公が亡くなられ 一時中断されたようですが 3代藩主「徳川綱條(tokugawa tsunaeda)公」により 元禄15年(1702)現在の社殿地に遷座して 再興されました 

明治18年(1885年)「国幣中社」に列格され 現社殿の建築は 元禄時の彫刻を軒廻り部分を再使用して 昭和9年国費により 改築したものとのこと
現在は「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」としています

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

宝くじの高額当選者が 出る続ける 「幸運の亀」

最近は 宝くじの高額当選者が 購入前に「験担ぎ」のお参りをしている ことで有名な神社です
その結果は「1億円以上が15本 総額は30億円超え」とのことですので「金運の神様」のように慕われ 参拝者が後をたちません

公式HP には 次のようにあります

ジョイフル本田ニューポートひたちなか店内の宝くじ売り場ジョイフル本田チャンスセンターでの、年末ジャンボ発売日に以後一年間の高額当選券発売と多くの方々が当選しますようにと、当社神職と巫女が売り場で祈願祭を依頼により執行しております。

高額当選された方が当神社に縁起の良い亀石象を奉納されました。神社にお参りして、亀石象に触ると御利益があると評判になり、大安・友引日には大にぎわいになっています。

当選を祈念いたします。

公式HP 酒列磯前神社の由緒 より抜粋

「幸運の亀」の前には 次のように張り紙があります
----------------------------------
令和元年サマージャンボ
宝くじ1等6億円が出ました

宝くじが当たりますように

~宝くじの祈願の方法~
1 神社の前で、神様にお参りする
2 授与所で金運御守りを受ける
3 亀さんを撫でてご利益を得る
--------------------------------------------

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の所載について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』名神大社(myojintaisha)です

常陸國 那賀郡   酒烈礒前 薬師菩薩神社  名神大
hitachi no kuni  naka gun
sakatsura izozaki no yakushi bosatsu  no kaminoyashiro

神社の由緒にもある通り 
当社「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」は 那珂川対岸の大洗町にある「大洗磯前神社(oarai isozaki isosaki shrine)」と 2社で1つの信仰を形成する 深い関係にあると言われています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』には 両社ともに 「薬師菩薩神(yakushi bosatsu no kami)」の称号を贈られ それを裏付けています

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)

このように2社で1つの信仰ですので 先程のような「宝くじ当選」や「金運祈願」でも  合わせて ご参拝することをお勧めします

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

茨城交通湊線 磯崎駅から1kmほどのところに鳥居があり 徒歩10分程度
那珂川対岸の大洗町にある「大洗磯前神社(oarai isozaki isosaki shrine)」で お詣りして ここから車で10kmほど北上しました

大洗海岸通りを北上 祝町を右折して県道108号から 県道6号を北へ そのまま海岸沿いに進み 磯前海岸から丘へ登りきった坂の上で左折 すぐに鳥居があります 
駐車場は さらに参道沿いの細い車道を進み 200m程先 境内のすぐ横にあります

下車して 徒歩で 正面鳥居からお詣りです

境内案内板もありますので よく見ておきます

「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」に到着

駐車場は 「手水舎」のすぐ横にありますので まず清めます
そして 「正面の一の鳥居」から 参道を歩いて進みたいので 車道を歩いて戻ります

実は これには ちょっと訳がありまして
この神社は 江戸期に水戸藩によって 復興するのですが「一の鳥居の辺りに 旧鎮座地が あると伝えられています」そちらに立ち寄ってから 鳥居をくぐり お詣りをしたいと考えています

その場所は 歩いて 西の方向の場所 正面の一の鳥居の30m程先辺りであり この鳥居を過ぎて 右側 先程 車で上がってきた 磯前海岸に面する台地の上の県道6号沿いにあります

「酒列磯前神社 旧社跡(sakatsura isosaki shrine kyu sha ato)」と刻された石碑が建っていますので すぐわかりました

この場所は かつて「徳川光圀(tokugawa mitsukuni)公」が 元禄3年(1690)当社に詣でた当時は 乱世で社殿も消失し 中世には廃絶し 神籬形式の祭祀となっていたらしく 神社の再興を願われた 旧鎮座地に着きました

「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」 旧社跡 に到着
こちらで 一礼をします

その後 振り返ると 西を向いて建っている「一の鳥居」がすぐあります
一礼の後 くぐります

一の鳥居から社殿までは 東に向かう長い参道が 約300m続き ヤブツバキやタブノキなど暖帯林が トンネルのようになっていて
しかも その木々が 強烈な潮風に耐え抜き 幻想的な様相をしています

通称「神秘の参道」と呼ばれる参道は 歩いていても 昼でも暗いのですが 先には明るい空間が見えていて 境内の鳥居や社殿が輝いて見えて 不思議な空間となっています

参道のトンネルを抜けると 駐車場の位置まで戻ってきます
東日本大震災で倒れた石灯篭の後が残っています

倒壊する前の写真も載せておきます

右手に「手水舎」があり 先程清めはすませています
左手には「海の見える鳥居」がありますが その先には 磯前海岸から酒列磯前神社に通じる「みたらし道」が通っています

