神部神社(北杜市須玉町小尾)〈『延喜式』神部神社〉

神部神社(かんべじんじゃは 崇神天皇の御代 当社前の御門 神戸は神地とされたと云う 又 日本武尊が東征の折り 東小尾で湯治し当社前を通り猛獣 毒蛇 叛賊を退治して東征に向かったと伝わり 文武天皇の大宝元年701 四柱を祀ったのが創立と云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神部神社(Kanbe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

山梨県北杜市須玉町小尾3805

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天手力男命(あまのたぢからのみこと)
   誉田別命(ほむたわけのみこと)〈第15代 応神天皇〉
   廣國押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)
〈第27代 安閑天皇
   諏訪大神(すわのおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒沿革:

 当社は 旧小尾御門神戸東小尾和田黒森の総鎮守として 延喜式に記載されて居る。
創立は文武天皇の大宝元年丑年三月十五日で四柱を祀る 社名を蔵王大権現神門社と変ったことがある。維新後 旧名に復した。

武田家は小尾街道を開き北辺の守神として当社を信仰し神像鏡を納め 徳川家は社領三斗六升を寄進した神木の檜木は目通り三丈余あるも 文化年中徳川の命で駿河浅間神社の御用材に  寛政年中江戸聖堂の用材として伐採した。其の切株あとに現在石祠建立し之を大宝社と称す。

山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6108

【由  (History)】

由緒

例祭日5月1日 11月25日
鳥追筒粥式1月15日

御由緒

 当社は旧小尾の総鎮守として延喜式に記載されている。
創立は文武天皇大宝元年辛丑三年3月15日、社名は蔵王大権現、神門社と名のったが維新後旧名に復した。

 日本武尊が東征の折り、東小尾で湯治し当社前を通り猛獣、毒蛇、叛賊を退治して東征に向かった。
 当社前の御門、神戸は崇神天皇の御代 神地として神戸と称された、その後 武田は小尾街道を開き当社を信仰し、神像、鏡を奉納した。
 徳川家は社領3斗6升を寄進した。慶長年間より正月15日の前夜参籠し、粟粥を煮て、葦茎を割り中に入れ、粟粥数の多少によってその年の豊凶を占った。

境内社
伊勢社外2社

社殿、建造物
本殿、拝殿、神楽殿、鳥居、石燈籠

宝物 金色の神像鏡
境内地626坪
氏子等200戸

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

『甲斐国式内社並国史現在社考』に記される内容

【抜粋意訳】

第二 延喜式内社 巨摩郡五座

・神部神社 村社

巨摩郡増富小尾組字川戸 鎭

祭神
 天手力 廣國押建金日
 事代主命 建御名方命
 誉田別命

社記云。神部神社也。黑印神領升。祠前に神戸と称する地名あり。

【原文参照】

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

赤岡重樹 著『甲斐国式内社並国史現在社考』,赤岡書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958555

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・神部神社 本社・左右に境内社(諏訪社・岩神の社)

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県指定有形文化財 有建第五十二号

神部神社 本殿一棟

附棟札四枚 金銅蔵王権現懸鏡一面

昭和六十三年十一月十六日指定

構造・形式
 正面一間 側面一問 流造り
 檜皮葺き・一間社流造り

規模
 桁行一.八五m 梁間一.四七m

建立年代
 慶長十八年(一千六百十三年)(〔甲斐国志〕)

 大きな吹抜けの覆屋に、三棟の一間社流造りの社殿が並ぶのは壮観である。その内、正殿(本殿)は真中に位置し、他の二棟(諏訪・岩神の社)より高くつくられており、土台が三段に積まれている。

 創建は、大宝元年(七百一年)といわれ、「延喜式」(約千年前)にも載っている古い神社である。

 正殿(本殿)の建立は〔甲斐国志〕に慶長十八年(一千六百十三年)建立の棟札のあることの記載が見えるが様式や細部の技法は室町様式にさかのぼる。
 現在、縁は正面だけで側面には回っていないが、柱などの痕跡から当初は側面にも縁が回わり、さちにその奥の両側面に脇障子が付いていたことが判っている。

 木鼻には葉をあしらった彫刻が両面つけられている。そのなかでも笹葉は、比志神社本殿や長野県の中世の社殿の木鼻に例がある。
  桃山期以前の技法を随所に残す貴重な建物として県指定文化財となる。

平成元年 山梨県教育委員会 須玉町教育委員会

現地案内板より

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神部神社 拝殿

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・拝殿の狛犬

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・神楽殿

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・社日碑

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・参道 小さな石橋・ 注連柱のような杉の木

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・鳥居

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨麻郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神部神社
[ふ り が な ]かむへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kamuhe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式』に所載されている神部神社(かむへの かみのやしろ)について

 『延喜式』には 駿河國に一か所 甲斐國二ヶ所が 所載されています

延喜式内社 駿河國 安倍郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・静岡浅間神社(静岡市)

延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・神部神社(甲州市塩山)

・神部神社(山梨市上神内川)

