阿波命神社(あわのみことじんじゃ)は 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)です 『三宅記』には「三嶋神が神集島(神津島)に「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」を后として置かれ 生まれた長子は「たゝない王子」(物忌奈命神社の祭神) その弟 次子が「たふたい王子」(日向神社の祭神)とあります

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
阿波命神社(Awa no mikoto shrine)
【通称名(Common name)】
・長浜様(ながはま様)
【鎮座地 (Location) 】
東京都神津島村長浜1-2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》阿波咩命(あわのめのみこと)〈三島大社の正后〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・豊漁と家内安全祈願
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
東京都指定史跡
神津島(こうづしま)阿波命神社 境域(あわのみことじんじゃ きょういき)
所在地 神津島村字長浜一の二
指 定 昭和六十三年二月二二日
長浜海岸から入った三方を囲む渓谷に鎮座する阿波命神社は、延喜式神名帳 伊豆国賀茂郡四六座の一つと認められた古社であり、三島大社の本后を祀ると伝えられています。
この境内を中心とする海浜、海砂および周囲の岸壁をはじめとする地形・地質・植生が『続日本後紀』の承和七年(八四〇)九月二十三日の条に記載されている「伊豆国言」の記事の形状と一致し、古代神社の立地を現在まで伝える貴重な遺跡といえます。昭和六十三年の集中豪雨で倒壊した社殿は、平成四年三月に復元修理が完成しました。
平成二三年三月 建設
東京都教育委員会現地案内板より

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阿波命神社 由緒
阿波咩命は三島大社の本后にして神異を顕し、島を造りて其の造れる島に鎮座し給う事は
續日本後紀に
承和7年9月乙末 伊豆國言ス 賀茂ノ郡有造作島 本名上津島。此島に坐ス阿波神ハ 是三島大社本后也。又 坐ス物忌奈ノ命ハ即前社ノ御子神也。
とみえ
三宅記に 神津島に置給う后をば長濱の御前とぞ申しけるとあり。
古き上梁文に長濱大明神 輿奉申御神者 當鎮守 神集島定大明神 御母神也とあるにて明かなるべし。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇東京府 伊豆國 大島神津島大字永濱山
府社 阿波命(アハノミコトノ)神社
祭神 不詳
創立年代詳ならす、本社一に御瀧明神、或は長濱御前と云ふ〔神名帳考証、豆州志〕
三島大神の本后、阿波咩(アハノメノ)神を祭る、〔續日本後紀、文徳実録〕
故に豆州志稿にも、「阿波神社〔名神大〕神階帳一品きさきの宮、神集島長濱鎮座 長濱神社也、三宅記に長濱の御前を神集島に置給ふとあり、在ニ神集島、續日本後紀曰、此島に坐す阿波神、是 三島三社本后也」
と見ゆ、仁明天皇の承和七年十月伊豆国無位 阿波神に從五位下を授けらる、
是より先、承和五年七月五日夜、上津附近の海中に火ありし時、十二童子炬を取り海に下て火を附て、潮を踏事地の如く、地に入ること水の如く、大石を動して之を焼擢て、其煙炎部内に満ること旬餘なるに及び、祝、刀禰を召し其崇を占はしむるに、我は三島大社の本后にして、御子五柱坐すを、後の后神にのみ冠位を授け給ふに、我 本后にして其儀に預らず、故に如此の怪異を現はせるなり、禰宜、祝國郡司等 此事を奏し奉らずば、我 麁火(アラビ)を出して、禰宜、祝、國郡司等を焼滅すべし、若し我に冠位を授け給はば、天下平穏産業豊饒ならんと教給ひしかば、此に至て神位を進め給へり〔續日本後紀〕文徳天皇 嘉祥三年十月壬子、正五位上に叙され、同十一月甲戌 官社に列り、
仁壽二年十二月正五位下、齊衡元年六月己卯、正五位上を加へらる〔文徳實録〕
醍醐天皇の延喜の制 名神大社に列れり〔延喜式〕
神階帳田萬郡に載せられたるは当時 現今の三島大社内に招祭せられたるか故なりと云ふ〔豆州志稿〕
本社の舊き棟札に「長濱大明神と申奉るは、當鎮守 神集島の定(サタム)大明神の御母」と云へば、物忌奈乃命神社を後世 定明神と称すと〔増訂志稿〕明治五年十一月府社に列す。
社殿は本殿、拝殿を具備し、境内二千八百五十坪(官有地第一種)を有し、社地は本島の東北隅 琦麗(キレイ)なる砂濱に鎮座せり、東京市迄 海路凡百一海里なりと云ふ。
例祭日 四月十五日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・阿波命神社 社殿