境内の「みたらし道」の道標には万延元年(1860年)と刻まれています

更に 江戸期に平磯村と前浜村は 酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)の帰属を激しく争い 水戸藩の裁定まで仰いだらしく その時の名残だと思いますが 鳥居の前に 村名を記した石碑が建っています

境内入口に鳥居 一礼してくぐると
左手には 南向きに境内社が5つ並びます 
・「稲荷神社」・「天満宮」・「琴比羅神社」・「冨士神社」・「水神社」

つぎに 水戸藩の第9代藩主「水戸斉昭(mito nariaki)公 お腰掛けの石」があり

そのすぐ横に宝くじの高額当選者が 出る続ける「幸運の亀」の石像があり

右手には「神馬舎」「神楽殿」「御神輿」があります

参道正面に拝殿があります 

2社で1つの信仰を形成すると言われ 深い関係にある「大洗磯前神社(oarai isozaki isosaki shrine)」は 海に向かって見下ろすように 東向きに社殿が建っていましたが 本社は 真逆に 海から登った丘の上で 海を背にして 西向きに社殿が建っています

拝殿正面に施された「リスとぶどうの彫刻」は
日光東照宮『眠り猫』を製作した左甚五郎(hidari jingoro)の作と伝わっています

最近は 人が絶えず活気があります 
人の途切れるのを待って写真を撮りました

拝殿で軽く順番を待ち 拝殿へ進み 賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の左手が 「神札授与所」となっていて 「ご朱印」や「金運のお守り」の授与で賑わっています
神札授与所は 祈祷者の待合所にもなっているので 拝殿とは 渡り廊下で繋がっています 

この渡り廊下をくぐり 境内の奥へと進みますと 本殿と並ぶように 西向きに「酒列鎮霊社(sakatsura chinreisha)」があり お詣りします

拝殿の後方には 垣が巡っていて その中に本殿があります
本殿の垣が巡っている その外側には 石畳みが敷かれていて ぐるりと廻れます  

拝殿の壁に何やら不思議な「丸い社標」があります 多分「龍神???と社名」おそらく描かれているのは 常世の国に通じる「海龍」だろうと思いますが、、元は どんな色彩だったのでしょうか?? とても「氣」を感じましたので ご案内まで

ぐるりと 拝殿前に戻りましたので 参道をもどり
「幸運の亀」を撫でて 鳥居をくぐり 一礼

スポンサーリンク

【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

『日本文徳天皇実録』(nihon montoku tenno jitsuroku)斉衡3年(856年)12月29日条によると

平安時代初期(856年) 常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れたとされて次のように記されています

常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。

『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条

意訳 

『 常陸国の上言(天子・天皇など貴人に意見を申しあげること)によると 

鹿島郡の民で塩を焼く者が ある夜 海を見ていると 光るものが現れて 天にも達することに気づいたという
すると 次の日 海辺に二つの怪石があった 両方とも一尺(30.3cm)ほどであった 

さらに その次の日には 20数個の石があって 左右に向かって侍坐(貴人や客など上位の人のおそばにすわること)するよう並び 並たいていでない彩光(美しい色の光)を放っていた
沙門(仏教で出家した男性の修行者)の形に似たものもあったが 耳や目はなかった

すると 神が人に憑いて告げられた
「われは 大奈母知 少比古奈命(ona mochi sukuna hikona no mikoto)である 

昔 この国を造り終えて去り 東海に行ったが 今 民を救うために再び帰ってきた」 』

大奈母知(ona mochi)少比古奈命(sukuna hikona no mikoto)が現れて 託宣をされたので 

大己貴命(大奈母知) を大洗(o arai)  に(大黒さま)
少彦名命(少比古奈命)を酒列(saka tsura)に(恵美須さま)

を祀りましたのが 両社の創建となったと伝えられています

社名の「酒列(saka tsura)」は この怪石や奇石に由来しているとする説があります

酒列磯前の海岸 東南方向の 磯づたいに白亜紀の断層 岩石群が展開していて 古より神聖視されています

清浄石(shojo ishi)と呼ばれる石や 広汎にわたって連なり ノコギリ状の地層があり その岩石群は 南に約45度に傾斜しています
その内の一部が 反対の北に傾いた箇所がありますので その様相から「逆列(saka tsura)」の地名が生まれたとしています 

さらにまた 御祭神の少彦名命(sukuna hikona no mikoto)が「お酒の神様」でもあるので「酒列(saka tsura)」となったともされています

このような磯づたいに白亜紀の断層があるノコギリ状の岩礁は 大洗(o arai)の磯とは違う様相ですが 不思議な神々しさやご神威を感じます この地図が境内にありましたので写真に収めました

「磯のまちと岩の地図」 提供者 大喜や 大内正光 様

少彦名命(sukuna hikona no mikoto)は 高皇産靈神(takami musubi no kami)の御子神で 高貴な神様です
医藥の術・酒造の術の祖神であり「常世の国」から渡られたので「海上安全・大漁万足・海の神」でもあります

古代から 豊かな「常世の国」と呼ばれた「常陸国(hitachi no kuni)」には なくてはならない神であると考えられます
「酒列磯前神社(sakatsura isosaki shrine)」に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

おすすめ記事

1

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

2

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

3

対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, ,

Copyright© shrine-heritager , 2022 All Rights Reserved.