河口浅間神社(富士河口湖町)

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖剗の海(セノウミ)の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています

目次

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

河口浅間神社Kawaguchi Asama Shrine)
(かわぐちあさまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

山梨県南都留郡富士河口湖町河口1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花開耶姫命Konohanasakuyahime no mikoto)
   瓊瓊杵尊Ninigi no mikoto)
   大山祇命Oyamatsumi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・安産 Healthy childbirth
・結縁 Deepen connections and intimacy with people
・育児 Protect parenting
・奨学 Encourage learning
・裁縫 God of sewing
・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)

【創  (Beginning of history)】

神 社 案 内

所 在 南都留郡河口湖町河口壱番地
境 内 4,551坪(15ヘクタール、被譲与国有地)山宮三十町歩
神社名 延喜式内
名神大社 浅間神社
  木花咲耶姫命

  人皇弟56代清和天皇の御宇、
貞観(ぢょうがん)6年5月富士山西北峰大噴火の事あり、
時の住民は甚大な災害を被く、
この事甲斐ノ国司 橘ノ末茂(たちばなのすえも)公より朝廷に奏上
翌貞観7年12月9日丙辰の勅命に依り鎮火の神
浅間明神をこの地に奉斎、
無位擬大領伴直真貞(むいぎのたいりょうばんあたいまさだ)を
祝(はふり)伴秋吉(ばんあきよし)を禰宜(ねぎ)に任じ、
富士鎮火祭を執行す。
これ当神社の御創祀なり。郡家以南に建立官社に列せられる。
社 格 醍醐天皇御宇、延喜の制に依り明神大社に列せられる。

明治4年  郷社
大正13年 県社 この社格戦後廃さる。

祭 日 4月25日 例大祭(孫見祭まごみのまつり)御輿産屋ケ崎神社に神幸
7月28日 鎮火奉謝祭(稚児の舞祭)県指定無形文化財。
俗におだいだい(太々御神楽祭の意)と言う

特 殊
神 事 2月14日 深更 筒粥祭 農作物粥占神事
7月31日 身曽岐流(みそぎながし)特殊大祓式

宝 物 三國弟一山 額 公辨一品親王御筆
大元霊(おおもとだま)額 醍醐天皇御震筆
思無邪抽(おもいよこしまなし)額 後陽成天皇御震筆

狩野絵馬 戸田忠實公奉納 狩野洞眠邦信筆
油彩鎮子 一対 鎌倉時代末期製作
太  刀 一振 応永2年8月 家長作

建 物 御本殿 町指定文化財
境内七本杉 県指定天然記念物

御神徳 安産、結縁、育児、奨学、裁縫、家内安全、商売繁盛

境内案内板より

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【由  (history)】

由緒沿革:今から千百拾数年前、清和天皇、貞観六年(八六四)富士山大噴火があり、是に伴ふ此の地方の災害の様子と共に富士山の神、即ち浅間大神をお祀りした事情が『三代実録』にこと細かに記述されてゐる。
之によると当時は富士山そのものを浅間大神の神体山とし、主に駿河国からのみお祭りされて居り、大神の心情として甲斐国からも国の公齋社(公にお祭りする社)祭儀執行を要求したが、官民之を覚ること出来ず、為に大神は噴火に先達ち百姓の病死やら大暴雨、雷雨、其の他濃霧を立ち込ませ山野の別が判らぬ程の凶事を成した上、大噴火を示したが、尚之を悟ることが出来ず、止むを得ず八代郡の擬の大領(今日の郡長に当る職)伴値真貞公(値は当時豪族に与へられた姓)をして神懸の状態となし「我は浅間明神なり。私の希望してゐる事を悟ることが出来ないのでこの様な鎖さ恠を示すのだと、さかんに申し立て一日も早く祝(今日の宮司職)祢宜を任命し神社を建立、我を齋き祀り祭儀をさせよ」と申し立てゐるので、時の甲斐国司、橘ノ末茂公は、真貞公の申し立てゐることが真実か卜筮した処、その申し立てに間違ひなしと判ったので、早速伴真貞公を祝に、同郡の人伴秋吉を祢宜に任じ、八代郡の郡家(郡の役所)以南に祠を建て、明神を齋き祀り、官民挙げて奉謝鎮祭(明神の希望してゐることが察知出来なかったことを謝り、鎮めまつる意)を執り行ったが、依然として噴火が止まないので、国司は使者を遣はし検察するに、剗の海を千町歩を埋めたてた程の大噴火で、その神社は富士山と正対した静かな場所に、石造りで色合ひの麗しきこと口では言ひあらはせぬ程の美しさであったので国司は之を朝廷に報告、神祇台帳に登載の上官社に列した、と記述されてゐる。
以上が河口の浅間神社御創立に係はる縁起であり、由緒の大要である。

