八木ヶ鼻(やぎがはな)は 約600万年前の海底火山活動で形成された海底溶岩ドームの中心部が 約200万年前以降に陸化 その後の浸食・解析の結果 中心部が露出し絶壁が形作られたものと考えられています 古くから神靈地とされ 八木神社も元來はこの山頂に鎭座していたと云い 八木神社の旧鎮座地とされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
八木ヶ鼻(Yagigahana)
〈八木神社 旧鎮座地〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
新潟県三条市北五百川38
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》・・・
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
三条市指定名勝「八木ヶ鼻」
三条市指定名勝「八木ヶ鼻」の概要
1 名称 名勝 八木ヶ鼻
2 指定年月日 平成21年8月26日
3 所在地 三条市北五百川字宮地48番
4 指定の理由
約600万年前の海底火山活動で形成された海底溶岩ドームの中心部にあたる。
約200万年前以降にこの地域が陸化し、その後の浸食・解析の結果、海底溶岩ドームの中心部が露出し、絶壁が形作られたものと考えられる。典型的な海底溶岩ドームとして貴重であり、その中心部が大きく露出している場所は、国内でも希少である。また、江戸時代の紀行文にもあらわされ、古くから名所として知られた絶景である。
5 現状 岩壁、山林
三条市役所HPより
https://www.city.sanjo.niigata.jp/soshiki/shimimbu/shogaigakushuka/bunkazai/bunkazai/1651.html
【由 緒 (History)】
『南蒲原郡史』〈大正4年(1915)〉に記される内容
【抜粋意訳】
■ 八木ヶ鼻
八木山を木蔭すずしく湧き出し、清水は神の恵みとぞ おもふの一首は参議 左近衛中将 源義基が天保九戊戌年初夏、八木鼻を詠んだ碑文が絶壁の下にある
仰げば奇巌、壁立蒼空を摩して、今にも頭上へ崩れ懸らんとして、嶺上、翠嵐に含む緑樹、天日を蔽ふて、伏せば牛尾川、五百川、久良美川の諸流、渓潤より淙々音して五十嵐の激流に混じ、深渓幽谷の岩に激して霧漠々、石を轉ばして山麓に注ぎ忽ち碧流尋深潭をなして渦くところ、里俗これを二王淵といってゐる、八木ヶ鼻は嵐江の源、森町村大字院内にあるのだ。
二王淵の傍ら圓通閣の仁王門がある、守門ヶ嶽は西南に屹立し、粟ヶ嶽は東南に聳起して山頭を顕し頭を擧げて驚き見る雲の峰、正に是れ偉観、仙境、紅塵の留まるを覚えず、臨江の楼は八木旅館である。郡内唯一の絶勝で文人雅客の杖を曳くものが多い。
八木鼻の傍ら、北五百川地内に八木神社があって境内老杉森鬱神寂びて不浄を掃ふ、今を距る千百餘年前 人皇第五十一代 平城天皇の大同二年左近太夫と云ふ人の創立である、初め豊磐間戸命 蒼稻魂命の二神を勧請したが後、新田義貞 越後に領地を有し一族の來り住せしもの多かりし爲め その後 冥福を祈る爲め義貞義願•義宗を合祀したとある
【原文参照】

上野柏郎 編『南蒲原郡史』,上野竹次郎,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/948221

上野柏郎 編『南蒲原郡史』,上野竹次郎,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/948221
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・八木神社(三条市北五百川)〈『延喜式』伊加良志神社〉
八木鼻は古くから神靈地とされ 八木神社も元來はこの山頂に鎭座していたと云う
詳しくは下記の記事を参照
・八木神社(三条市北五百川)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越後國 56座(大1座・小55座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)蒲原郡 13座(大1座・小12座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 伊加良志神社
[ふ り が な ](いからしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ikarashi no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしの かみのやしろ)の論社について
・五十嵐館跡(三条市飯田)
〈五十嵐神社 旧鎮座地〉
・五十嵐神社(三条市飯田)
・八木ヶ鼻(三条市北五百川)
〈八木神社 旧鎮座地〉
・八木神社(三条市北五百川)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR信越本線 東三条駅からR289号経由で五十嵐川を遡上するように東南方向へ約18.38km 車での所要時間は27~30分程度
R289号を進むと「八木ヶ鼻」が見えてきました

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R289号を左折して「八木橋」の上から見る景色が素晴らしいです

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八木ヶ鼻(三条市北五百川)〈八木神社 旧鎮座地〉に参着

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かつて 八木ヶ鼻の山頂に 八木神社が祀られていたとも伝わります
車を降りて お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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八木鼻は古くから神靈地とされ 八木神社も元來はこの山頂に鎭座していたと云う
現在の八木神社については下記の記事を参照
境内に「古峯神社」の石碑があり ここからは「八木ヶ鼻」への登山道の入口となっています

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・八木神社(三条市北五百川)
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊加良志神社について 所在は゛飯田村に在す、今 若一王子と稱す、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社
伊加良志は假字也
○祭神 級長戶邊命、 級長津彦命、〔風土記節解○考證云、五十日帶日子王、今從はず〕
○飯田村に在す、今 若一王子と稱す、〔案内○節解云、在ニ 五十嵐郷、〕
案内云、飯田村 往古 五十嵐村卜云フ、打績キ 惡作百姓逃散ス、領主アハレミテ貢納ヲ ユルシ呼返シ、村名ヲ改メタリト云リ、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田郷、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社、
今 下田郷、五十嵐庄、飯田村、五十嵐川の涯に在り、〔式社案内記、新發田蕃神社帳、〕
盖 垂仁天皇 皇子 五十日帶日子王を祭る .古は春日山君、高志池君春日部君の祖也、〔古事記、参酌本社由緒傳〕傳云ふ 此王 越國に下り、春日山にまし、國中を見巡りて 後 五十嵐里に宮居し給ふ、是也、〔由緒傳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊加良志神社について 所在は゛下田郷五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)゛〈現 五十嵐神社(三条市飯田)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊加良志神社〔明細帳に五十嵐神社とあり〕
祭神
今按 社傳に祭神 五十日足彥命なるか社地の奥に御廣とて高一丈餘 周圍二十間 三方絕壁にして老樹繁茂 是 皇子の御墓なりと云傳ふとみえたり こは古事記に五十日足彦命者 高志池君直租とあり 又 五十日足彦の名と伊加良志と相同きによりて 附會したる歟よく考ふべし
祭日 四月二十九日 九月十日
社格 村社
所在 下田郷五十嵐莊飯田村(南蒲原郡鹿峠村大字飯田)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
八木ヶ鼻(三条市北五百川)〈八木神社 旧鎮座地〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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