賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山) 御祭神を祀る「本殿(ほんでん)」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が東西に並び立ち国宝に指定されています 広大な境内には 多くの摂社・末社が鎮座しています 平成六年(1994)に境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています 更に 境外にも摂社・末社が多数鎮座します

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉本社については 記事を見てください

延喜式内社
山城國 愛宕郡 賀茂別雷神社(かもわけいかつちの かみのやしろ)(亦 若雷・名神大 月次 相嘗 新嘗)

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山〈山城國一之宮〉

1.賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内について 

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目次

・境内図

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・本社・本殿〈国宝〉・権殿〈国宝〉

〈撮影不可〉公式HP

・中門

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・祈祷殿〈幣殿〉

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・高倉殿

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・楼門

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・玉橋

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・片岡橋

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・御手洗川

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・樟橋〈長寿橋〉

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・岩上(がんじょう)

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岩上(がんじょう)

賀茂祭(葵祭)には宮司この岩の上に蹲踞(そんきょ)、勅使と対面し、御祭文(ごさいもん)に対して神のご意思を伝える「返祝詞(かえしのりと)」を申す神聖な場所である。
太古御祭神が天降りされた秀峰 神山(こうやま)は本殿の後方約2kmの処に在り、頂きには降臨石(こうりんせき)を拝し、山麓には御阿礼所(みあれしょ)を設け厳粛な祭祀が斎行されてきた。

この岩上は神山と共に 賀茂信仰 の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、『気』の集中する場所である。

現地立札より

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・手水舎

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・橋殿

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・土屋

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・細殿

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・立砂

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立砂(たてずな)

盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔ご祭神が最初に降臨された、本殿の後二kmにある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので、一種の神籬(ひもろぎ)(神様が降りられる憑代(よりしろ))である。鬼門・裏鬼門のお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりである。

現地立札より

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・楽屋

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・社務所

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・二の鳥居

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・参道・二の鳥居

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・神馬舎

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・馬場殿〈外幣殿〉

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・北神饌所〈丁屋〉

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北神饌所(きたしんせんしょ)(丁屋(ちょうのや))

往古の神饌調進所、中古政庁として活用した。五月賀茂競馬 又 能舞台等として使用。
寛永五年(一六二八年)造替
重要文化財

現地立札より

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・ならの小川

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・一の鳥居~参道~二の鳥居

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・一の鳥居

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・社頭の立札「江戸時代の文人 賀茂季鷹(かもすえたか)」

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・社頭の風景

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・大鳥居

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2.茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)摂社について

・片山御子神社〈第一摂社〉

 本殿(重要文化財)及び拝殿(重要文化財)は寛永5年(1628年)建立

《主》賀茂玉依姫命

式内社(大)「愛宕郡 片山御子神社」

片山御子神社の記事を見てください・片山御子神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 第一摂社〉

新宮神社〈第摂社〉

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本殿(重要文化財)及び拝殿(重要文化財)は寛永5年(1628年)建立。明治時代に独立するまで 式内社(名神大社)・貴船神社は当社の第二摂社であったが 山深い地にあり冬場には参拝が出来なかったために 当地にその分霊が祀られるようになったが新宮神社の始まりである

《主》高龗神

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・大田神社〈境外摂社 第三摂社〉

《主》天鈿女命

明治時代までは第四摂社であったが 第二摂社であった貴船神社の独立により繰り上がった

式内社「愛宕郡 太田神社」

大田神社の記事を見てください・大田神社(京都市北区上賀茂本山)

若宮神社〈境外摂社 第摂社〉

本殿(重要文化財)は寛永5年(1628年)建立

《主》若宮神

〈撮影不可〉

 ・奈良神社

《主》奈良刀自神

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 ・賀茂山口神社〈第五摂社〉

 本殿と拝殿からなる

《主》御歳神

第五摂社(明治10年まで第七摂社)

式内社「愛宕郡 賀茂山口神社」

賀茂山口神社の記事を見てください・賀茂山口神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 境内摂社〉

・久我神社〈境外摂社 第六摂社〉

《主》賀茂建角身命

境外摂社 第六摂社(明治10年まで第八摂社)

式内社「愛宕郡 久我神社」

久我神社の記事を見てください・久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)