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・境内

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・阿波命神社 旧蹟

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・手水舎

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・社務所(参集所)

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・神橋

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・参道 石垣

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・参道

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・鳥居

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・参道入口

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈阿波命神社の前にある海岸〉長浜
『續日本後紀〈貞観11年(869)完成〉』承和七年(八四〇)九月乙未〈廿三〉の條に
「其の前に夾纈(きょうけち)の軟障(なんしょう)を懸く 即ち美麗なる濱あり 五色の沙を以て修成す」(その前に美しい浜が広がっている 浜は五色の砂で整えられている)とあります

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長浜様の石
参道、鳥居の先に、神津島の開祖とされる、三島大社の正后を祀る阿波命神社が鎮座する。
境台には白砂が敷かれ、清水が絶えることはない。
豊漁と家内安全祈願に島民の信仰が厚く、長浜様と慕われ、毎年四月十五日に例祭が行われる。
社域一帯のたたずまいは、都の史跡に指定されている。
ぶっとおし岩より始まる この海岸一帯には、渚に色とりどりの小石があるところから五色浜とも言われ、昔から、この浜の石を持ち帰ると必ず神罰があたると言い伝えられている。長浜の石は、よせては返す波間に見えかくれして、浜に来る人を永遠にやさしく迎えてくれる。
現地立札より