此の『三代実録』は日本国古代史を伝へる六国史の一つで、今より千百年前後の平安時代前期、清和、陽成、光孝の三天皇の時代の出来事を細かに記実した、五十巻の史実書である。前記の記録は、清和天皇の御宇、貞観七年十二月九日の条に明記されてをり、従って当神社の御創建はこの日を以って古来より、創立の日と定められてゐる。

降って醍醐天皇の御代、延喜の制に於て、名神大社に列せられ、平成二十三年文化庁史跡「富士山」構成神社となる。

参考文献『三代実録』『延喜式神名帳』『一宮記』『大日本史』『甲斐国志』『一宮巡詣記』『甲斐叢記』『大日本地名辞書』『帝国地名辞典』『山梨県統計書』が賀茂季鷹の『富士山記』等本社の縁起由緒等を記述した既刊文献を参考迄に揚げたが、古代史を除いて大方は江戸時代以降刊行された史実書であるが、何れも古代当地方の、甲斐国八代郡であったことの認定の上に立ち、本社を式内名神大の社としてゐる。

昭和五十八年に出版された『浅間神社正史』(当時の宮司伴泰著)の中で、近時新発見した、富士吉田市新倉の渡辺一家氏衆の古文書(平安時代か)でも古代当地方を甲斐国八代郡と明記してゐる。

大々御神楽祭七月二十八日(稚児舞祭)

山梨県神社庁HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

波多志神Hatashi Shrine)

《主》伴直真貞公(Tomono masada ko)
参道の中央に鎮座

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出雲社Izumo Shrine)

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諏訪社Suwa Shrine)

《主》建御名方神(Takeminakata no mikoto)

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山神社Yama Shrine)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐国 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 淺間神社
[ふ り が な  ](あさまの かみのやしろ)
[How to read ]Asama no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社について

甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中で
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)によれば 貞観7年12月9日(865)朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています
12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一」とあり

12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神一」を八代郡と同に祀るとあります

この解釈は 様々な説があり それに伴って 式内社の論社が多数あります

当神社「河口浅間神社(Kawaguchi Asama Shrine)」は 当初祀られた八代郡の「浅間明神 祠一」とされています

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

河口浅間神社富士河口湖町 

・一宮浅間神社市川三郷町 

青沼浅間神社(甲府市) 

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

河口湖駅から県道707号経由北上 約5km 車10分程度
参道の前 通りを挟んで駐車場があります

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石畳の参道の入り口には 神柱に注連縄が掛かります
河口浅間神社Kawaguchi Asama Shrine)に参着

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参道の右手に大きな社号標が建ち「延喜式内 名神大社 淺間神社」と刻まれています やはり 有力な論社です

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鳥居の先には 参道に連なる大杉が聳えています

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朱色大鳥居を一礼をしてくぐります
扁額には「三國第一山」と掲げられています

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その先には樹齢800年の杉並木の参道がのびています 参道の中央には 境内社が鎮座します お詣りです
波多志神Hatashi Shrine)
 《主》伴直真貞(Tomono masada ko)

