大宮神社(おおみやじんじゃ)は 元々は三原山の近くに阿治古(あじこ)と呼ばれる古い地域に集落があり 阿治古神社が鎮座していた たびたびの噴火降灰により 室町時代 文正二年(1466)大宮の現在地に遷座され その際に天照皇大神が合祀されたと云う 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿治古神社(あちこの かみのやしろ)です

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目次

参拝日 2025/4/5
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大宮神社(Ohmiya shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
東京都大島町野増字大宮
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》阿治古命(あじこのみこと)
※三島大明神と その后 波布比咩命(はぶひめのみこと)〈波布比咩命神社の祭神〉との御子神 弟神は波治命(はじのみこと)〈波治加麻神社の祭神〉
《主》天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
大宮神社
阿治古(あじこ)と呼ぶ古い地域が、ここ大宮の地から南の山中にあり、集落を形成していた。集落の人々は三原山のたびたびの噴火降灰の被害を避けて室町時代(一四六六年)に祭神 阿治古命(波浮比咩命の子)を奉じて大宮のこの地に遷座した。それまでは、阿治古神社と称していた。
現在の祭神は阿治古命と天照皇大神の二柱で、大宮に遷ってから天照皇大神を増祀したと伝えられている。
参道から神社の周囲には、百十数本のシイの木が群生し、昭和十四年十二月東京都指定天然記念物に、昭和三十三年十月御神体である「菊花散双鳥文」の銅鏡(鎌倉時代の作)が東京都有形文化財に指定されている。
平成四年三月 大島町
現地案内板より

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大宮神社(おおみやじんじゃ)
御祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
阿治古命(あじこのみこと)御由緒
昔は野増の北方阿治古の地に社殿があったが、数次の三原山噴火による焼失のため、いつの頃からか現在の大宮の地に遷座し奉ったのであるが、その年代は定かではない。
宗教法人 東京都神社庁HPより
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/tosho/5911/
【由 緒 (History)】
『伊豆国式社攷略』明治15年に記される内容
【原文参照】
阿治古(あちこの)神社
大島野増(のませ)村 鎭座 太郎の王子おほゐ所〔三宅記〕
今 稱 大宮神社なる可し〔攷証註進特選〕
今なほ阿治古の地名 僅に存されと雖 數噴火の変遷に係るを以て 其舊址を詳に詳細を得ざるは遺憾と云ふ可くこそ
【抜粋意訳】

萩原正平 著『伊豆国式社攷略』,栄樹堂,明15.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815090
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇東京府 伊豆國 大島野增村
郷社 大宮神社
祭神 天照皇大神(アマテラススメオホミカミ)
當社の創建年代 其他由縁等につきては、大島の舊紀悉く焼失したるを以て知るに由なしと雖、古老の口碑に依れば 當村人民の租 伊勢より渡来し、天照大神を勧請し奉りしものなりと、明治六年十二月郷社に列す。
社殿は本殿及額殿を有するのみにして、境内千二百二十坪{官有地第一種)あり。
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・大宮神社 渡殿 本殿

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・大宮神社 社殿

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・大宮神社 拝殿

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・〈拝殿前参道〉狛犬

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・〈社殿の周囲〉石祠 多数

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・御神木

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・四の鳥居

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・〈参道〉東京都指定 天然記念物 野増大宮の椎樹叢

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・三の鳥居

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・参集所?・その前にある祭壇の跡?建物基礎址?

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・神庫?