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【この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)】
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
火山活動を神意・神託として記したもので 伊豆国賀茂郡の「上津島(かみつしま)」〈神津島〉の異変を報告火山噴火 を「神の造営」として描写した記事となっています
自然災害などの鎮静と政治儀礼が 古代における 神階授与(神に位階を授ける制度)と深く結びついていたことがわかります
記事文中の「神院」とは 阿波命神社を指すとされています
又 東南角有に新造院とあるのは「日向神社(神津島村多幸湾)」であろうとされていますが 往古の社域は墜没して 現在は海となつているとの事です
【抜粋意訳】
〔現代文意訳〕
卷九 承和七年(八四〇)九月乙未〈廿三〉
賀茂郡に新しく形成された島がある
もとの名は上津島〈神津島〉というこの島には阿波神が鎮座している これは 三嶋大社 の本后である
また物忌奈乃命も鎮座している これは前者の御子神であるそこには新たに神宮四院が造られ 石室二棟 建物二棟 暗室十三基ができていた
上津島〈神津島〉そのものは草木が生い茂り 東 南 北の三方は険しい岩壁で 人も船も近づくことができない
わずかに西側に船が泊まれる浜があったが 今ではその場所も焼け崩れ 海が陸地となり 砂浜が約二千町も広がっている島の東北の端には新しく造られた神殿がある
その中には塚のような高まりがあり 高さは約五百丈 土台の周囲は約八百丈ある
形は伏せた鉢のようである東側の斜面には四段の階段があり 青 黄 赤 白の砂が順に敷かれている
その上には楼閣のような建物が一つあり 高さは約四丈である
さらに南の海辺には二つの石室があり それぞれ長さ約十丈 幅四丈 高さ三丈である
内部には五色の角ばった石が屏風のように立っている岩壁は波を切り 山や谷は雲を貫く
その姿は実に神秘的で 言葉では表しがたいその前には絞り染めの帳のようなものが垂れ その前に美しい浜が広がっている
浜は五色の砂で整えられているさらに南には一つの磯がある
立てた屏風のような形で その三分の二は黄金色に輝いていた
まばゆい様子は とても書き尽くせないまた東南の端には新たな神殿があり 二重の垣が白土で固められていた
それぞれ高さ約二丈 幅約一丈である
南側には二つの門があり その中央にはまた塚があった
周囲は約六百丈 高さは約五百丈であるその南の斜面には十二の暗室があり 八つは南向き 四つは西向きである
それぞれ周囲約二十丈 高さ十二丈ほどであるその上の東側には建物が一つあり 玉瓦のような瓦で葺かれていた
長さ十丈 幅四丈 高さ六丈
壁は白い石で築かれていた南面に戸が一つある
その西側には別の建物があり 黒い瓦で葺かれ 壁には赤土が塗られていた東側に戸が一つある
境内の小石や砂は みな黄金色であったまた西北の端にも新たな神殿があり まだ工事の途中であった
その中には二つの塚があり それぞれ周囲約八百丈 高さ六百丈
形は伏せた盆のようである南の斜面には二段の階段があり 白砂が敷かれている
頂上は平らで美しい北の端から南西方向まで約十二里 幅五里にわたり すべて砂浜となっている
また北西から北東方向まで八里 幅五里にわたって同じく砂浜である
これら二つの区域はもとは海だったさらに山頂には神殿が一つあり 門が一つある
頂上には人が座っているように見える石があった
高さ約十丈
右手に剣を持ち 左手に矛を持っている
その後ろには従者がいて ひざまずいて主を仰ぎ見ていた周囲は険しく 人が通ることはできない
その他にもさまざまな異様なものがあったが 火はまだ燃え続けており 詳しく記すことはできない承和五年七月五日の夜 火が噴き出した
上津島の左右の海が燃え上がり 炎は野火のようであった
十二人の童子が互いに炬火を受け渡しながら海に降り 火を移しているように見えた
童子たちは潮の上を地面のように歩き 地中へ入るときは水に入るようであった巨大な岩を揺るがし 火で焼き砕いた
炎は天に届くほど立ち上ったその様子はぼんやりとして異様で あちこちに火が飛び散った
