伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

伊弉諾神宮は 『記紀神話』の日本創成で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が 日本の国土開拓に着手された時 「天沼矛から滴るしずく」で 最初に造り上げた島「淡路島(awaji shima)」に鎮座します 御祭神は 「国生み神話の地」にふさわしい「伊弉諾尊と伊弉冉尊」で神代のロマンを感じます 

ご紹介(Introduction)

【神社名】(Shrine name)

 伊弉諾神宮(izanagi jingu)
 いざなぎじんぐう
 

【通称名】(Common name) 

・一宮さんikkusan
・淡路幽宮 awaji kakurinomiya 
・日之少宮 hinowakamiya 
・津名明神 多賀明神 淡路島神 一宮皇大神

【鎮座地】(location)

 兵庫県淡路市多賀740

【地図】(Google Map)

【延喜式神名帳】「旧国名 郡 ・ 神社名」

(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
【engishiki jimmeicho】「old region name・shrine name」

淡路國  津名郡  幽宮  名神大社 一座
 awajinokuni tsunagun kakurinomiya myojintaisha

【御祭神】(God's name to pray)

 《主》伊弉諾尊(izanaginomikoto)
 《主》伊弉冉尊(izanaminomikoto)

【御神格】(God's great power)

御祭神の御神徳は 国生み神話で 伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦の契りを結び 日本を誕生させた神話から 恋愛 夫婦 子供のご利益 新規 繁盛 拡大 安泰など仕事のご利益まで様々です

・縁結び  Deepen connections and intimacy with people
・恋愛成就 Love comes true
・夫婦円満 married couples swearing to God want good relationships with each other
・子授け  Children will be born as desired
・安産祈願 Healthy childbirth
・家内安全 Safe and comfortable home life
・子孫繁栄 Prosperity of descendants
・厄除け  Prayer at an age considered a milestone in life
・無病息災 Disease free and healthy
・病気平癒 Healing of disease
・延命長寿 Healthy and longevity
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・豊作大漁 Good harvest and big catch
・出世開運 Social status and good luck
・国家安泰 People thank God and live a safe and quality life in their own country
・等 etc

【格式】(Rules of dignity)

・淡路國一之宮 (musashinokuni ichinomiya)

・延喜式内社 名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)

【創建】(Beginning of history) 

神代

Shrines are very old, from the days when the gods flourished
And the faith is still going on

【由緒】(history)

 我が国最古の歴史書たる、古事記・日本書紀に御祭神二柱の大神は、高天原の神々の理想実現のため天沼矛をもって日本の国土開拓に着手された。
その最初が淡路の島で、先づ八尋殿と言う御殿を建て、其処で正しい夫婦の道をお定めになり、人々に教育を施し、産業を興して此の島をお治めになった。
更に四国・九州・本州を始め周辺の島を次々と開拓されたのである。
此の神業が国生みであり、大神を国生みの神と申し上げるのもその故である。

大神は多くの神々もお生みになったが、その中で一番貴い御子神が天照大御神である。
国生の大業を了えられた大神は、此の御子神に後の国治めの大任をお委せになり、独り国生みの初めの淡路へお帰りになって、此の多賀の地で余生を過されやがて御住居の跡が御陵となり、いつしか神社として祀られる様になったのが当神宮で、古事記には淡路の多賀になも坐す、日本書紀には幽宮を淡路の洲に構り、と御鎮座の起源を明かにしている、即ち日本最古のお社である

 ※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社】(Other deities within the precincts)

・左右神社 《主》天照大御神 月読尊
・根神社  《主》素盞嗚尊
・篭神社  《主》奥津彦命 奥津姫命
・鹿島神社 《主》武甕槌神 経津主神
・住吉神社 《主》住吉三前神
・岩楠神社 《主》蛭子命
・淡路祖霊社《主》淡路島先賢功労者 護国の英霊,社

スポンサーリンク

【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)

