天神社(一宮市萩原町西宮重東光堂)〈『延喜式』賣夫神社〉

天神社(てんじんしゃ)は 津田正生は『尾張國地名考』『尾張神名帳集設乃訂考』に延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(ひめふの かみのやしろ)と挙げており 旧鎮座地は今の宮より艮〈北東〉二三町〈218~327m程〉天神と呼んだ所 又 今の宮の北東を彌宜屋〈社人住居〉 宮北を長福寺〈神宮寺〉と云い大宮の名残の証と記します

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鏡作伊多神社(磯城郡田原本町宮古)〈『延喜式』鏡作伊多神社〉

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 神社の東北にある池゛宮古池゛が かつて享保年間(1716~1736)迄は 字はを「伊多の坪」と呼ばれた地であったが その後 池となったと伝わり この「伊多」の地名が延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社の論拠とされています

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鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)〈『延喜式』鏡作伊多神社・富都神社〔鍬靫〕〉

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 本殿が二祠〔南本殿・北本殿〕があり 南本殿は伊斯許理度賣命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社です 又 北本殿は宇摩志摩遅命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)の論社とされています

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鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〈『延喜式』鏡作麻氣神社〉

鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます

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大洗磯前神社(大洗町磯浜町)〈『延喜式』大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕〉

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 『文徳天皇実録』斉衡三年(856)十二月二十九日の條に常陸国上言として 創建の由来が記され 天安元年(857)の條には官社に預っています 延喜式内社 常陸國 鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕(おほあらひ いそさきの やくしほさつの あけのかみのやしろ)です

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酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉

酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています

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麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

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麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〈『延喜式』麻氣神社〉

麻氣神社(まきじんじゃ)は 創建不祥とされるが 一説として荒樫神社の伝があり「大男迹王(継体天皇)二歳にして 御生母(振媛命)と是の国に御鳳來の時 先づ麻和介命(振媛の兄)の家に御着留ありと云 此の如き御親戚の因なみに依り祭りしものなり」とあります 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です

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荒神神社(豊岡市日高町国分寺)〈『延喜式』賣布神社〉

荒神神社(こうじんじんじゃ)は 明治維新の際 国分寺境内から遷った神社です 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)は 往古は禰布ヶ森に鎭座 洪水で社殿が流出 中世に天神山中腹〈この地〉に遷宮 文久二年(1862)賣布神社跡地に遷座後 令和元年(2019)中世の鎮座地〈荒神神社に合祀〉遷座しました

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加茂廼神社(福井市鮎川町)〈『延喜式』雷神社〉

加茂廼神社(かものじんじゃ)は 口碑によれば 往昔は式内の大社で社領八十石を有し 近郷の総社であったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社とする説があります 社伝に 多田満仲(藤原藤房卿)は 天徳元年(957)社殿を改築し金銭穀類を寄進 祭典には甲冑を着し参詣したと伝えます

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