この状態は十日ほど続き 灰が雨のように降って辺りを覆ったそこで祝や刀禰たちを集め 占って祟りの理由を尋ねたところ 神託があった
阿波神は 三嶋大社 の本后である
五人の子を生んだが その後 他の后たちは冠位を授けられた
しかし私はまだその栄誉にあずかっていないだからこの怪異を示したのである
私にも冠位を授けよもし禰宜や祝がこの託宣を伝えなければ 激しい火を起こして彼らを滅ぼす
国司や郡司が努力しなければ 彼らも滅ぼすもし私の願いをかなえるなら 天下は平安となり 国々は豊かに実るであろう
今年七月十二日 遠くからその島を望むと 雲や煙が四方を覆い 全く見えなかった
しだいに近づくと 雲霧が晴れ 神が造った神殿や山々の姿がはっきり見えるようになったこれはまさに神威が示した奇跡である
〔読下し文〕
卷九承和七年(八四〇)九月乙未〈廿三〉
○乙未
伊豆ノ国 言(もう)さく 賀茂ノ郡に造作(ぞうさく)する嶋あり 本の名は上津嶋(かみつしま)〈神津島〉なりと
此の嶋に坐(ま)す 阿波ノ神〈あはのかみ〉は 是れ三嶋大社の本后なり 又 坐(ま)す 物忌奈乃命(ものいみなのみこと)は 即ち前社の御子神なり
新たに作る宮四院は 石室二間・屋二間・闇室十三基なり
上津嶋〈神津島〉の本體は 草木繁茂す 東南北方 巖峻しく 人船到らず 纔(わず)かに西面に泊宿の濱有り 今 咸(ことごとく)に燒け崩れて 海と共に陸地 并びに沙濱二千許町を成す其の嶋〈神津島〉の東北角に 新たに神院を造る 其の中に壟あり 高さ五百許丈 基の周り八百許丈 その形 伏鉢の如し 東方の片岸に階四重あり 青・黄・赤・白色の沙 次第に之を敷く 其の上に一つの閣室あり 高さ四許丈なり
次に南の海邊に 一つの石室あり 各々長さ十許丈 廣さ四許丈 高さ三許丈 其の裏に五色の稜石あり 屏風のごとく之を立て 巖壁は波を伐(き)り 山川飛雲 その形微妙にして 名づけ難し 其の前に夾纈(きょうけち)の軟障(なんしょう)を懸く 即ち美麗なる濱あり 五色の沙を以て修成す
次に南の傍らに 一つの礒あり 屏風を立てた如し 其の色 三分の二は悉く金色なり 眩曜(げんよう)の状 敢えて記すべからず
亦 東南の角に 新たに院を造る 周垣二重 堊(しろつち)を以て築き固む 各々高さ二許丈 廣さ一許丈 南面に二門あり 其の中央に一つの壟あり 周り六百許丈 高さ五百許丈なり
其の南の片岸に 十二の闇室あり 八基は南面し 四基は西面す 周り各々廿許丈 高さ十二許丈なり 其の上の階の東に屋一基あり 瓷玉(じぎょく)の瓦形を以て葺き造る 長さ十許丈 廣さ四許丈 高さ六許丈 其の壁 白石を以て立て固む 則ち南面に一戸あり
其の西方に 一屋あり 黒瓦を以て葺き作る 其の壁 赤土を塗る 東面に一戸あり 院裏の礫砂 皆悉く金色なり
又 西北角に 新作の院あり 周垣未だ作を究めず 其の中に二つの壟あり 基の周り各々八百許丈 高さ六百許丈 其の體 盆を伏せたるが如し
南の片岸に 階二重あり 白沙を以て之を敷く 其の頂 平らかにして麗し北角より未申の角に至るまで 長さ十二許里 廣さ五許里 皆悉く沙濱となる
戌亥の角より丑寅の角に至るまで 八許里 廣さ五許里 同じく沙濱となる
此の二院 元は是れ大海なり又 山の岑に一院一門あり 其の頂に人の坐する形の石の如きものあり 高さ十許丈 右手に劔を把り 左手に桙を持つ 其の後に侍者あり 跪きて貴主を瞻(み)る 其の邊 嵯峨として通達すべからず
自餘の雜物 燎焔未だ止まず 具(つぶさ)に注すこと能わず
去る承和五年七月五日の夜 火出づ 上津嶋〈神津島〉の左右の海中燒く 炎は野火の如し 十二童子 相接して炬を取り 海に下りて火を附く 諸童子 潮を履むこと地の如く 地に入ること水の如し 上なる大石を震かし 火を以て燒き摧く 炎煬天に達す 其の状朦朧たり 所々に焔飛ぶ 其の間旬を經たり 灰を雨らし 部に滿つ
仍りて 諸祝・刀禰等を召し集め 卜して其の祟りを求むと云う
阿波ノ神〈あはのかみ〉は 三嶋大社の本后なり 五子を相生み 而して後 后に冠位を授け賜う 我 本后として未だ其の色に預からず 茲に因りて我 殊に恠異を示す 將に冠位に預からんとす
若し禰宜・祝等 この祟りを申さずば 麁火(あらび)を出して將に禰宜等を亡ぼさん 國郡司 勞せずば 將に國郡司を亡ぼさん 若し我が欲する所を成さば 天下國郡平安にして 産業豐登せしめん今年七月十二日 彼の嶋を眇望するに 雲烟四方を覆いて 都(すべ)て状を見ず 漸く比(ころ)より戻り近づくに 雲霧霽(は)れて朗らかとなり 神作の院岳等の類 露(あらわ)れて其の貌を見す
