田村神社(たむらじんじゃ)は 社記によれば 古くは 定水井(さだみずのい)という深淵に水神〈龍神〉を祀っていた 和銅二年(709)に行基によって その深淵の上に社殿が創建されたと伝わります 讃岐地方は 雨が少なく農耕には溜池を必要とする地域で この地に枯れることなく湧き出る水は 信仰と祭祀の根源に繋がったとされます
目次 [非表示]
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 【境内社 (Other deities within the precincts)】
- 2.1 ・宇都伎社《主》大地主神,倉稲魂神
- 2.2 ・姫之宮〈縁結びの神様〉
- 2.3 ・淡島社〈一宮のあわしまさん〉《主》少名毘古那神
- 2.4 ・微笑童七福神(ほほえみわらべしちふくしん)〈わらべ七福神〉
- 2.5 ・素婆倶羅社《主》少名毘古那神,《配》大年神,塞神,大水上神,菅原神
- 2.6 ・一宮天満宮《主》菅原道真公
- 2.7 ・木化石
- 2.8 ・一宮稲荷社
- 2.9 ・厳島社(宮島社)《主》市杵島姫命
- 2.10 ・伊勢神宮遥拝殿
- 2.11 ・石祠
- 2.12 ・弁才天
- 2.13 ・田の神さん
- 2.14 ・恵比寿(えびす)神・久延比古神(くえひこかみ)
- 2.15 ・一打万福
- 2.16 ・布袋(ほてい)神
- 2.17 ・福禄寿(ふくろくじゅう)
- 2.18 ・寿老(じゅろう)神
- 2.19 ・さぬき獅子
- 2.20 ・八咫烏(やたがらす)
- 2.21 ・鐘楼門
- 2.22 ・海外開拓者殉難之碑・殉國之霊碑《主》護国の英霊
- 2.23 ・さぬき七福神 布袋尊 田村神社
- 2.24 ・龍神
- 2.25 ・龍神(金龍)
- 2.26 ・左近の桜
- 2.27 ・五楽殿
- 2.28 ・子育布袋尊
- 2.29 ・歳徳神
- 2.30 ・相撲場(土俵)
- 2.31 ・花泉(はなのい)〈花ノ井出水〉
- 3 【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
- 4 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 5 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 6 吉備津彦命を祀る 三備〈備前国・備中国・備後国一宮〉一宮 吉備津神社について
- 7 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 8 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 9 「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る
- 10 讃岐国 式内社 24座(大3座・小21座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
田村神社(Tamura shrine)
[通称名(Common name)]
・一宮さん(いちのみやさん)
・定水(さだみず)大明神
【鎮座地 (Location) 】
香川県高松市一宮町286
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)〈吉備津彦命〉
《配》猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
天隠山命(あめのかぐやまのみこと)〈高倉下命〉
天五田根命(あめのいたねのみこと)〈天村雲命〉
以上五柱の総称を田村大神
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・交通安全・子授け・安産・初宮・方除・厄除
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社 名神大社
・ 讃岐国一之宮
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
ご由緒
当社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々より篤く崇敬されてきた。
嘉祥二年(849)従五位下に叙せられ貞観三年(861)官社となり名神大社に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は神階を授けられ建仁元年(1201)正一位の極位に叙せられた。