・賀茂春日神社(笛吹市春日居町)

・神明神社(笛吹市石和町窪中島)

延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社

・〈旧 三輪神社の山宮〉八幡神社(南アルプス市上宮地)

・〈旧 三輪神社の里宮〉神部神社(南アルプス市下宮地)

・白山神社(明野町上神取)

・神部神社(須玉町小尾)

・熱那神社(北杜市高根町)

・南宮大神社(韮崎市大草町)

・神部社(南アルプス市寺部)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR中央本線 韮崎駅から県道23号経由で北上して約25.2km 車で50分程度

当日 私は信州峠から県道610号を進み 須玉町小尾に入りました

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穂坂道と呼ばれる県道610号を下ると 右手に鎮守の杜らしきものがありました

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案内板があり 朱色の両部鳥居が見えました

神部神社(北杜市須玉町小尾に参着

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ちょうど道路のコーナーにあって 上り方向からは正面に見えます
下りからは隠れていました
探しましたが 辺りに駐車スペースは無く 比較的安全そうなところにハザードを点けて 仕方なく路駐

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社頭です
自然石に゛神部神社゛と刻まれた社号標があります

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鳥居の扁額にも゛神部神社゛と記されています

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一礼をして 鳥居をくぐり境内参道へと進みます

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途中 小さな石橋が太鼓橋になっていて その先に二本の杉の木が植えてあり 注連縄柱のような様で 境内を護っています

小さな石橋の先は 石垣で養生された境内になっています

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境内に入ると 狛犬が座し その後ろに社日碑 正面の社殿の向かって左手前に神楽殿が設けられています

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拝殿にすすみます
扁額には神部神社゛と記されていて 額の淵には ゛龍゛が彫られています

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奉納額の絵馬には 鳥居に゛白龍゛が絡まっています
もしかすると この神部神社には 龍神信仰があるのでしょうか

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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参道を戻り 鳥居を抜けます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

延喜式内社 神部神社について 所在は゛甘利郷上條東割村に在す、今 南宮明神と稱す、゛〈現 南宮大神社(韮崎市大草町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神部神社

神部は 加牟倍と讀り

〇祭神 金山彦命、建御名方命、事代主命、〔名勝志、参考〕

〇甘利郷上條東割村に在す、今 南宮明神と稱す、〔名勝志、参考〕例祭 月   日、

〇當國山梨郡神部神社あり

 甲斐名勝志に、龜山院 文永九年造營の事、社記に見えたりと云り、

類社
 駿河國 安倍郡 神部神社の條見合すべし

社領
 當代御朱印高十六石余

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

延喜式内社 神部神社について 所在は゛舊 上宮地大神山〔又 神山とも云〕にあり、後 下宮地村に移す、之を三輪大明神と云、゛〈現 八幡神社(南アルプス市上宮地)から神部神社(南アルプス市下宮地)へ遷座した〉と記しています

【抜粋意訳】

神部(ミワベノ)神社

舊 上宮地大神山〔又 神山とも云〕にあり、後 下宮地村に移す、之を三輪大明神と云、〔三才圖繪、甲斐國志、〕

盖 三輪大物主神を祀る、〔参酌延喜式、社傳説、〕

清和天皇 貞観五年六月巳亥、從五位下勳十二等 美和神に從五位上を授け、八年三月甲辰、正五位下を加へ、十八年七月丙戌、正五位上に叙され、陽成天皇元慶四年二月壬辰、從四位を加ふ、〔三代實録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

延喜式内社 神部神社について 所在は下宮地村〔字三輪〕(中巨摩郡大井村 )゛〈現 神部神社(南アルプス市下宮地)〉と記しています

その他の説もあるが証拠が不足している その他の説とは
゛上條東割村の南宮明神なり゛〈現 南宮大神社(韮崎市大草町)
゛神取村白山大神゛〈現 白山神社(明野町上神取)〉
゛小尾村藏王椎現とも云り゛〈現 神部神社(須玉町小尾)〉

【抜粋意訳】

神部神社 稱 三輪明神

祭神 大物主神

祭日 一月十五日 二月二日 四月卯日〔三卯用 中卯〕
社格 郷社

所在 下宮地村〔字三輪〕(中巨摩郡大井村 )

 今按 本社所在の地を三輪と云ひ 神を三輪明神と稱し 又 永正中僧居一神山に住して 大に禪林を開き 大神山傳祠院と名けたるも神部神社の祭神 大物主神なるによりてのこと なるべく今に 其境内に拜殿ありと云るも由ありて證とするに足れり
されば神部神社はこの社なるべし

 然るを上條東割村の南宮明神なりとも 神取村白山大神とも 小尾村藏王椎現とも云り されど束割村は是と申す程の證なく 神取村はもと神戸と云ひしを後に今の村名に改めしなりと云ひ 小尾村は烏井前に神戸と云耕地ありと云るのみにて 證とすべきことなければ信がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神部神社(北杜市須玉町小尾 (hai)」(90度のお辞儀)

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