斯れ乃ち 神明の感ずる所なり
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
承和七年(八四〇)九月乙未〈廿三〉の條に基づいて 十月丙辰〈十四〉の條において 神階 從五位下の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷九 承和七年(八四〇)十月丙辰〈十四〉
○丙辰
奉授に无位 阿波神 物忌奈乃命 並に從五位下を
以て 伊豆國 造嶋 靈驗也
〔伊豆国において島(新たに形成された島)の霊験・神威が顕著だったからである〕
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
伊豆國 伊古奈比咩命神 阿波神 物忌奈乃神が 並に從五位上を授く
【抜粋意訳】
卷二 嘉祥三年(八五〇)十月壬子〈八〉
○壬子
伊豆國 伊古奈比咩命神 阿波神 物忌奈乃神 並に授く從五位上
近江國 伊富岐神 從五位下
紀伊國 伊太祁曾神 從五位下癸丑以 伊勢國 多度神 列於官社
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
伊豆國 伊古奈比女 安房 物忌奈 三神が 並に官社に列しています
【抜粋意訳】
卷二 嘉祥三年(八五〇)十一月甲戌朔
○十一月甲戌朔
詔以
伊豆國 伊古奈比女 安房 物忌奈 三神 列於官社
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
伊豆國 阿波咩命神 物忌寸奈命神 伊古奈比咩命神が 並に正五位下を加えられています
【抜粋意訳】
卷四 仁寿二年(八五二)十二月丙子〈十五〉
○丙子
加ふ 伊豆國
三嶋大神 從四位下
阿波咩命神 物忌寸奈命神 伊古奈比咩命神 並に加ふ正五位下阿米都和氣命神 伊太豆和氣命神 阿豆佐和氣命神 波布比咩命神 並に加ふ從五位上
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座
園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉
・・・〈中略〉・・・
三嶋神社一座 伊古奈比咩命神社一座 物忌奈命神社一座 阿波命神社一座 楊原神社一座〈已上伊豆国〉
・・・〈中略〉・・・
座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 阿波神社〔名神大〕
[ふ り が な ](あはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Aha no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される「伊豆諸島の命名・各島の后と御子」の伝承
〈『三宅記』は 原本は鎌倉時代末期に完成したと見られています〉
三島大明神によって 焼き出された伊豆諸島 各々の島の命名 又 三島大明神によって 各々の島に置かれたとする「后(きさき)」と その「王子(みこ)」の名 又 「随身(貴人の側近)」の名が記されています
【抜粋意訳】
三島大明神〔三嶋大社の祭神〕は 考安天皇の二十一年に島を焼き始めました
・・・
・・・明神は この島々に名前を付けられた
一番の島を はじめの嶋(はしめの嶋)〈初島〉と名付けて この島にタミの種を植えた
二番の島を 島々の中に焼き出した そこに神達が集まり 島々を焼き出す話しをしたので 神あつめ嶋〈神津島〉と名付けた三番の島を 大きい島なので大嶋〈大島〉と名付けた
四番の島は 潮の泡を集め焼いた島の色が白かったので あたら嶋〈新島〉と名付けた
五番の島をば 家が三つ並ぶ様子に似ており 三宅嶋〈三宅島〉 と名付けた
六番の島をば 明神の倉にすると作り 御倉嶋〈御蔵島〉と名付けた
七番の島を はるかな澳にあるので 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉と名付けた
八番の島をば 小嶋〈八丈小島〉 と名付けた
九番の島をば 嶋の姿が王の鼻に似ており わ(お)うこ嶋〈青ヶ島〉と名付けた