当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。
奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。
古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている。
田村神社の出水
讃岐平野のほぼ中央に位置し、東には香東川が流れ地下にはその伏流水が流れており、地域の人々は井堰や出水を作り、生活用水や田畑の灌漑用水として利用するなどその恩恵を受けてきた。
当神社にもそこからの湧き水が三つあったが現在では御神体である淵と、境内東方にある袂井(たもとい)の二つのみである。西方にある花泉(はなのい)は涸れ井となっている。御神体の淵は社殿内にあり当然見ることは出来ない。
社伝によると御神体の淵には龍が住むという龍神伝説がある。
袂井は百襲姫命がこの地に御来臨した時、里人の奉る烏芋(ごや)を食べてにわかに熱病に罹り、渇きをうったえられた時に侍女が袂を浸して水を奉った井といい、今日もなお、稲田灌漑の水源地であることから「田本井」(たもとい)ともいう。
花泉は百襲姫命が御手を洗われた所という。
田村神社公式HPより
https://tamurajinja.com/about/
【由 緒 (History)】
由緒
祭神 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)天隠山命(あめのかぐやまのみこと)五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(吉備津彦命(きびつひこのみこと)天五田根命(あめのいたねのみこと)以上五柱の神を田村大神と申す。
倭迹迹日百襲姫命は 人皇第七代孝靈天皇の御皇女にましまし祟神天皇の御代国内疫病に苦しめるを救治し給ひ又武埴安彦(たけはにやすひこ)の謀反を予知して建言し給ひ謀反を未然に防ぐ等数々の勲功あり仍て百襲(襲は勲功の約)の名を負ひ給ふ 後吉備津彦命(きびつひこのみこと)と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に下り給ひよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられた 御陵(はか)は大和国城上郡大市村にありこの御陵を作るのに昼は人が作り夜は神が是を作られたと云はれ広大な御陵で箸(はし)の陵(みささぎ)と言はれてゐる。
五十狭芹彦命は 姫命の御弟に当らせられ又の名を吉備津彦命とも申す 四道将軍の御一方にして西海を鎮定し給ひ吉備国の祖神となられた猿田彦大神は皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)御降臨の時天(あめ)の八衢(やちまた)に出迎へて御嚮導をなし道途の安全を守護し給ひし神にして此の神の向ふ所は如何なる禍神も恐れて避け奉ったと云はれ方除の神として神威まことに偉大である。
天隠山命は 高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し神武天皇御東征の砌霊剣を奉って偉功を立て給ひ後 御子 天五田根命(又の名を天村雲命(あめのむらくものみこと))と共に紀伊国より当国に渡らせられ山河を以て国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定められた。
皇室武門武将の崇敬
当神社の起源は極めて古く社記によれば元明天皇の和銅2年社殿を創建すとあり往古より田村大社定水(さだみづ)大明神又は一宮大明神とも称し夙に朝野の崇敬浅からず
仁明天皇の嘉祥2年2月従五位下に叙せられ清和天皇の貞観3年2月官社に預り延喜の制名神大社に列し讃岐国の一宮たり以後屡々神階を授けられ建仁元年2月正一位の極位に敍せらる
降って明治4年5月14日に国幣中社に列せられたり 爾来皇室国家事ある毎に勅使を御差遣あらせらる
古くは弘安7年7月後宇多天皇弘安の役の奉賽として「正一位田村大明神」の勅額を寄せられ
明治4年11月、大正4年11月、昭和3年11月の大嘗祭には何れも勅使御差遣あり
大正11年11月摂政宮殿下大演習御統監の為行啓には亀井侍従を御使として御差遣あり
大正14年12月10日には北白河宮大妃殿下御参拝
昭和9年4月5日閑院宮戴仁親王殿下御参拝
同年5月22日梨本宮守正王殿下御参拝
昭和25年3月四国行幸、
同28年10月第8回国民体育大会行幸には夫々幣帛料御下賜等皇室の御崇敬洵に厚い
武門の尊崇も亦厚く貞和2年3月管領細川頼之領主たりし時には社域を拡築して一切経を奉納し
