江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 栄野神社(伊勢市二見町江)

江神社(えじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 皇大神天照大神〉を倭姫命(やまとひめのみこと)が奉遷され 当地の海岸に着船 出迎えた佐見都比古命(さみつひこのみこと)゛に土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたと伝わります 栄野神社(えいのじんじゃ)にも同様の言い伝えがあります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

江神社(E shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市二見町江字明神奥992

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》長口女命(ながくちめのみこと)
   大歳御祖命(おとしのみおやのみこと)
   宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容

【抜粋意訳】

攝社末社所管社

江神社

鎭座地 三重縣度會郡二見町大字江村

殿舎
正  殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
神宮司廰造替

江(エ)神社は 延喜大神宮式及び神名式に載す。俗に蒔繪の明神と稱す。
太神宮本記に垂仁天皇の二十五年 倭姫命 皇大神を奉じて各地を巡り給ひ五十鈴河江に入りましゝ時、佐美津日子なるもの参り相ひしかば 河の名は何と申すぞと問ひ給ひしに、五十鈴河後と奉答しなるにより、其の處に江社を定め給ふとあるもの、卽ち本社の起源なりとす。
 祭神は皇太神宮儀式帳に天須婆留女(アメノスバルメ)命の兒 長口女(ナガクチメ)命・大歳御祖(オホトシミオヤ)命・宇加乃御玉(ウカノミタマ)命の三座となす。然れども皇大神宮攝末社中 園相・久具・堅田・神前の諸社何れも倭姫命御巡行の時 其の地に奉迎せる神々を以て祭神させるの例によれば、本社の祭神は當に佐見津日子命ならざるべからず。
寬文三年 現地に再興したれど、其の四至 儀式帳に合はず、一説本村大江寺の地舊地ならんと云へり。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

江神社 神社由緒

御由緒

儀式帳は当社の鎮座について「内親王定祝」と記し、倭姫命によって奉祀されたと伝へる。 『倭姫命世記』はその事情をさらに詳細に記述してゐる。すなはち垂仁天皇二十五年、倭姫命が二見の浜に至り、堅多社を定めた後, 五十鈴川の河口の江に倭姫命が巡行なったとき、佐美川日子と出會ひ、命が土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたといふわけである。 江社を定祝される直前の堅多社では佐美川比賣が倭姫命を迎へ、しかも佐美川比賣を堅多社に奉祀したと伝へてゐるのとは對照的である。

『式内社調査報告』より引用

御祭神
長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命

式内社調査報告(昭和52年発行)  皇學館大学出版部HPより
https://www.jinja-net.jp/e-jinja/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

江神社は 皇大神宮(内宮)摂社です

・皇大神宮(内宮)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭並預゛と記されます

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社

度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社

右諸社,並預祈年、神嘗祭。

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 江神社
[ふ り が な ]えの かみのやしろ
[Old Shrine name]E no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳927 AD.所載される ゛江神社゛について

伊勢國には 度會郡と鈴鹿郡に江神社゛が載せられています

『神社覈録』鈴鹿連胤には 2社は同躰であると 記されています

伊勢國 度會郡 江神社(えの かみのやしろ)

・江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
〈旧鎮座地は 江寺〈現・太江寺〉の寺域にあった社 その遷座先と云う 栄野神社(えいのじんじゃ)〉

伊勢國 鈴鹿郡 江神社(えの かみのやしろ)

・三宅神社(鈴鹿市国府町)に合祀

・江神社(亀山市下庄町)

内宮・外宮の摂社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR参宮線 二見浦駅から 東へ約2.2km 車6分程度

五十鈴川派川(太古の本流)〈地元では 江川〉沿いにあります
江川の手前で「江」の信号を右折〈北〉へ曲がります

途中゛猿田彦石゛があります

この゛猿田彦石゛の謂(いわ)れについては 良くわかりません しかし 二見興玉神社には猿田彦大神が祀られ 二見浦の夫婦岩の沖合いには 猿田彦大神の旧跡と云われる゛興玉神石゛があり 二見は猿田彦大神の縁の地です

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江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧鎮座地とれる゛太江寺

江神社は 寛文3年(1663)現在地に再興されまし
しかし 再興地については異論があります

江戸時代末期の国学者〈豊受大神宮)の神職〉御巫清直(みかなぎ きよなお)の説では「本来の社地は 江寺(現・太江寺)であり 江寺が頽廃した際に 江村の産土神(現・栄野神社)へ移転したのであろうとの説を唱えています

〈参考まで〉現 太江寺の由緒について

倭姫命は、天照大神を祭祀する地を求め、伊勢志摩地域では最も四神相応(清浄な海、川、山、大道が揃った)の地に近い二見ヶ浦五十鈴川河口を遡り、内宮を定めました。その河口の興玉神の霊地に太江寺は建立されました。