伊弉諾神宮は 日本でも最古の歴史をもつ神社の一つです

{原文}
『古事記』「故其伊邪那岐大神者坐淡路之多賀也」
[かれ 伊耶那岐大神は淡海之多賀 (淡路の多賀)に坐す(います)]と記され

{原文}
『日本書紀』「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」
[伊奘諾尊(izanaginomikoto) 神功既に畢(o)へたまひて 霊運当遷(kamiagarimashi)たまふ 是を以て 幽宮 (kakurinomiya)を淡路の洲(kuni)に構りて 寂然(sekizen)に長く隠れましき]と記され

意約すると
「神代の昔 国生みの大業を終えた大神の 伊弉諾尊(izanaginomikoto)が 淡路の多賀の地に「幽宮 (kakurinomiya)」を構えて余生を過され この地で終焉を迎へられたので その宮の敷地に神陵を築いて 静かに長くかくれられた」

神社の別名を「幽宮 (kakurinomiya)」と呼ぶ理由となります

伊弉諾尊(izanaginomikoto)の神陵(古墳)は かつて前方の本殿より拝しましたが  明治初年に国費による造営がなされ 神陵の墳丘を整地し 本殿を神陵の真上に移築して現在の景観になったとのこと

この地が尊の宮の旧跡と伝わり これを創祀の起源としています
かつて ご祭神は 伊弉諾尊の一柱であったとする説が多くあります

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

『ひのわかみやと陽の道しるべ』

境内に 石碑と日時計があり 次のように刻まれています

『「伊弉諾神宮の神域は、日本書紀に「伊弉諾尊神功既畢靈運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者」 古事記伊勢本に「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也」と記される神跡で、伊弉諾大神が御神功を果たされ、淡路の多賀に幽宮を構築して余生を過ごされた故地であり、北緯34度27分23秒の緯度上にある。

  当神宮の創祀は神代に溯り、伊弉諾尊の宮居跡に営まれた神陵を起源とする最古の神社である。また日本書紀に「仍留宅於日之少宮〈矣少宮此云倭柯美野〉」の記述があり、これは伊弉諾尊の太陽神としての神格を称え、御子神である天照皇大御神の差昇る朝日の神格と対比する日之少宮(ひのわかみや)として、御父神の入り日(夕日)の神格を表現している。因みに全国神社の本宗と仰ぐ伊勢の神宮(皇大神宮)はこの神域の同緯度上に鎮座し、更にその両宮を結んだ中間点に最古の都「飛鳥宮藤原京」が営都されているのである。

  専門家の協力を得て当地からの太陽軌道の極致にあたる方位を計測すると、夏至・冬至・春秋仲日の日出と日没の地に神縁の深い神々が鎮座していることを次の通りに確認することができた。緯度線より北への角度29度30分にあたる夏至の日出は信州の諏訪湖(諏訪大社)日没は出雲大社日御碕神社への線上となる。春分秋分は伊勢の神宮から昇り海神神社(対馬国)に沈む。南への角度28度30分にあたる冬至の日の出は熊野那智大社(那智の大滝)日没は天孫降臨伝承の高千穂峰(高千穂神社・天岩戸神社)となるのである。

  これらは国生み伝承の淡路島が、神々の坐まします大八洲国の中核の島で、祇(まさ)に天と地を結ぶ能(はたらき)が、太古から脈々と生き続けている「神の島」だと言うことを物語っているのではないだろうか。神代から受け継ぐ千古の歴史の尊さや、太古の浪漫と祖先の叡智とをこの「陽の道しるべ」で実感していただければ幸いである。
平成十九丁亥(ひのとい テイガイ)年六月吉日 宮司撰(えらぶ)』

要約をすれば

「日之少宮 (hinowakamiya)」とは 伊弉諾神宮の 又の別名ですが 夕日(入り陽)を表現する尊称で
御祭神「伊弉諾大神」は国生みの大業を終えられ 御子神である天照皇大御神 (amaterasu omikami)に この国の統合の権限を委ねました

国生みの大業を終えたご神格『沈み行く夕日(入り陽)の輝き』(伊弉諾大神)
新たなる統合の始まるご神格『昇りゆく朝日(出る陽)の輝き』(天照皇大御神)

