矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に「元は屋退(やた)〈養父 和奈佐翁の家を退去された比治山の天女 豊宇賀能賣命を祀った意〉」と記され 元明天皇 和銅六年(713)地名は好字を用いるとの勅により 「屋退」は不吉 好字の「矢田」とした とも云う 延喜式内社 丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

矢田神社(Yata shrine

通称名(Common name)

・江戸時代には「姫宮大明神」と称す
・天酒大明神とも云う

【鎮座地 (Location) 

京都府京丹後市峰山町矢田(やた)小字谷山322番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊加賀色許命(いかがしこのみこと)

※『丹後舊事紀』には「天酒大明神(あまさかだいみょうじん)」

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『丹後史料叢書』第1輯〈『丹後舊事紀』巻之九〉に記される内容

【抜粋意訳】

『丹後舊事紀』巻之八 神祇之部

矢田神社 矢田村

祭神 天酒大明神 豊宇賀能賣命

神記に曰く 田とは屋退(やた)といふ心なり 神養父の家を退き玉ふを以て祭る。

 あまの原ふりさけ見れは かすみ立ち
  家路まとひて 行衛しらすも
といふ歌を神體とも仰とも傳なり。

 丹波郡は九座一神の地にて 五殺成就の神なりとて  豊宇氣持 豊宇賀能賣兩社を氏神とする事 谿羽道主命(丹波道主命)みづからの娘君を神仕へとて 此神を祭り玉ひける信心に依て 四人の娘君 垂仁の后次妃となり玉ひし餘風ありと傳ふ まことに有難き神國のためしなれば記す。

【原文参照】

『丹後史料叢書』第1輯,丹後史料叢書刊行会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1175321

【由  (History)】

『中郡一斑峰山案内』大正1年に記される内容

【抜粋意訳】

矢田神社

丹波村字矢田(やた)に在り、村社、延喜式内、祭神 伊加賀色許命(いかがゆかりのみこと)、往古は神領八町四面に及びしと云ひ 上下の崇敬厚かりしを知るべし、

姓氏録に矢田部鴨縣主(やたべかものあがたぬし)同祖(どうそ)竹津身命(たけつみのみこと)之(こ)の後(のち)也とあり、

例祭 九月九日、境内(けいない)八百六十八坪、社殿は阜(おか)に據(よ)り石磴鼻(せきとうはな)を掠(かす)めて立つ数百級拾ひ盡(つく)せば 即ち達す 幽静閑雅(ゆうせいかんが)の境(けう)たり。

【原文参照】

高柴象外 編『中郡一斑峰山案内』,中郡一斑峰山案内編纂会,大正1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/947767

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

矢田神社 本殿

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矢田神社 拜殿

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・〈社殿向かって右 境内社1宇・社日碑

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・社頭・鳥居・社号標・石段

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹波郡 9座(大2座・小7座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 矢田神社
[ふ り が な ](やたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Yata no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の内゛矢田゛と号する式内社について

いずれも物部系氏族の「矢田部氏」に関連する神社とされています それぞれの論社について

大和國 添下郡 矢田坐久志玉比古神社 二座(並大 月次 新嘗)(やたのます くしたまひこの かみのやしろ ふたくら)の論社

・矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)

丹後國 與謝郡 矢田部神社(やたへの かみのやしろ)の論社

・矢田部神社(与謝野町石川)

丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社

・矢田神社(京丹後市峰山町矢田)

丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社

・矢田神社(京丹後市久美浜町海士)

・矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道 宮豊線 峰山駅からR482号経由で北上 約2.7km 車での所要時間は5~6分程度

R482号を竹野川に沿って北上し 矢田橋を左折〈西〉へ600m程で社頭です

矢田神社(京丹後市峰山町矢田)に参着

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社号標には゛式内 矢田神社゛と刻字あり
参道の石段に鳥居が建っています
一礼をして鳥居をくぐり 急な石段を上がります

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石段を上がった境内には 正面に社殿が建ちます

社殿の向きは 東向きです

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拝殿の向かって右手には 境内社が祀られています

拝殿にすすみます

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賽銭箱が無かったので 扉を開けると本殿が祀られていました
拝殿は 本殿の覆い屋を兼用しているようです

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 矢田神社について 所在は゛矢田村に在す゛〈現 矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢田神社

矢田は假字也

○祭神詳ならず

○矢田村に在す〔舊事記〕

 熊野郡 矢田神社もあり

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 矢田神社について 所在は゛ 中郡矢田村にあり゛〈現 矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢田(ヤタノ)神社、

 中郡矢田村にあり、〔峯山藩神社取調帳、神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 矢田神社について 所在は゛矢田村〔字山〕(中郡丹波村大字矢田)゛〈現 矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢田(ヤタノ)神社

祭神 建角身(タケツノミノ)

祭日 九月十六日
社格 村社

所在 矢田村〔字山〕(中郡丹波村大字矢田)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

矢田神社(京丹後市峰山町矢田) (hai)」(90度のお辞儀)

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