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冨士河口湖町指定天然記念物
河口浅間神社参道の杉並木   平成15年2月18日指定

河口浅間神社は貞観6年(864)の富士山大噴火の鎮火を願い、翌貞観7年(865)勅命により創建されたといわれている。
元の社殿は、富士山を拝む方向に建立され、現在の社殿より山の手に鎮座されてといわれてる。
河口は律令制度が成立した後、官道が通り、甲斐の三駅の一つとなった。
中世に入り鎌倉街道の発展とともに富士山信仰の御師の街として発展していった。
神社の参道は鎌倉街道に向って開かれ、参道の杉並木は、800余年の歴史をもっている。

樹 木 11本(杉10本、檜1本)
樹 高 45メートル
幹周り 7メートルをはじめとする巨木
所有者 河口浅間神社

平成15年11月  富士河口湖町教育委員会
富士河口湖町文化財審議会

境内案内板より

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石段を上がると 隋神門が構えています

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拝殿にすすみます 

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拝殿の扁額には「鎮國」「鎮爆」や富士山の絵などが掲げられて 鎮め神社であることがわかります

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案内板には次のように書かれています

富士河口湖町指定有形文化財
河口浅間神社本殿   昭和49年5月14日指定

貞観七年(865)に富士の怒りを静めるために勅令によって建てられたが、慶長11年(1606)焼失、翌年領主 鳥居土佐守成次が再建する。
この本殿は一間社流造りで唐破風付の向拝を備えた折表様の建物で宮大工 関善左右衛門尉藤原家継らの手で完成した。
昭和40年鎮座1100年祭記念事業として、解体修理をし、元の状態に復した。祭神は「木花咲耶姫命」である。
例祭日   4月25日
大々神楽祭 7月28日

平成15年11月
富士河口湖町教育委員会
富士河口湖町文化財審議会
境内案内板より

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拝殿からは 透かしで本殿を拝めます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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「七本杉」

境内には「七本杉」と呼ばれる七本の御神木〈昭和33年(1958)山梨県天然記念物に指定〉があります

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どの杉も巨木で樹高40m以上樹齢は1200年を超えています
(一)~(七)まで番号と名前がつけられています

拝殿前……(一)御爾(みしるし)

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右手 ……(二)産射(うぶや)

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(三)齢鶴(れいかく)

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(四)神綿(しんめん)

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境内奥……(五)(六)父母(ふたはしら)二本で一つの名

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社殿奥……(七)天壌(てんじょう)

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人の大きさと比較すると その大きさが良くわかります

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「七本杉」は 社殿から富士山の方向に植えられていて どの杉も 幹は真っ直ぐで 途中で枝分かれしていない との事です

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社殿向かって右手「七本杉」の中に鎮座する境内社にお詣りをします

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本殿を裏手から拝すると

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隋神門をくぐり抜けて境内をでます

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大杉に覆われた境内から 大鳥居の先 日差しのある参道を戻り 振り返り一礼をします

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』に記される 富士山の貞観大噴火伝承

貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火を鎮めるために 甲斐国に浅間名神(Asama myojin)を祀ることになる経緯が記されます

・貞観6年5月25日(864年7月2日)には  駿河国の報告
・貞観6年7月17日(864年8月22日)には 甲斐国の報告

双方ともに 富士山の貞観大噴火の凄まじさが伝わってきます

・貞観6年8月5日(864年9月9日)には 国司の報告を受けて

朝廷が 富士山の噴火を占ったところ 駿河国 浅間神社の禰宜等が勤めを怠ったためと出ます これによって甲斐国の国司に対して 浅間名神を祀って神の怒りを解けと命じます