として 日本の国を照らす太陽神を表現する尊称として対をなしているらしく

下の写真 石碑の図をご覧になると すぐに判りますが
御子神・天照皇大神を祀る伊勢神宮と同緯度・北緯34度27分23秒で 両宮の中間に飛鳥藤原京が位置します
夏至には諏訪から出雲へ 冬至には熊野那智から高千穂へ太陽が運行する位置に当社はあるとしています

神代のロマンと神秘的な神話の世界が 現実の人々が祀る神社と太陽信仰を相関関係として描いていて 心が和みます

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

淡路島 (awajishima)に鎮座する 伊弉諾神宮izanagijingu へのアクセスは 車 バス レンタカー 神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICから車で約10分程度です 

バス停からも徒歩ですぐ 駐車場からですと少し戻る感じになりますが
正面の大鳥居からのお詣りを始めます

境内は約1万5000坪と広く 大鳥居前で 一礼 いよいよお詣りです

石の大鳥(約8メートル)は 阪神淡路大震災(1995)で倒壊後 再建され(花崗岩の神明鳥居として日本で最大級規模)とのこと
その両サイドには 見上げること2メートル以上 台座の上に立派な狛犬(komainu)が控え 参拝者を待ち受けます

白い小石が敷き詰められた参道は 石灯篭が二の鳥居まで続き 更に神橋 正門 拝殿 本殿へと参道が一直線に伸びています

こういう時は 特に参道の正中を歩かないように気を付けようと想いつつ 右手に「さざれ石の碑」(敬神生活の綱領と国歌「君が代」が刻まれた記念碑)

その先に「香りの碑」(推古天皇3年夏4月に香木(沈水)が 淡路島に漂着したことを記念し1400年となる1995年に建立されていて 淡路島は 日本の香道の始まりの地とされていますと記され) 知らなかったので 思わず「へーそうなのですか!」とびっくりしつつ 左手に先程の「伊弉諾神宮の陽の道しるべ」があり 右往左往しながら自然に参道の端を歩いていました

もともとは 禁足の聖地であった御神陵ですので 神域の周囲には かつては お濠(神社背後には湿地) が巡っており その当時の面影として 正面には境内「放生の神池(hojo no miike)」が残っているそうで
「放生の神池(hojo no miike)」では 古くから方生神事で生命の永続を祈願されていて 病気平癒のために「鯉」を放ち その平癒が叶うとお礼参りに長寿を願い「亀」を放ったと言われています

御神橋を渡って左手に大きな石で彫られた「亀の手水舎」があり 亀は海の導き役でもあり 淡路島の島神の導き役として 亀が登場して 参拝者を祓い清めて長寿を祈っているのかと想うと妙に納得して 思わず丁寧に手水で清めます

ここでは 長寿の象徴「亀」の口から手水が出て見どころですね
この手水鉢の一枚石は 豊臣秀吉が命じて各地から集めた石垣石(大阪城の築城)が 運搬中に郡家浦の沖合いに沈んでしまったものを 江戸末期 氏子が引き上げ手水鉢として奉納したとあります

正門(seimon)の前は 真横に広い参道が一直線にありますが 秋祭には流鏑馬(yabusame)奉射の馬場となるらしく 走路は東西約150m長さがあります

昔の正門(seimon)は 随神門(神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ 御門の神をまつる門)で 随身の閽神(kadomorinokami)が置かれていた形式だったそうですが 明治16年に再建され 格式高く現在の四脚門(yotsuashimon)となったそうです

拝殿(haiden)は 一礼の後 正門をくぐって正面中央にあり 入り母屋造り(明治15年 再建)で 舞殿(maidono)を兼ね備えているようです
おそらく ここでは 宮司や巫女による神事が執り行われ 和楽器の音楽が流れて 綺麗な衣装を身に着けて神楽を舞ったりしている筈です

賽銭をおさめ お祈りです
国生みの大神を畏れ敬い ご神威に添い給うよう願い 拝礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の奥には かつての御陵地 今の本殿とご神域があります 