・須波神社

本殿は重要文化財

《主》阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神

式内社「愛宕郡 須波神社」

須波神社の記事を見てください・須波神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の境内に鎮座〉

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3.賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)末社について

・棚尾社《主》櫛石窓神・豊石窓神

本殿は重要文化財

〈本社の拝所 右脇に鎮座する末社〉

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・川尾社《主》罔象女神

〈裏手に流れる御物忌川〉

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・橋本社《主》衣通姫神

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・岩本社《主》底筒男神・中筒男神・表筒男神

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・山尾社《主》大山津見神

〈新宮神社の左側 撮影不可〉

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・土師尾社《主》建玉依比古命

本殿は重要文化財(中門内 一般参拝不可)

〈幣殿の奥 撮影不可〉

式内社「愛宕郡 賀茂波爾神社

・土師尾社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社 境内社〉(中門内 一般参拝不可)

・杉尾社《主》杉尾神

本殿は重要文化財

〈幣殿の奥 撮影不可〉

・山森社《主》素盞嗚神・稲田姫命・田心姫命

式内社「愛宕郡 賀茂山口神社」
式内社「愛宕郡 鴨岡太神社」

山森神社の記事を見てください・山森神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 境内末社〉

・梶田社《主》瀬織津姫神

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小森社《主》水分神〈上賀茂神社の境外末社〉〈緑町公園内〉

半木社社〈上賀茂神社の境外末社〉〈京都府立植物園内に鎮座〉

《主》天太玉命

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世界文化遺産・上賀茂神社末社

半木神社(なからぎじんじゃ)

御祭神 天太玉命(あめのふとだまのみこと) 一柱一座

流木神社(ながれきじんじゃ)とも云い、この周辺は京都絹織物発祥の地といわれ、織物業の守護神又、府立植物園開園後は植物園の守り神として崇敬され、毎年4・11月20日に行われる春秋の祭典には多数の関係者が訪れます。

多くの木や花が実を結ぶ処に因み、試験の合格や恋愛成就の願いが叶うとの信仰が厚く、その努力が実を結ぶ御守「実守(みのりまもり)」を上賀茂神社で授与しております。

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賀茂別雷神社 末社  半木(なからぎ)神社

御祭神  天太玉命(あめのふとだまのみこと) 一柱一座

御事歴

 当神社の御鎮座地を中心とするこの地方は、往古賀茂族が開墾した土地であるが、奈良時代頃から錦部の里と呼んでゐた。これ等の地方が錦部の里と称したのは、古くこの地に於いて、養蚕製糸の業が営まれ絹織物の生産が盛んであった為である。降って平安時代に入って、後一条天皇の御代に至り、寛仁二年(西暦1018年)十一月二十五日朝廷より正式に、賀茂別雷神社の社領地として、錦部郷の名を以って寄進せられた。然るにこれ等の産業に携はってゐた賀茂族と秦族との人人がその職業の守護神として四国の阿波国から、天太玉命を勧請鎮祭した。それが現在の半木神社である。

 世変り時移って、今は旧態を存しないが、現在の植物園がこの地に営まれたことは、誠に奇しき因縁というべきで、現在にあっては、京都絹織物業発祥の地として、更には農事林業等を総括する植物園の所在地として注視せらるべき土地である。さればこの地に鎮座せらるる半木神社は京都織物業界並びに植物園の守護神として、且つ鎮守の神として、崇められるべきである。

例祭日  四月・十一月二十日

現地案内板より

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白鬚神社〈上賀茂神社の境外末社〉 (大田神社境内)

《主》猿田彦神

・百大夫社上賀茂神社の境外末社〉 (大田神社境内)

《主》船玉神

・鎮守社〈上賀茂神社の境外末社〉 (大田神社境内)

《主》大国主神・少彦名神

・福徳社〈上賀茂神社の境外末社〉 (大田神社境内)

《主》福徳神

・藤木社〈上賀茂神社の境外末社〉 (大田神社への途中 社家町)

《主》瀬織津姫神

大田神社記事を見てください・大田神社(京都市北区上賀茂本山)

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の摂社・末社  (hai)」(90度のお辞儀)

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上賀茂神社について

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

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山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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