長禄4年12月細川勝元社頭に壁書を掲げしめて神事を厳重に掟てなし降って天正年間仙石生駒二氏相次いで此の地を領するに及び夫々社領を寄進したり
ついで明暦元年3月松平頼重公国守に任ぜらるゝや社殿を修造して更に社領を寄進なし
延宝7年に両部習合を廃し50石の社領中5石5斗を割いて社僧大宝院に寄せ神仏を分離し江戸時代の初期に於て早くも唯一神道の道を開かれた
爾来松平家の祈願所として累代社領を寄進し或は家宝を献ずる等その尊崇明治維新に至るまで変ることなかりき
当神社奥殿の床下に深淵あり厚板を以て之を蔽ひ此の殿内には盛夏といへども凄冷の気が満ちてゐて古くより神秘を伝へ今に窺ひ見る者なしこれ定水大明神の称ある所以にして領内に水旱あれは領主奉行は必ず先ず以て当社に祈願したりと云う。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
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【境内社 (Other deities within the precincts)】
〈本社の右手(東側)〉
・宇都伎社《主》大地主神,倉稲魂神
・姫之宮〈縁結びの神様〉
・淡島社〈一宮のあわしまさん〉《主》少名毘古那神
・微笑童七福神(ほほえみわらべしちふくしん)〈わらべ七福神〉
・素婆倶羅社《主》少名毘古那神,《配》大年神,塞神,大水上神,菅原神
・一宮天満宮《主》菅原道真公
・木化石
〈神池の周辺(東南側)〉
・一宮稲荷社
・厳島社(宮島社)《主》市杵島姫命
・伊勢神宮遥拝殿
・石祠
・弁才天
・田の神さん
・恵比寿(えびす)神・久延比古神(くえひこかみ)
・一打万福
・布袋(ほてい)神
・福禄寿(ふくろくじゅう)
・寿老(じゅろう)神
〈北参道の周辺(東北側)〉
・さぬき獅子
・八咫烏(やたがらす)
・鐘楼門
・海外開拓者殉難之碑・殉國之霊碑《主》護国の英霊
・さぬき七福神 布袋尊 田村神社
〈本社の前面(南側)〉
・龍神
・龍神(金龍)
・左近の桜
・五楽殿
・子育布袋尊
・歳徳神
・相撲場(土俵)
〈境内の西側〉
・花泉(はなのい)〈花ノ井出水〉
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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
〈御旅所 御祭神降臨の地〉天降神社
・天降神社(高松市香川町)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『続日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷十九 嘉祥二年(八四九)二月癸丑〈廿八日〉の条
〇癸丑 奉り授くに 讃岐國 田村神 從五位下
【原文参照】
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
官社に列したこと 神階の奉授などが 記されています
【抜粋意訳】
卷五 貞觀三年(八六一)二月十三日丁巳の条
○十三日〈丁巳〉釋奠如常の
讃岐國 從五位上 田村神を 列に於官社に
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷十一 貞觀七年(八六五)十月九日丁巳の条
○九日丁巳
讃岐國
從五位上 田村神 大水上神 並びに授くに 正五位下
從五位下 大麻神 城山神 賀茂神 神谷神等 並に 從五位上大和國 正六位上 武雷神 保沼雷神
出雲國 從六位上 女月神等 並に 從五位下
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷十四 貞觀九年(八六七)十月五日庚午の条
○五日庚午 地震
授くに
讃岐國 正五位下 田村神 從四位下
伊賀國 從五位下 敢國津神
飛騨國 從五位下 水无神 荏神 槻本神 大津神 荒城神 栗原神 阿多由太神 高田神
越中國 從五位下 御田神等 並 從五位上
遠江國 正六位上 鴨神
飛騨國 正六位上 大歳神 走淵神 四天王神 遊幡石神 彦度瀬神 道後神等 並 從五位下
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷二十七 貞觀十七年(八七五)五月廿七日戊申の条
○廿七日戊申
授くに 讃岐國 從四位下 田村神 從四位上
正五位下 大水上天神 正五位上 從五位上 賀茂天神 神谷天神 並五位下
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷三十 元慶元年(八七七)三月四日乙巳の条