明治期に御陵地を整地して本殿を移築したので それ以前は 禁足の聖地 かつては 御神陵を中心として 神域の周囲は霧で覆われていた伝えられます
今でも 本殿の真裏に かつての禁足の聖地を祈れるように参拝所が設けられています

「境内にある神社や碑などについて」

「神馬の像」本殿右側に 菊の御紋「神馬の銅像」があります

「夫婦大楠(meoto no okusu)」
拝殿右側 樹齢900年 根元の周囲12.4m高さ30m 巨木の夫婦大楠があり
夫婦(meoto)との云われは 高さ2mあたりで枝分かれしているが 元々は2本の楠が 夫婦の如く 交わり一株となって成長した故

御祭神2柱の

伊弉諾尊(izanaginomikoto)
伊弉冉尊(izanaminomikoto)が 夫婦神(meotogami)であり

が正しい夫婦の道をお定めになり 且つ この聖地に誕生した古木なので 夫婦大楠は 夫婦神の伊弉諾尊・伊弉冉尊の御神霊が宿るご神木となります

夫婦大楠の根元には
「岩楠神社 (iwakusu Shrine)」国生み神話で2柱の仲に最初に生まれた神とされる蛭子大神(hirukonookami)をお祀りしていて
子授けの神 安産の神 夫婦円満 安産子授 子孫繁栄 縁結びの御利益があると奉(tatematsu)られています

「頭髪感謝碑 (tohatsukanshahi)」と銘する一風変わった碑

夫婦大楠の裏手に「頭髪感謝碑」リーブ21が全国の毛髪に携わる人々の「毛髪への感謝をする発場」となると建立に賛同して奉賛した
「髪」は「かみ」との音から 古より頭髪には生命存在の象徴として霊魂が宿ると信じられ神聖化されてきた 「神」や「上」に通ずる語でもあり 髪の毛への感謝と髪に携わる人々の発展と幸せを祈念したものらしいです

「祓殿 (haraedono)」

本殿左側から太鼓橋のような渡り廊下で繋がれた 「祓殿 (haraedono)」があり 神事に参する直前に 一同がお祓いを受ける場所で 聖地「幽宮」である為か 地元では 罪穢れを清めてから 本宮を参拝する慣わしがあるそうです

「力石 (chikaraishi)」
正門をくぐって左端「力石 (chikaraishi)」があり この力石は 奉納相撲や氏子男衆の力試しの祭事の折に 持ち上げたりを競ったり・運んだ距離を競ったり と使われたものです

「奉献酒 (hokenshu)」
神札授与所の横に 「奉献酒 (hokenshu)」として 明石海峡の対岸にあたる酒処「灘の名酒」がずらりと並びます
(伊弉諾神宮の御神酒 千年一酒造「國生みの雫」は 幽宮の御領酒)

「伊弉諾神宮の境内にある 摂社と末社」

「皇大神宮遥拝所 (kotaijingu yohaijo)」
正門をくぐって右端 「皇大神宮遥拝所 (kotaijingu yohaijo)」があり 北緯34度27分23秒の同緯度上 東の方角には 飛鳥・藤原京(asuka・fujiwarakyo)や伊勢神宮 (isejingu)が鎮座しています ここより東方を遥拝する聖域となっています

「左右神社 (sau shrine)」

本殿右奥 「左右神社 (sau shrine)」は 伊勢神宮の方位に鎮座します

伊弉諾尊が 禊(misogi)をなさった時

左目より出現したのが「天照皇大神(amaterasusumeokami)」
右目より出現したのが「月読尊(tsukiyominomikoto)」 

この2柱の大神が「左右の神」として祀られ 病気平癒の祈願所となっています

「鹿島神社・住吉神社 (kashima shrine・sumiyoshi shrine)」
本殿右側 「鹿島神社・住吉神社 (kashima shrine・sumiyoshi shrine)」は 武運長久・農業守護の神徳ありと奉(tatematsu)られています