これが 勅命により鎮火の神として 浅間名神(Asama myojin)を この甲斐国に奉斎し 鎮火祭を行った当神社「甲斐 浅間神社」の起源となります

意訳

貞観6年5月25日の条 駿河国言へらく駿河国の報告

富士郡の正三位 浅間大神の大山(富士山)に火があり
その勢いは甚だ激しく 1~2里四方の山を焼き尽くしました 光炎(火炎)は20丈の高さに及び 雷が有り 地が震えること(地震)が3回あった
10日余り経過しても 火の勢いは不滅です 巌(岩)を焦がし峰を崩し 砂や石が雨が降るごとし 煙や雲が鬱々と立ち込めて 人は近づくことができません
大山(富士山)西北にある 本栖水海(本栖湖)に 焼けし巌石(溶岩)が流れ込んで海の中に埋もれ 焼け石(溶岩)の流れは長さ約30里あまり 広さ3~4里 高さ2~3丈に及びます やがて火焔は遂に 甲斐国との境に達しました

貞観6年7月17日の条 甲斐国言へらく甲斐国の報告

駿河国の富士大山が たちまち爆火(大噴火)しました
峰を焼き砕き 草木は 焦がれて死にました(焼かれて死んだ)
土や石くれが溶けて流れて 八代郡の本栖(本栖湖)と剗の海を併せて埋めました 海水(湖水)は 熱湯の如くなり 魚や亀は 皆 死にました

百姓の居宅(民家)は 海(湖)と共に埋まり 或いは 家が有っても人は無く そのような数は 書き難いほどです

両方の海(湖)より東にも海があります 名は 河口海(河口湖)というが 火焔は 河口海(河口湖)に赴いています

 

本栖(本栖湖)剗などの湖が 焼け埋まる前には 大振動(大地震)して 雷電と暴雨 雲や霧が毎度あり 山と野も判然とせず しかる後に このような災異変が終焉とした

貞観6年85の条 甲斐国司に下知云ひけらく甲斐国司への命令)

駿河国 富士山に火ありて(噴火があり)彼の国が言上したので

これを蓍龜(シキ・亀卜)に決めると 云はく〈次の通りであった〉
「浅間名神(駿河国)の禰宜祝等が 斎敬を勤めざるの致しし所(祭祀の勤めを怠ったため)なり」と よって(神に)鎮謝すべき状況です
国(甲斐国)に告げ訖(オワ)んぬ
宜しく 亦 弊を奉りて(奉幣)解謝すべきなり(お詫びして神の怒りを解きなさい)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫

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「河口の稚児舞(チゴマイ)」について

この稚児舞(チゴマイ)は 貞観6年(864)に勅命により鎮火の神として 浅間名神(Asama myojin)をこの地に奉斎し 鎮火祭を行った当神社「甲斐 浅間神社」の起源に関わる祭とされています

山梨県指定無形文化財

河口の稚児舞

昭和35年11月7日指定  南都留郡河口町河口1

今より約1100年前、清和天皇の貞観6年に富士山の大噴火があり、この様子を甲斐の国司より朝廷に奏上したところ、勅命により鎮火(ちんか)の神、浅間明神(木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと)をこの地に奉斎〈ほうさい〉し、鎮火祭を行った。
これが当神社の創立であって、鎮火を鎮(しず)められた祭神の御苦労をお慰(なぐさ)めする為に始められたのがこの稚児の舞で、奉仕は神主(かんぬし)か御師(おし)の娘のうち、7歳から12歳ぐらい迄で両親の健在な者に限られる。
毎年7月28日が奉納日で、大々御神楽(だいだいおかぐら)祭と称し、俗に「おだいだい」とも言い、稚児舞を演ずる子供は「おちいさん」と言われている。この舞には5種類あって、頭には舞瑶珞(まいようらく)、緋(ひ)のちはや、さしぬき等をまとい奉仕する姿は、まことに雅(みやび)やかなものである。
昭和49年2月1日
山梨県教育委員会
河口湖町教育委員会

境内案内板より

河口浅間神社Kawaguchi Asama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

河口浅間神社富士河口湖町 

・一宮浅間神社市川三郷町 

青沼浅間神社(甲府市) 

甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る       

富士山 世界文化遺産 構成資産と浅間神社 の記事を見る

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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