十番の島をば としま〈利島〉と名付けた大明神は この島に通って遊ばれた 中でも 大嶋 三宅嶋 あたら嶋 の三所に 常におられました
さもあらんと 三宅嶋〈三宅島〉に宮造りをされて大明神と申された
そして見目(みるめ)〔火戸寄神社の祭神〕と若宮(わかみや)〔若宮神社の祭神〕に申された
「后を作ろう 島々に一人ずつ置くとしよう」見目と若宮は 申し上げて「天竺の「大明神のご子息の母御前〕はいかがですか」
「それは父の王の妻 できない 」「それでは」と見目と若宮は出かけた どういう方かはわからぬが 五人の后を伴い 帰ってきたので
大明神は 大いに喜悦された
一人を 大嶋〈大島〉に置かれ その后の御名を はふの太后 と名づけた〔波布比咩命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人は 太郎の王子 おほひ所 と名付けた〔大宮神社の祭神〕
一人は 次郎の王子 すくない所 と名付けた〔波治加麻神社の祭神〕また 一人の后をば あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后 と申された〔泊神社の御祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人を 大宮の王子 〔大三王子神社の祭神〕
一人を 第三乃(ていさん)王子と申した〔大三王子神社相殿の祭神〕
この二人の王子には 剣の御子 を添わせた〔差出神社の祭神〕神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕
この王子には 天竺から来た左大臣を付け置かれた 名前をば ぬく嶋の大別当 と申された その女房を ふとおまゑ(仏御前) と申した又 三宅嶋〈三宅島〉に置かれた后の名をば 天笠いま后 と申し 白濱神社(下田市白浜) 元宮〔富賀神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば あん祢ひこ(安寧子) 〔飯王子神社の祭神〕
一人をば まん祢いこ(満寧子)と申した〔酒王子神社の祭神〕又 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉に置かれた后をば いなはゑ と申し〔優婆夷宝明神社の祭神〕
その御腹に 王子が五人あって
その后が亡くなると 長男と次男は手に手を取り合って思い死に終り 石となり おとあにの御子 として立っておられる
あと二人は まだ幼い頃に亡くなってしまった
それで 五郎の王子のみが 澳の嶋〈沖の島(八丈島)〉におられます〔優婆夷宝明神社の祭神〕
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
神津島の三つの神社について
『三宅記』によれば
「神あつめの嶋〈神津島〉におさまる后の御名は 長濱の御前 と申し〔阿波命神社の祭神〕
その御腹に 王子が二人あって
一人をば たたなひ 〔物忌奈命神社の祭神〕
一人をば たふたい と申した〔日向神社の祭神〕」とあります
延喜式内社 伊豆國賀茂郡 物忌奈命神社〔名神大〕(ものいみなのみことの かみのやしろ)
・物忌奈命神社(神津島村)
三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」から生まれた長子が「たゝない王子(たたない王子)(物忌奈命神社の祭神)」
延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)
・阿波命神社(神津島村長浜)
・日向神社(神津島村榎木が沢)
三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」から生まれた弟 次子が「たふたい王子(日向神社の祭神)」
神津島(神集島)長浜に鎮座 阿波命神社の分祀とされる式内社
延喜式内社 伊豆國田方郡 長濱神社(なかはまの かみのやしろ)
・長濱神社(沼津市内浦長浜)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
神津島港から神津本道を海岸線に沿って北上して約3.3km 車での所要時間は7~8分程度
長浜海岸に到着