「根神社・竈神社 (ne shrine ・kamado shrine)」
本殿右側 「根神社・竈神社 (ne shrine ・kamado shrine)」は 酒造・醸造の守護神として祀られています

「淡路祖霊社 (awajisoreisha shrine)」
東門をくぐると (明治8年 創始)「淡路祖霊社 (awajisoreisha shrine)」があり 淡路出身の先祖の御霊 と 明治屯田兵 日清・日露・大東亜の戦争に殉じた英霊と伊弉諾神宮歴代の大祝職(ohafurishoku)が祀られています

スポンサーリンク

【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

「淡路島に坐ます伊弉諾尊(izanaginomikoto)」を島神として祀る「幽宮(kakurinomiya)」の伝承を 神代記を除いて二つ程ご紹介します

『日本書紀』履中天皇5年 秋九月乙酉朔壬寅条 の伝承

{原文}
『秋九月乙酉朔壬寅、天皇狩于淡路嶋。是日、河內飼部等從駕執轡。先是、飼部之黥皆未差。時、居嶋伊奘諾神、託祝曰「不堪血臭矣。」因以、卜之、兆云「惡飼部等黥之氣。」故自是以後、頓絶以不黥飼部而止之。』

意訳(第17代 履中天皇( richutenno) 5世記初頃)

『天皇が淡路島(awajishima)で狩りをされた

この日 河内の飼部(umakaibe)らが従者として付いてきて 馬の轡(kutsuwa)=(馬の口につけた手綱)をとっていた
飼部(umakaibe)は皆 黥(mesakinokizu)=入れ墨 を入れていたが未だ刺しきれていなかった

島においでになる伊弉諾尊(izanagino mikoto)が祝部(horibe)に託宣(takusen)した
いわく『血の臭いが堪えられない』(飼部の入れ墨は入れ欠けで血の臭いに耐えられない)といわれた

それで占いをしたところ
「飼部(umakaibe)の 黥(mesakinokizu)=入れ墨 の匂いを憎んでいる」とのお告げがあり
これより後 それまでおこなっていた飼部(umakaibe)の 黥(mesakinokizu)=入れ墨 を止めてしまいました』

『日本書紀』 允恭天皇14年9月癸丑朔甲子条

{原文}
『十四年秋九月癸丑朔甲子、天皇獵于淡路嶋。時、麋鹿・猨・猪、莫々紛々盈于山谷、焱起蠅散、然終日以下獲一獸。於是、獵止以更卜矣、嶋神祟之曰「不得獸者、是我之心也。赤石海底有眞珠、其珠祠於我則悉當得獸。」爰更集處々之白水郎以令探赤石海底、海深不能至底、唯有一海人曰男狹磯、是阿波國長邑之海人也、勝於諸白水郎也、是腰繋繩入海底、差須臾之出曰「於海底有大蝮、其處光也。」諸人皆曰「嶋神所請之珠、殆有是蝮腹乎。」亦入而探之。爰男狹磯、抱大蝮而泛出之、乃息絶、以死浪上。既而、下繩測海深、六十尋。則割蝮、實眞珠有腹中、其大如桃子。乃祠嶋神而獵之、多獲獸也。唯、悲男狹磯入海死之、則作墓厚葬、其墓猶今存之。』

意訳 (第19代 允恭天皇(ingyotenno) 5世記後半頃)

『天皇が淡路島(awajishima)に猟に行かれた時 麋鹿(oshika)・猨(saru)・猪(inoshishi)が山や谷に満ちていました 炎のようにひしめいて 蝿のように騒いでいますが しかし終日 狩りをしても一匹の獣も得られませんでした

それで猟をやめて 代わりに占いました
嶋の神 (伊弉諾尊(izanagino mikoto)が祟って『獣が捕れないのは 私の心なり 明石の海底に真珠がある それを採って私の祠に供えたなら すなわち獲物を得られることであろう』と言いました

そこで早速 海人を集め 真珠を採らせようとしたが 海が深くて誰も底に至れない 唯一の阿波の海人(ama)がおり その名前を男狭磯(osashi)という
彼は海人の中でも優れていて 腰縄をつけて 海の底まで入り しばらくして出て言うには「海の底に大蝮(oawabi)があって その場所が光っている」

