八所社(小牧市本庄郷浦)〈『延喜式』乎江神社〉

八所社(はっしょ しゃ)は 鎮座地の本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきました 天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられます 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社となっています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八所社(Hassho sha)

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛知県小牧市大字本庄字郷浦2619番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高皇産神(たかみむすびのかみ)
   神皇産神(かみむすのかみ)
   藤原廣嗣(ふじわらの ひろつぐ)
   藤原夫人(ふじわらのぶにん)〈伊予親王母〉
   崇道天皇(すどうてんのう)〈早良親王(さわらしんのう)〉
   吉備右大臣(きびのうだいじん)〈吉備眞備〉
   橘逸勢(たちばなの はやなり)
   文屋宮田丸〈文室 宮田麻呂(ふんやの みやたまろ)〉
   親王(いよしんのう)
   菅三公(かんさんのきみ)

《合》倭姫神(やまとひめのかみ)

Please do not reproduce without prior permission.

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 乎江神社の論社の一つとして 本庄村説があり その説では八所明神社は郷浦にあり゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉と記しています

【抜粋】

尾張國 春日部郡 乎江神社

【所在】

未詳 (或いは廃絶したものと思はれる。)

當社については、江戸時代以降六社程議論されてゐるが、いづれも式内乎江神社とするには、根據が弱く説得力に乏しい。

〔A〕本庄村八所明神社(現在の小牧市本庄)

 小牧市本庄の本庄村は、背後に本庄山、前 11に大山川が流れてをり、江戸時代は扇狀地となってゐて 集落は山沿ひに展開してゐる。 (『愛知の地名』 )八所明神社は郷浦にあり、『尾張徇行記』によれば、「此社ハ天正三亥年十一月松浦讃岐守創造ス」とあり、明らかに創祀の傳承が新しく式内社とは言ひ難い。

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

【由  (History)】

八所社

 本庄は味岡庄の中心という意味であり、味岡庄の総氏神として祀られてきた。
天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられる。

小牧の文化財地図  訪ね歩きマップ(味岡地区)より抜粋

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

八所社 社殿
・〈拝所向って左 境内社〉津島社《主》須佐之男尊

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉秋葉社《主》加久土神

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 乎江神社
[ふ り が な ](をえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Woe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〈廃絶〉の論社について

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社は〈廃絶〉と伝わっていますが 江戸時代以降 6社程の論社が議論されています いずれも根拠が乏しく確定はしていません

・廃絶と伝えられ 祭祀を継承した神社は明らかではない

・〈参考論社〉八所社(小牧市本庄郷浦)

・〈参考論社〉熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)

・〈参考論社〉天神神社(小牧市三ツ淵宮前)

・〈参考論社〉八幡社(瀬戸市水北町)

・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)

・〈参考論社〉六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社〉

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

名鉄小牧線 味岡駅から県道27号経由で東へ約2.0km 車での所要時間は5~6分程度

八所社(小牧市本庄郷浦)は 鎮座地「本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきたと云う

神社から南に延びている参道の入口に「村社 八所」と刻字された社号標が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

社頭には石造りの定書きがあり 石灯籠 締柱 鳥居が建てられています

八所社(小牧市本庄郷浦)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けて 境内参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の向かって左手には〈境内社〉秋葉神社が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿下の石段を上がり

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています

【抜粋意訳】

乎江神社

乎江は假字也

○祭神在所等詳ならず

 上田百木は、國帳魚江  一本宇江とあるに依るときは宇乎江にて、互に一字脱せるかと云り、〔連胤〕按るに、當國山田郡 別小江神社もあれば、必脱字にはあるべからず、

類社
 近江國淺井郡、但馬國城崎郡 小江神社、

神位
 國内神名帳云、從三位 乎江天神、 〔一本作ニ 宇江、又 作ニ 魚江、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 乎江神社について 論社とされているが難しいとして゛本庄村に八所明神あ゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉を記しています

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社、

〔○按 乎江、本書一本、宇江に作り、國内神名帳一本、魚江に作る、之に據、乎江疑らくは宇乎江の誤りならむ○又 本庄村に八所明神あ 山を宇江山と云ひ、社の左の小川を宇江川と云ふは、由縁あるに似たれど、社傳に建武中の建立と云へは、いと新しく証とし難し、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 所在は記されていません しかし 論社として推定できる幾つかを挙げています
本庄村 八所明神゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉
下大留村なる神明社゛〈現 神明社(春日井市大留)〉
上水野字江山八幡社゛〈現 八幡社(瀬戸市水北町)〉

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 此社は本庄村 八所明神にて其山を宇江山社の左の小川を宇江川と云へど 社傳に建武年中 肥前 松浦讃岐守建立とあれば 式社にはあるべからず

 篠本庄 下大留村なる神明社と云るもなし
 上水野字江山八幡社と云説あれど は古への山郡なれば從ひがたし
姑く附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八所社(小牧市本庄郷浦) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2026 All Rights Reserved.