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・二の鳥居

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・参道石段

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・一の鳥居

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・社頭・神橋

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈境外社〉三原神社(三原山の内輪山 山頂)《主》阿治古命(あじこのみこと)

参拝日 2025/4/5
『式内社調査報告』第十巻には
三原神社は 大島に於いて最も注目すべき存在である 大島の住民の噴火に対する畏敬の念と共に 伝えて記しています
境外社に三原神社がある。
・・・
・・・この三原神社は、大島に於いて最も注目すべき存在である。寛政三年 (一七九一 )の『南方海島志』には、
本宮三原明神、一島ノ本祠ナリ、
と記してゐる。また明治三十三年の『伊豆七島志』には、
三原全山ヲ祭リテ 祠宇ナク、タダ山麓二拜所 及 華表(トリイ)建ルノミ、從來 一島ノ總鎭守卜稱ス、
とあり、大正三年月出くの子著『伊豆大島要覽』には、
從來 本島の總鎭守として 三原明神と崇敬し、麓に 華表(トリイ)が在る許りで 祠宇はありませむが、每年六月一日には 御山参りと稱へまして 登山参詣します。從來は婦人の登山を不淨として禁じて在った程でありました。
と述べる。
・・・
・・・
三原神社
古代から三原山の鎮火は神のなせる業(わざ)として受けとめ、噴火口全域を御神火(ごしんか)として信仰し崇めてきた。三原山の近くに阿治古(あじこ)と呼ばれる古い地域に集落があり、阿治古神社が鎮座していた。たびたびの噴火降灰により、一四六六年(室町時代、文正二年)祭神 阿治古命を大宮の地に遷座したため、御神火が遠くなり阿治古命を三原大明神として祀(まつ)る様になったと思われる。
伊豆大島差出いし帳の記述によれば一七八九年(天明九年)にはすでに三原神社が鎮座しており毎月六月一日に三原神社の祭礼が行われ島民は神主と共に祭礼の一週間前よりお籠りをして身を清め参拝してとある。
これまでに溶岩が火口より砂漠へ流れ出したのは一九一〇年 ~ 一九二三年(明治大正)と一九五〇年~一九五三年及び一九八六年(全島民避難)の噴火である。三原神社はこの昭和の大噴火による溶岩流も「なぜか」神殿を避け直前で両側へとながれをかえている。これこそ古代からの信仰である御神火のなせる業ではないだろうか。不思議の一言につきる。
三原神社 氏子総代 大島町
現地案内板より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 阿治古神社
[ふ り が な ](あちこの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Achiko no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される伝承
〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られている〉
三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 島の命名 各々の島に后を置いた事とその御子の名が記されています
【抜粋意訳】
三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました
・・・
・・・明神は この島々に名前を付けられた
一番の島を はじめの嶋(ハしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた
四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると作り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました
さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された
そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕と若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された
一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた〔波布比咩命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ所 と名付けた〔大宮神社の祭神〕
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた〔波治加麻神社の祭神〕また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子 〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた〔差出神社の祭神〕神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子) 〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕
【原文参照】

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『三宅記』に記される 伊豆大島の神々について
『三宅記』に記される 伊豆大島の神は『延喜式神名帳』に記されている式内社の祭神と深く結びついています
| 伊豆大島の神々の御名 | 三島大明神の妃・子 | 本地仏 | 式内社 祭神名 | 式内論社 | |
| はふの大后 | 妃 | 千手観音 | 波布比賣命 | 波布比咩命神社 | |
| おほひ所 | 第一王子 | 薬師如来 | 阿治古命 | 大宮神社 | |
| すくない所 | 第二王子 | 薬師如来 | 波治命 | 波治加麻神社 |
伊豆大島に鎮座する 三つの式内社について
詳しくは各神社の 記事を参照
延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 波布比賣命神社(はふひめのみことの かみのやしろ)
・波布比咩命神社(大島町波浮港)
延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿治古神社(あちこの かみのやしろ)
・大宮神社(大島町)
延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 波治神社(はちの かみのやしろ)
・波知加麻神社(大島町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
元町港から南方の海上には 利島 鵜渡根島 新島を望めました

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元町港から南下して約2.4km 車での所要時間は5~6分程度
今から 元町港より伊豆大島の大島一周道路を西海岸沿いに南下していきます

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野増地区に入って「大島節発祥之地の石碑」がある場所に ちょっとした駐車スペースがあり停めます