諸人達は 皆言いました
「嶋の神 (伊弉諾尊(izanagino mikoto)が請う珠は この蝮(awabi)の中にあるにちがいない」

また 探しに海に潜りました
男狭磯(osashi)は 大蝮(oawabi)を抱いて浮かび上がってきました しかし そのまま息絶え 波の上で死んでいました

縄を下ろし 海の深さを図ると六十尋(musohiro)ありました
すぐにこの蝮(awabi)を割くと 本当に 腹の中に真珠があって 桃の実くらいの大きさはありました

嶋の神 (伊弉諾尊(izanagino mikoto)に 祀って猟をしましたところ 多くの獣を得ました

ただ男狭磯(osashi)が死んだことを悲しんで 墓を作って厚く葬りました その墓は今でもあります』

この「幽宮(kakurinomiya)」の二つの伝承について 少し深堀をします

『記紀神話』 神代の巻での「国生み神話」では 御祭神の「伊弉諾尊(izanaginomikoto)・伊弉冉尊(izanaminomikoto)」は 海上に次々と島国を生み出し まさに島を次々と開拓された海人族の祖神として「淡路島に坐ます伊弉諾尊(izanagino mikoto)」が彷彿させます

海人族との繋がりは 先程ご紹介した“陽の道しるべ”という石碑にも記されています
太陽の象徴として 東の端に 天照大神を祀る伊勢神宮を配し 日之少宮として伊弉諾尊を祀る当神宮を対比しながら
その延長線上の西の端には 海神(watatsumi)の姫神「豊玉姫命(toyotamahime nomikoto)」を祀る 対馬の海神神社(kaijin shrine)へと繋がっています

淡路島(awajishima)は 国生み神話の舞台として登場しています 海人族たちが海を制しながら 大和を築くために礎(ishizue)とした地(発祥の地)と描かれているとすれば
その後も 大和政権とは 深いつながりがあった事は 推測ができます

この事は 大和の発祥と海洋民族とのつながりの暗示なのかもしれず
「幽宮(kakurinomiya)」の二つの伝承からも5世記頃までは 皇祖神もしくは その祖神や守り神は 海神(watatsumi)を受け継ぐものであると認識されていたのでしょうか?

古来 海人族の風習として「黥(irezumi)」入れ墨は その証とされていて 例えば 神武天皇の東征に随行した久米族も入れていたことは記紀にも書かれています(魏志倭人伝の「倭人の入れ墨」も有名)

御祭神が 飼部(umakaibe)らの 入れ墨の『血の臭いが堪えられない』と指摘したのも 海人族からすると 新羅渡来の技術者集団である飼部が「天皇(sumera mikoto)」のお傍に寄り添うことにも 中途で下手な入れ墨が施されていることにも 本来 天皇を守護する海人族の祖神が 飼部(umakaibe)らの血の臭いを軽視した指摘のようにも感じられます

海底の真珠を採ってくるまで獲物は与えないといった祟り神的な面に於いても「ここまでは潜れるであろう」との海人族としての潜水スキルを試されているかの如く 命懸けで宝物を神にささげ 天皇に富をもたらす 高貴な海人族としての 気高いプライドを表現しているように感じています

『日本書紀』に記された二つの伝承も 淡路の海人族が 大和政権との深いつながりを 御祭神「伊弉諾尊(izanagino mikoto)」のご神威を通じて 時の天皇も畏れ敬ったとする伝承なのでしょう

神代のロマンを感じる「国生み神話」の地 淡路島(awajishima)にある 伊弉諾神宮izanagijingu に 「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

おすすめ記事

1

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

2

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

3

対馬の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 對馬嶋の29座(大6座・小23座)の神社のことです もちろん九州では最多の所載数になります 現在 この式内社29座の論社は 67神社となります

-全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)
-, ,

Copyright© shrine-heritager , 2022 All Rights Reserved.