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海岸には 阿波命神社100m の案内があり 進みます

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左手には 山が迫っています

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石段の先に 鳥居が建ちます
阿波命神社(神津島村長浜)に参着

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鳥居をくぐり抜けると うねうねとした木々の参道を進んでいきます

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ここで 参道が一気に狭まって石垣に囲まれてS字を描くように曲がっています
潮風を防ぐためか? 参拝者が正中を進まぬ配慮か?

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S字をぬけると神橋が掛かっています
境内には清水が絶えないと云われています

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境内の向って左手には 手水舎があり 清めます

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神橋を渡ると境内の向って右手には (参集所)社務所があります

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(参集所)社務所の脇の石垣の上には 阿波命神社の旧跡があります

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阿波命神社の旧跡の向かって左側が 現在の社殿です

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境内地は 三段構成の社壇になっていて 二番目の社壇への石段の脇には 竹で出来た注連柱のようなものが 祀られています 何でしょうか?

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二番目の社壇へ上がります

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二番目の社壇は 現在は御覧の様に更地となっていますが 祭事の為の敷地なのか かつては拝殿が立てられていたのかも知れません

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拝所は 本殿前の石段に設けられています
本殿は 三番目の一番高い社壇に祀られています

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ここより先は 立入禁止となっています

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拝所にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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鳥居を抜けて戻ります

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参道の入口には 海からの防風・防砂柵が設けられています
目の前の海岸が「長浜」です

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 阿波神社〔名神大〕について 所在は゛神集島多子濱に在す、〔志〕御瀧明神 或 長濱御前と称す゛〈現 阿波命神社(神津島村長浜)〉と記しています
【抜粋意訳】
阿波神社〔名神大〕
阿波は假字也
O祭神 三島神本后也
○神集島多子濱に在す、〔志〕御瀧明神 或 長濱御前と称す、例祭 月、日、
○式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕伊豆國 阿波命神社一座、
○續日本後紀、承和七年九月乙未、伊豆國言、賀茂郡有己造島、本名上津島、此島坐阿波神、是三鳥大社本后也、又坐物忌奈乃命、即前社御子神也、新作宮四院石室二間屋二間闇室十三台、・・・〈中略 承和七年九月乙未の条文の通り〉・・・」
日本紀、天武天皇十三年十月壬辰、是夕、有ニ鳴聲、如鼓聞ニ于東方、有人曰、伊豆島西北二面、自然増益三百余丈、更爲ニ一島、則如ニ鼓音者、神造ニ是島響也、とあるは今いつれの島とも知がたし、故こゝに附して後勘をまつ、
神位 官社
續日本後紀、永和七年十月丙辰、奉授ニ伊豆國無位 阿波神 從五位下、以ニ伊豆國造島靈験也、
文徳實録、嘉祥三年十月壬子、伊豆國 阿波神 授ニ從五位上、
同年十一月甲戌朔、詔以ニ安房神 列ニ於官社、仁壽二年十二月丙子、加ニ伊豆國 阿波咩神 正五位下、又 齊衡元年六月己卯、加ニ伊豆國 阿波咩神 正五位下(同位重出不審)
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 阿波神社〔名神大〕について 所在は゛(伊豆國神津島字永續山 )神津島゛〈現 阿波命神社(神津島村長浜)〉と記しています
【抜粋意訳】
阿波神社〔名神大〕
祭神 阿波咩命 稱 長濱明神
今按 この阿波咩ノ命は 三島大神の本后にして神異を顯し島を造りて其造れる島に鎮座し玉ふ事は續日本紀に「承和七年九月乙未・・〈中略 承和七年九月乙未の条文の通り〉・・・」とみえ
三宅記に 此神のことを神津島に置給ふ后をば長濱の御前とぞ申けるとあり
古き上梁文に 長濱大明神與奉申御神者 當島鎭守神集島定大明神 御母神也とあるにて著明し神位
仁明天皇 承和七年十月丙辰 奉ニ 授伊豆國無位 阿波ノ神 從五位下二 以二伊豆國造 島靈驗ヲ也
文徳天皇 嘉祥三年十月壬子 伊豆國 阿波神 授二從五位上
十一月甲戍朔 詔以二 安房神 列ニ於 官社
仁壽二年十二月丙子 加ニ 伊豆岡 阿波咩神 正五位下祭日 四月六月十一月並 中酉日
社格 郷社所在 (伊豆國神津島字永續山 )神津島
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
阿波命神社(神津島村長浜)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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