鵜森神社(うのもりじんじゃ)は 鎮座地は濱田城跡にあり 創建年代は定かではないが 文明(1469~87年)には濱田城主 依家の崇敬した社であった 一説には 元は江田神社と称していたとされ延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鵜森神社(Unomori shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県四日市市鵜の森1-13-6
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)
《配》建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
《合》菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
〈旧御霊社 初代浜田城主 忠秀以下4代の霊〉
田原美作守忠秀(初代城主)
田原紀伊守藤綱(二代目城主)
田原遠江守元綱(三代目城主)
田原与右衛門尉重綱(四代目城主)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
当社の鎮座地は浜田城の旧地にして、浜田城は田原美作守忠秀の築城になる。3代城主・田原遠江元網の天正3年(1575)6月6日に織田家の与党 滝川一益との戦に落城。
此の城跡に神社を創祀した年代は不詳であるが、社伝によれば、慶長以後 万治以前(1596~1658)の間に、田原家の旧臣等相謀り、中興の祖藤原秀郷朝臣及び忠秀以下の霊を祀る。社号を鵜森と称するは、当社 海辺の森林にて、鵜の多く栖めるに因む地名を冠したものと考えられる。その後 領主の忌諱に触れるところあり、別に御霊社を創祀し、忠秀以下四代の霊を祀り、鵜森神社には改めて天照皇大御神等を祀り、更に菅原神社を境内社として官准を得て祀る。
明治42年、境内社 菅原神社を本社に合祀。
平成7年御霊社を本社に合祀。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63588
【由 緒 (History)】
『四日市市史』〈昭和5年(1930)〉に記される内容
【抜粋意訳】
無格社 鵜森神社
鎭座地 大字濱田字堀之田
祭 神 天照皇大御神 菅原道眞
配 祀 建速須佐之男命由 緒
當社は元 江田神社と稱してゐた。其 勘請は詳ではないが、文明年代より濱田城主 依家の崇敬した社で、明治四十二年一月廿八日境內社 菅原神社を合祀し、仝年四月十六日鵜森神社と改稱した。
註 當鵜森神社を江田神社と稱したのは、江田川、江田町等の地名に據るといふ。但 享保九年の明細帳に據れば「神明天皇相殴壹社五尺四方」とあれば、當時は單に神明天皇と稱したらしい。扨又 當社を鵜森大明神と號したが、之は正保二年堀木家の系圖に鵜森神社と記し、天保十年 及 嘉永五年の棟札に何れも〔江田神社 鵜森大明神〕と並記してあるから、是亦 古くより稱したものに相違ない。
而して此稱の起りは 占 海岸接近の地にあった森林で、鵜の多く來栖せしに因るといふ。尚 當社の所在地は濱田城の舊址であったとしふことは殆ど疑ないところである。
其證としては、今尚 境内の周圍に濠の跡存し、字を堀之田と唱へ、其の近傍に反シ掘と稱する字の存すると、享保九年の明細帳に「當社に大織冠鎌足九代之苗裔俵藤太秀之御兜を十一代田原又太郞忠綱之末葉當濱田之城主田原美作守忠秀に傳はり、則城之鎭守當社之實物に寄附干今相續有之候 境内六百坪御除地古城跡」とある等によりて明かである。・・・〈以下略〉
【原文参照】

四日市市教育会 編『四日市市史』,四日市市教育会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1181185

四日市市教育会 編『四日市市史』,四日市市教育会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1181185

四日市市教育会 編『四日市市史』,四日市市教育会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1181185
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・田原稲荷神社《主》保食神,大宮能売命,猿田彦命

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・浜田城跡

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浜田城跡碑文
夫木集(ふぼくしゅう)尓(に)見え多(た)る 鴨長明(かものちょうめい)可(が)行きわひぬいさ濱むら尓(に)
多(た)ちよら無(ん)といふ歌与(よ)ミ多(た)る所を今は濱田村とぞいふなる
此里能(このさとの)鎮(いずめ)といま須(す)大御神は延喜式神名帳 尓(に) 江田(えだ)の神社とミえて やや里農(さとの)羽連(はずれ)木立(こだち)志気里多(しげりた)ちて いと神さびたる所になむ お者(は)しま須(す)
・・・〈以下略〉現地立札より抜粋

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・十六間四方白星兜鉢

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国指定重要文化財(工芸品) 十六間四方白星兜鉢
四日市市指定記念物(史跡) 浜田城跡
十六間四方白星兜鉢は田原藤太秀郷にゆかりあるものとして奉納されたと言われている。現在は鵜森神社の社宝として保存されているが、鉢は16枚の鉄板を矧ぎ合わせて半球状にかたどり、その四方には薄い鍍銀板を被せた形跡がみられる。
かつて保管箱には「松平相模守 栗田右衛門尉寄進 万治二年一月吉日」と銘あり、また、袱紗の端には「因幡国住人馬淵源三郎」という縫文字があったと言われている。
鎌倉時代の特色が強く表されている作品である。
浜田城は、室町時代の文明2年(1470)に田原孫太郎景信の三男田原美佐守忠秀が築いたものである。その後、藤綱、元綱らがこの地を領したが、安土桃山時代の天正3年(1575)に織田信長の家臣滝川一益に攻められ落城したという。
昭和56年3月31日 四日市市教育委員会
現地案内板より

