⑰天鳥船神(あめのとりふねのかみ)建御雷神(たけみかづちのかみ)

葦原中国(あしはらのなかつくに)への最終使者

天照大御神(あまてらすおほみかみ)は 次なる 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました

鹿島神宮茨城県鹿嶋市《主》武甕槌大神

『古事記』神話には
天照大御神(あまてらすおほみかみ)は 次なる 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)がよろしい もし この神でなければ その神の子 建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を遣(つかわ)すべきでしょう
しかし 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)は 天安河(あめのやすのかわ)の水を塞(せ)き止め 逆流させ 道を塞ぎ 他の神では進めませんので 天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)してみましょう」と記されます

石船神社茨城県東茨城郡城里町)《主》鳥之石楠船神天鳥船神

『古事記』神話には
そこで 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました」と記されます

一緒に読む
石船神社(東茨城郡城里町)

石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめ ...

続きを見る

スポンサーリンク

『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

ここに 天照大御神(あまてらすおほみかみ)は仰せられた
「どの神を遣(つかわ)したらよいか」

すると 思金神(おもいかねのかみ)と諸神が申されるには
「天安河(あめのやすのかわ)の 河上(かわかみ)天石戸(あめのいわと)に居る 伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)がよろしい もし この神でなければ その神の子 建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を遣(つかわ)すべきでしょう
しかし 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)は 天安河(あめのやすのかわ)の水を塞(せ)き止め 逆流させ 道を塞ぎ 他の神では進めませんので 天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)してみましょう」と言いました

天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)して 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)に 尋ねてみると
「謹みお仕えいたします しかし わたしの子 建御雷神(たけみかづちのかみ)を 遣(つかわ)しましょう」と答えた

そこで 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

国譲り(くにゆずり)伊那佐小浜(いなさのおはま) に進む

スポンサーリンク

”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-神話の舞台
-

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.