石部神社(鯖江市磯部町)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 周囲には磯部(いそべ)古墳群もあり もとは鳥立山の山頂部に旧鎮座地があって 貴船明神と称されていたと伝わります  明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地〈集落の奥 の中腹〉に遷座した 延喜式内社 越前國 今立郡 石部神社いそへの かみのやしろとされます

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

石部神社(Isobe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県鯖江市磯部町26花山1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》吉日古命(よしひこのみこと)
   吉日賣命(よしひめのみこと)

又は 祭神不祥

明治九年(1876遷座以前までは 貴船明神と称した

※社伝には この地域を居住地とした多氣一族の祖神「吉日古命 吉日賣命」とする
但し 多氣一族は平家の流れの鎌倉武士で 延喜式の神ではないとの説もあり

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『大日本史』一百十四に記される内容

【抜粋意訳】

石部神社

〇國内帳作 正五位 磯部神、今在 磯部郷 磯部村、稱 貴船明神、

【原文参照】

源光圀 修 ほか『大日本史』一百十四,徳川篤敬,[明治--]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1911783

【由  (History)】

『姓氏家系大辞典』第1巻に記される内容

越前國の磯部と石部について 記しています

【抜粋意訳】

イ(い)ヰ(ゐ)

磯部(イソベ)
11.越前ノ磯部

 天平神護二年の越前國司解に上家郷戸主 磯部大濱なる人見ゆ。
和名鈔 板井郡に磯部郷、猶ほ高山寺本、今立郡勝戸郷を以曾部と註むすれば、これも磯部なるべく、神名式 同郡に石部神社存す。又加賀に石部多し。

石部(イソベ イシベ)

8.越前の石部

神名式 越前國今立郡に石部神社を収む、磯部 條11 を見よ。

【原文参照】

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

太田亮 著『姓氏家系大辞典』第1巻,姓氏家系大辞典刊行会,昭和9-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1130845

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

石部神社 社殿

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・〈二の鳥居の両脇に境内社〉・山王神社・八幡神社

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・一の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈旧鎮座地〉もとは鳥立山の山頂部にあったと伝わ

明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地〈集落の奥 の中腹〉に遷座

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)今立郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石部神社
[ふ り が な ]いそへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Isohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

パピラインふくい線〈北陸新幹線の敦賀延伸開業に伴い JR西日本から移管された北陸本線の敦賀駅~大聖寺駅間の運行を担う 福井県が主体となった第三セクター鉄道会社〉
鯖江駅から県道18号経由で約7.6km 車での所要時間は13~18分程度

磯部町の田園の中を進んで 山の麓の集落に向います

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神社は もとは鳥立山の山頂部に旧鎮座地があったと伝わりますが
明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地〈集落の奥 の中腹〉に遷座

石部神社(鯖江市磯部町)に参着

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社頭の白色の鳥居の扁額には「石部神社」と刻字されています
一礼をしてから鳥居をくぐり 境内に進みます

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境内にすすむと 更に奥にもう一段高い壇があり 石段を上がると社殿が三つ祀られています

手前の二つは〈境内社・山王神社・八幡神社です
こちらの二社も明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地に遷座したとのこと

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石段を上がり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして石段を戻ります
社殿境内は南向きです 鳥居は 南正面にある山を向いているように見えます

もしかすると その山山頂部旧鎮座地とされる鳥立山なのでしょうか?

しかし たぶん磯部(いそべ)古墳群のある所だと想います

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多くの古墳群〈1世紀末~5世紀末(弥生時代後期~古墳時代中期)〉があり 古代から文化が開けた土地であったことは確かです

古墳の詳細は
鯖江市HP「今北山古墳群・磯部古墳群・弁財天古墳群」に詳しく載っています
https://www.city.sabae.fukui.jp/kosodate_kyoiku/manabenoyakata/bunkazai/sabae_bunkazai/shiseki/77-city.html

下の境内に降りると右手に建屋〈神饌殿か?〉左手に一の鳥居があります

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一の鳥居をくぐり 参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 石部神社について 所在は゛磯部村に在す、今 貴船明神と稱す゛〈現 石部神社(鯖江市磯部町)〉と記しています

祭神については゛吉彦、吉姫二神゛について 疑問を呈して 祭神不明としています

【抜粋意訳】

石部神社

 石部は 伊曾部と訓べし

〇祭神詳ならず
〔官社考に、吉彦、吉姫二神ならんと云り、今從はざること前に同じ〕

〇磯部村に在す、今 貴船明神と稱す、〔官社考
 例祭 月 日

類社
 近江國蒲生郡石部神社の條見合すべし

神位
 惣神分云、正五位磯部神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 石部神社について 所在は゛ 磯部郷 小石部村に在り、貴船明神といふ、゛〈現 石部神社(鯖江市磯部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

石部(イソベノ)神社

 磯部郷 小石部村に在り、貴船明神といふ、〔越前古名考、神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 石部神社について 所在は゛磯部村(今立郡北中山村大字磯部)゛〈現 石部神社(鯖江市磯部町)〉と記しています

【抜粋意訳】

石部神社 稱 貴船明神

祭神
祭日
社格 村社

所在 磯部村(今立郡北中山村大字磯部)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

石部神社(鯖江市磯部町) (hai)」(90度のお辞儀)

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