奈良時代には僧行基が現夫婦岩沖700mの海上の興玉神石より龍神と共に昇りし、神仏・興玉神・天照神・千手観世音菩薩を祀った神仏習合のお寺です。

太江寺HPより
https://taikouji.com/74168/%e5%a4%aa%e6%b1%9f%e5%af%ba%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

太江寺゛の参道の前を通りながら 更に北へ
太江寺゛と゛江神社゛と゛栄野神社゛の位置関係

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住宅街の端まで来ると 太古の五十鈴川の河口の雰囲気になってきましたので 徒歩で向かいます

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この道の先に こんもりとした森があるので そこであろうと

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あららにも別の小さな森があり 気になります

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道を進むと 舗装路が終わって未舗装になります

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境内の入り口になりました

江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着

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社地は三角形で 入り口には゛皇大神宮摂社 江神社゛と刻されています
一礼をして 境内に進みます

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参道は 社殿の裏側から進む感じです

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境内には砂利が敷き詰められていて 雑草の一本も生えていない 毎日掃き掃除もされているような境内です
周囲は 湿地帯のようです

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殿にすすみ お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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6月28日の参拝でしたが トンボが飛び交っていました

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旧鎮座地の江寺が頽廃した際に 江村の産土神(現・栄野神社)へ移転したのであろう とされる 栄野神社(えいのじんじゃ)には 数百メートル南下して向かいます

栄野神社(伊勢市二見町江)〈二見興玉神社境外攝社〉に参着

栄野(えいの)神社 Eino Shrine

 栄野神社は二見興玉神社の摂社大字江の氏神でもあります。

 祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を倭姫命(やまとひめのみこと)が奉遷されたとき、当地の海岸に着船、出迎えた「佐見都比古命(さみつひこのみこと)」と、倭姫命が国名を問われた折、二見と答えた「大若子命(おおわくこのみこと)」の二座が祀られています。

 大若子命は当社の境内社、若宮社に祀られていたが、明治43年3月30日に合祀(ごうし)されました。その後、昭和20年7月8日に二見興玉神社に合祀され、同26年1月、当地に再び遷座されました。

 例祭日は毎年1月14日、湯立(ゆたて)神事が行われております。

この神事は斎場に大釜を据え、薪(まき)を焚(た)いて湯を沸かし、その滾(たぎ)り湯に束ねた熊笹を漬け、氏子崇拝者の頭上に降り注ぎ、清(きよ)め祓(はらい)をします。この湯が体にかかると、その年は無病息災という古い伝えがあります。

現地案内板より

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 江神社について 所在は二見郷江村に在す〈現 江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています

又 同じく式内社の伊勢國 鈴鹿郡 江神社について 当社と同躰であるとも記しています

【抜粋意訳】

江神社

江は假字也

○祭神 長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命、

〇二見郷江村に在す、神名略記

〇式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第十四に載す、

倭姫世記云、佐美津彦 参相支、問給、此河名何、白久、五十鈴河後白支、其処江神社定給支、』
儀式帳云、稱に天須婆留女命 長口女命、形在水、又大歳御祖命、形無、又宇加乃御玉、倭姫内親王定祝、

類社
当國鈴鹿郡 江神社
連胤按るに、社同躰なるべし、異説あれど論にならず、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 江神社について 所在は二見郷江村にあり〈現 江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
但し 江神社の旧跡は 大江寺(伊勢市二見町江)であると記しています

【抜粋意訳】

(エノ)神社

今 二見郷江村にあり、神名秘書、神名略記、神名帳考証、
〇按 伊勢式内社検録云、本社地域を見るに、舊跡に非ず、中古潮音山大江寺あり、其兆域 儀式帳 本社の四至と符へり、蓋本社の他に大江寺を建て、社は今の地に移されしなるへしと云り

天須婆留女命 長口女命、 大歳御祖命、宇加乃御玉神を祭る、延暦儀式帳、

昔 素戔嗚尊、大山津見神の女神 大市比賣に娶て、大年神、迦之魂神を生坐せり、蓋 大歳御祖神、宇加乃御玉 是也、古事記、参取延暦儀式帳、

醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 江神社について 所在は二見郷江村〈現 江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
寛文三年の再興だが 江神社の旧跡は 大江寺(伊勢市二見町江)の域との説を記しています

【抜粋意訳】

江神社

祭神 長口女命天須婆留女命兒)

祭日 二月十一月十二日
社格 内宮所攝 二十四所之一(内宮攝社)

所在 三重縣二見郷江村(度会郡二見町大字江村)

今按 検録に寛文三年今地に造立なれど 舊社は江村の産神ならん 其社の舊地は潮音山大江寺の兆域なるべしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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