○四日乙巳
授くに 讃岐國 正四位下 田村神 正四位上
正五位下 大水神 正五位上 從五位下 多和神 從五位上
「詔復讃岐國民徭役也」
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
田村神社は 名神大とされますが 臨時祭 名神祭 二百八十五座の中には 記載がありません
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)讃岐国 24座(大3座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)香川郡 1座(大)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 田村神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](たむらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tamura no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載 讃岐国 香川郡 田村神社(たむらの かみのやしろ)(貞・名神大)
・田村神社(高松市)
・天降神社(高松市香川町)〈御旅所 御祭神降臨の地〉
龍神伝説について
当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。
奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。
古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている。
田村神社公式HPより
御神歌
龍体で示現なすとの伝えある 田村の神は 水の大神
田村の大神は水の神 御神体は龍神なり
神池には 田村の神は水の大神 御神体は龍神なりと云われる通り 豊かな水が湧き出しています
神池
龍体(りゅうたい)で示現(じげん)なす との伝説(つたえ)なり 田村の神は水の大神
龍神像
桃太郎伝説について
銅像〈倭迹迹日百襲姫命と五十狭芹彦命〈吉備津彦命〉桃太郎の像〉
田村神社御祭神、倭迹迹日百襲姫命の弟御、吉備国(岡山県)、吉備津神社祭神、吉備津彦命(桃太郎と云い伝え)今まさに犬(犬島)猿(猿王)雉(雉ヶ谷)の衆をつれ、指さす女木島(鬼ヶ島)へ鬼退治にむかう古事
「姫は農耕の恩人」
古代、讃岐の人々に米作りや水路などの農耕技術を伝えた恩人といわれる「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」。孝霊天皇の娘で、稚武彦命や岡山県において桃太郎のモデルといわれる吉備津彦命(きびつひこのみこと)の姉にあたります。吉備津彦命と稚武彦命の2人は百襲姫の弟で「ももたろう」と呼ばれたとの説も。巫女の力を持った姉の助けで、鬼とされた海賊の退治を無事に果たしたのかもしれません。百襲姫は、遠く大和から讃岐に来て、ある日突然に大和に帰ったので、かぐや姫のモデルになったともいわれています。
桃太郎伝説は、孝霊天皇の第八皇子である稚武彦命(わかたけひこのみこと)が家来を引き連れ、海賊退治をおこなったという話を、讃岐国守だった菅原道真が地元の漁師から聞き、おとぎ話にしたものといわれています
香川県庁公式HP「[伝統文化]むかしむかし…春の讃岐路」より
https://www.pref.kagawa.lg.jp/nosonseibi/green/takarabako/1.html
吉備津彦命を祀る 三備〈備前国・備中国・備後国一宮〉一宮 吉備津神社について
吉備国の一之宮であった 『延喜式神名帳』名神大社 吉備津彦神社は 分祀されて 分割された国の一之宮となります
備前国一宮 岡山市北区一宮 吉備津彦神社
・吉備津彦神社(岡山市備前一宮)
備中国一宮 岡山市北区吉備津 吉備津神社
・吉備津神社(岡山市北区吉備津)
備後国一宮 広島県福山市新市町 吉備津神社
・吉備津神社(福山市新市町)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR瀬戸大橋線 予讃線 高徳線の高松駅から R11号から県道172号を南下 約8.1km 車20分程度
一宮町の交差点から 境内北側の大鳥居が建ち 駐車場があります
田村神社(高松市一宮町)に参着
鐘楼門があり 鐘撞(かねつき)ですので 神仏習合の名残りがあります
鳥居には 龍神が刻まれいてます
生垣沿いには 古事記の神代巻が描かれています
