上緫国 式内社 5座(大1座・小4座)について

(かずさのくにの式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される  5座(大1座・小4座)の神社です

上緫国(かずさのくに)について

(Kazusanokuniは  令制国の一つ東海道に属する
現在の千葉県中部

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古は 総国(ふさのくに)よき麻の生きたる土地の意
『古語拾遺』によれば
斎部氏(忌部氏) 阿波国〈徳島県〉から部民を伴い海路ここに至った

総国(ふさのくに)
7世紀後半 上・下に分けられ
〈・上総かみつふさのくに下総国(しもつふさのくに)が成立

718年 上総国の4郡を割き 安房(あわ)国を分置
741年 安房(あわ)国を併合
757年 安房(あわ)国を再分置

東国における古代律令体制への反抗は強く
上総国常陸国上野国の3国は 国守に必ず親王が補任される親王任国(しんのうにんごく)であった

親王太守は 現地へ赴任しない遙任であった
親王任国での実務上の最高位は次官の国介(すけ)とされ 平安中期以降は 国介(すけ)は 他国の国守と同列に扱われた

上総介(かずさのすけ)として 
源頼朝の挙兵に呼応し平広常上総介広常(かずさのすけひろつね)〉が有名

江戸時代
松平氏の大多喜藩阿部氏の佐貫藩黒田氏の久留里藩保科氏の飯野藩水野氏の鶴牧藩などの小藩に分割

明治4年1871)7月 廃藩置県 各藩が県となった
明治4年187111月 安房国の諸県を合併して木更津県となる
明治6年(1873下総国の印旛県を合せて千葉県となる

上緫国(かみつふさのくに) 5座(大1座・小4座)

大社1座は 1社大社1社は 名神大社
小社4座は 4社
 計5座は 5社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 4郡〈延喜式神名帳記載
埴生(はにう)長柄(ながら)海上(うなかみ)望陀(もうだ)

埴生郡(はにふの こおり) 1座(大)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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長柄郡(なからの こおり) 1座(小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

橘神社(たちはなの かみのやしろ)

・橘樹神社(茂原市本納)

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海上郡(うなかみの こおり) 2座(並小)と論社について

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姉埼神社(あねさきの かみのやしろ)

・姉埼神社(市原市姉崎)

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望陀郡(まうたの こおり) 1座(小)と論社について

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飽富神社(あきとみの かみのやしろ)

・飽富神社(飽富神社)

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