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・冠木門

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)三重郡 6座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 江田神社
[ふ り が な ](えたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Eta no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に所載される「江田神社(えたの かみのやしろ)」について
延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社
・江田神社(四日市市西坂部町)
・鵜森神社(四日市市鵜の森)
・廣幡神社(菰野町菰野)
〈江田神社(広幡神社に合祀)〉
延喜式内社 日向國 宮崎郡 江田神社(貞)(えたの かみのやしろ)
・江田神社(宮崎市阿波岐原町)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄四日市駅から南へ約350m 徒歩での所要時間5~7分程度
鵜森神社(四日市市鵜の森)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます

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社号標があり「鵜森神社」と刻字されています

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参道には ステンレス製の鳥居のような物が立ち並ぶ中を進んでいきます

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境内に入ると 田原稲荷社が祀られています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 江田神社について 所在は゛西坂部村に在す、〔考證、俚諺〕今 春日大明神と稱す、゛〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉と記しています
【抜粋意訳】
江田神社
江田は衣太と訓べし
○祭神詳ならず
○西坂部村に在す、〔考證、俚諺〕今 春日大明神と稱す、
考證云、此郷名 刑部、〔於 佐加倍〕坂部刑部之略語、五十功彦命 伊勢刑部租、即 日本武命弟也、と云り、俚諺此說に從ふ、いまだ是非を辨へず、
類社
日向國宮崎郡 江田神社
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 江田神社について 所在は゛今 西坂部村江田にあり、゛〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉と記しています
【抜粋意訳】
○三重郡六座 小
江田(エタノ)神社、
今 西坂部村江田にあり、〔勢陽雜記、三國地志、〕
盖 伊勢刑部君租 五十功彦命を祭る、〔舊事紀〕
凡 毎年正月八月十八日祭を行ふ、〔三重縣神社調〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 江田神社について 所在は゛菰野村大字江野〔三重郡菰野村大字菰田 現在 同所 村社 平岡神社に合併〕゛〈現 廣幡神社(菰野町菰野)〉と記しています
その他の説として2説を挙げていますが否定的な見解を示しています
゛柴田郷江藏田鵜森 此乎゛〈現 鵜森神社(四日市市鵜の森)〉
゛西坂部村字江田にあり゛〈現 江田神社(四日市市西坂部町)〉
【抜粋意訳】
伊勢國 三重郡
○三重郡六座 並小
江田神社
祭神
祭日
社格 村社〔明細帳菰野村 江田神社は無格社 又 濱田村にある同社も無格社なり〕所在 菰野村大字江野〔三重郡菰野村大字菰田 現在 同所 村社 平岡神社に合併〕
今按るに傍注に 柴田郷江藏田鵜森 此乎とあるに従て 明細帳に濱田村に在とす 其 濱田村江藏鵜森の詞は 八幡宮なり社域とするは 田原美作守の城廓にて四力に土塁を存し外隍あり城跡に祀る所の新社にして式社に非る事は明瞭なるを これに配するは麁妄なり
又 考證再考以下の諸書には 西坂部村とし 地志に西坂部村字江田にあり 古來 棟札文 江田大明伸と書すとあるに依て 區別帳西坂部村に在とす 然れとも社域の形容 舊からす寬文 享保の棟札あれとも江田大明神と記せるはなし 稍く安政三年に至て始て江田神社と記せり 字江田にありと云へと社邊にさる稱なし 明曆四年内撿帳に上へだ田ゑだ田奥なと號する地社西三丁許を去て丘山の上にあるを强て牽合せるにて信従するに足らす
又 注進明細區別等の帳に菰野村に在とす 其社は菰野三郷立會の總産神にて神明を祀る 但舊は村西の山間 江田谷に在たるを 後 今の所に遷移す字江田野にありと云へり これを検するに菰野西組の乾位一里許 御贄川の西岸 江野の南に在り社地の形狀 舊風ありて後世 遷轉の容體にあらす 字を江田野とあれと 土人は江野と云ひ 西山の谷號も古昔 穢多の賤者の住し所にて 穢多の小屋と稱する谷なる由 其 地勢を察るに 撰式の昔 神社の有へき景況の地にあらす 是等は證となしかたし 然れとも 元祿十三年六月寄進の嗽盥に江田神社神明御神前と彫し 享保十三年の幣帛箱天明の年號ある古手桶 寬政二年七月寄進の石灯籠 同七年四月の棟札等 各江田神社と書記す 近く謂出したるに非す 所博ありたるにこそ 上件三社の内文献の徵は此神社に勝るは無し 故に姑くこれに從ふ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
鵜森神社(四日市市鵜の森)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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