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ここが社頭となっています
遠く奥に見えている山が三原山となります
大宮神社(伊豆大島 野増)に参着

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社頭の案内板です

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社頭の参道には ちょっとした神橋が設けられています
神橋を渡ると「郷社 大宮神社」の社号標と一の鳥居が建ちます

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 参道の石段を上がります
石段の上には 二の鳥居が見えています

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二の鳥居 災害時の集合場所の案内には「ここは標高48m」とあります

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郷社としての設備拡充でしょうか 野増消防組中による鳥居の寄付金の石碑(大正九年九月)があります

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二の鳥居をくぐり抜けると 緩やかな石段が続いていて 左手には神庫があります

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参道を進むと 左手に参集所?があり 正面には三の鳥居が建ちます

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この三の鳥居をくぐり抜けた辺りから この神社の神秘さが増してきます

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参道の両側が「東京都指定 天然記念物 野増大宮の椎樹叢」となっていて
原生林の様相する樹林の中 石畳みの参道を上がって行きます

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石畳みの参道を振り返ると

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石畳みの参道を上がると 石垣があり 四の鳥居があり くぐり抜けます

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拝殿にすすみます

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石燈籠

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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周囲には 沢山の石祠が祀られています

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社殿に一礼をして
参道を戻ります

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四の鳥居をくぐり 三の鳥居へと下ります

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二の鳥居を抜けると 社頭の鳥居まで石段が下っています 西を向いている社頭の先には 海がみえていて 遥か遠く向岸は伊豆半島です

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 阿治古神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています
【抜粋意訳】
阿治古神社
阿治古は假字也
○祭神在所等詳ならず
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 阿治古神社について 所在は゛今 大島 野增村にあり、大島總鎭守 大宮明神と云ふ゛〈現 大宮神社(伊豆大島 野増)〉と記しています
又゛村の南方二里許 海濱に阿治古と云處あり もと村居ありしが、噴火の為に 今地に移したり゛と記しています
【抜粋意訳】
阿治古(アチコノ)神社、
今 大島 野增村にあり、大島總鎭守 大宮明神と云ふ、〔伊豆式社考証、足柄縣式社取調帳、〕
〔〇按 村の南方二里許 海濱に阿治古と云處あり もと村居ありしが、噴火の為に 今地に移したりと云もの証とすべし、〕阿治古命を祀る、〔延喜式〕
此は三島の神 波布比咩命に娶て坐る第一の御子神也、〔三宅記〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 阿治古神社について 所在は゛(伊豆國大島野增村)大島野增村゛〈現 大宮神社(伊豆大島 野増)〉と記しています
又゛野增村南方二里海濱に阿治古とする所ありて 舊此地に村居の有しを噴火の為に埋れて今の地に移したる由 口碑に傳たる゛と記しています
【抜粋意訳】
阿治古(アチコノ)神社 稱 大宮明神
祭神 阿治古神
今按 三宅記に 三島の大神の后神のことを大島に置玉ふ后をば羽分大后とぞ申ける 其御腹に王子二人おはし坐 一人を太郞王子おほい所とぞ申ける 一人をば二郞王子すない所とぞ申ける云々と有て 本島鎭座の神は 此波布大后と此二柱の王子と知らるゝに總鎭守と云ひ 大宮と云ひ 大島明神と稱ふにて此神の太郎王子なること灼然く 野增村南方二里海濱に阿治古とする所ありて 舊此地に村居の有しを噴火の為に埋れて今の地に移したる由 口碑に傳たる據有説にて 古く此神も彼地 鎭座なること知られ阿治古の地名存れるを以て 阿治古命なること疑なく聞ゆと式社考證に云る確證と云べし かくて此神は三島の神の后にます波布比畔命の生ませる第一御子神とみえたり
祭日
社格 (郷社)所在 (伊豆國大島野增村)大島野增村
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大宮神社(伊豆大島 野増)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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