「全国一宮鎮座地」が記される石碑があります 他の一之宮ではあまり 見かけません
祭神の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)〈吉備津彦命〉から
桃太郎伝説の銅像があります
北参道から進みます
北参道は 稲荷の千本鳥居のように朱色の鳥居 一礼をしてから くぐり抜けます
社殿は 南向きに建てられていて
向かって左〈西側から 田村神社 宇都伎社 素波倶羅社 天満宮〉4社が並んでいます
4社各々の
拝殿にすすみます
それぞれの拝殿の奥には それぞれの本殿が鎮座します
正面の大鳥居は 田村神社 と 宇都伎社
宇都伎社の前面には 竜神が祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
田村神社では 燈籠祭
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿奥には 本殿 奥殿が深淵の上に鎮座していると伝わります
田村神社の前面 境内の東側には 表参道があります
表参道の脇には 龍神の手水舎があります
神門の先には 注連縄柱 社頭の鳥居が建ちます
その先には 砂利の参道が 琴電琴平線の線路まで 南へ真っ直ぐに伸びています
社頭の社号標には
「延喜式 名神大 一宮 正一位 田村神社」と刻まれています
鳥居の扁額には「國幣中社 田村神社」
灯篭には「一宮大社」とあります
参道の狛犬は 愛嬌があります
参道を進み 神門をくぐり抜けます ふたたび 境内へ
再度 社殿に一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
祭神を猿田彦大神と記しています
【抜粋意訳】
田村神社 名神大
田村は多無良と訓べし
〇祭神 猿田彦大神 一宮記、頭注
〇香東郡大野郷一宮村に在す、府志、網目、神社考、累記
例祭四月八日、八月八日
〇当国一宮なり 一宮記
〇永萬記云、一宮神位
続日本後紀
嘉祥二年(八四九)二月癸丑〈廿八日〉奉り授くに 讃岐國 田村神 從五位下日本三代実録
貞觀三年(八六一)二月十三日〈丁巳〉讃岐國 從五位上 田村神を 列に於官社に
貞觀七年(八六五)十月九日丁巳 讃岐國 從五位上 田村神 授くに 正五位下
貞觀九年(八六七)十月五日庚午 地震 授讃岐國正五位下田村神從四位下
貞觀十七年(八七五)五月廿七日戊申 授くに 讃岐國 從四位下 田村神 從四位上
元慶元年(八七七)三月四日乙巳 授くに 讃岐國 正四位下 田村神 正四位上雑事
朝野群載云、・・・・・・
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
田村神は 水神or龍神との伝承を記しています
【抜粋意訳】
田村神社 名神大
祭神 称 一宮大明神
今按〈今考えるに〉本社祭神一宮記神名帳頭注に猿田彦神とみえ一説に倭迹迹日百襲姫命 また五十狭芹彦命など云て 一定せず
而るに三代物語に一宮田村定水大明神云々造神殿於深渕上古今無観其淵者矣烏蛇多長四五尺俗謂之神龍也云々
又一説に 水神を祭るとあり 官社考証にと部の方主が筆記に田村神は水神と云ひ 又 中古社号を定水と云ひ 又 神殿を深淵の上に造るなと云て水に縁ある神と思へば 古事記に所謂 深淵之水夜禮花神を祭れるならんかと云へり
又 水主神社の祭神を淤美豆奴神ならんと思はるると考合するに彼社の和賛に水主神と田村神とを御兄弟と云るもと此両神の親き縁ある古伝のありし故なるべし
延暦儀式帳に 大土神社一處称國生神 兒大國玉命 次 水佐々良比古命 次 佐々良比咩命云々坐地大土神社之四至内とある田村比賣命には由なき欵百襲姫命と傅へたるも血なきにあらす若し由あらば猿田彦命と傳へたるも大土神社を伊勢の土公におもひよせて誤りたるか又は國生神をしか云るならん欵姑く附て後考を俟つ神位
続日本後紀
嘉祥二年(八四九)二月癸丑〈廿八日〉奉り授くに 讃岐國 田村神 從五位下日本三代実録
貞觀三年(八六一)二月十三日〈丁巳〉讃岐國 從五位上 田村神を 列に於官社に
貞觀七年(八六五)十月九日丁巳 讃岐國 從五位上 田村神 授くに 正五位下
貞觀九年(八六七)十月五日庚午 地震 授讃岐國正五位下田村神從四位下
貞觀十七年(八七五)五月廿七日戊申 授くに 讃岐國 從四位下 田村神 從四位上
元慶元年(八七七)三月四日乙巳 授くに 讃岐國 正四位下 田村神 正四位上祭日 八月八日
社格 國幣中社
所在 一宮村(香川郡一宮村大字一ノ宮)
【原文参照】
田村神社(高松市一宮町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)