宇美神社(うみじんじゃ)は 熊野社に天正十六年(1588)に諸社を合祀し熊野権現社となり 合祀社の一つに式内社の論社〈廻大明神〉があって『雲陽志1835AD.』には 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と記されます
目次
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 楯縫郡(tatenui no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】宇美社
【読み】(うみ)のやしろ
【How to read】(umi no) yashiro
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➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 楯縫郡(tatenui no kori)
【社名】宇美神社
【読み】うみのかみのやしろ
【How to read】Umi no kami no yashiro
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➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
宇美神社(Umi shrine)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県出雲市平田町688-1
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》布都御魂神(ふつみたまのかみ)
《配祀》
〈熊野神社〉伊弉冊尊,速玉之男命,事解之男命
〈春日大明神〉天児屋根命
〈若宮大明神〉太玉命,手力雄神
〈大歳大明神〉大歳神
【御神格】(God’s great power)
・国家鎮護 開運・勝運の神
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創建】(Beginning of history)
宇美神社 御由緒略記
式内社 宇美神社 主祭神 布都御魂神(ふつみたまのかみ)
配 祀 熊野神社 祭 神 伊弉冊尊,速玉之男命,事解之男命
春日大明神 祭 神 天児屋根命
若宮大明神 祭 神 太玉命,手力雄神
大歳大明神 祭 神 大歳神御由緒
出雲国風土記(天平五年733年)に当地は楯縫郡沼田郷とあり、当社は「宇美社」として記される古社であります。
社号「宇美」の起因は、祭神 布都御魂神が出雲国にご来臨の際、海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ 古来より国家鎮護、民生安穏、百事成就の守護神 又 武勇神として尊信されております。
現境内地には応永元年(1394年)本願小村家、杉原家の祖により紀伊 熊野三山から御分霊を勧請し熊野権現社として奉称され、
その後 天正十六年(1588年)廻田に御鎮座の本願長廻家の氏神である廻大明神(宇美神社)を始め天満宮、春日神社、若宮神社、大歳神社、伊勢宮の七社をここに合祀しています。
その後 社号は熊野権現社、熊野神社、平田権現、平田神社、宇美熊野神社、或いは俗に真薦の宮などと称されました。明治5年に宇美神社と改称。
昭和56年 島根県神社庁より特別神社の指定を受け今に至る古社であり名社であります。宇美神社祭礼 ・・・・・
摂社
平田天満宮 祭神 菅原道真
配祀 少彦名命
御由緒 ・・・・・・・・・社頭の案内板より
【由緒】(history)
天正十六年(1588)、近在の7社(宇美神社を含む)を合祀し 熊野権現社となる。
その後 明治5年(1872)、宇美神社に改称。現在に至る。
摂社、平田天満宮は例祭日(7月21日)に、「おたび」神事。それに併せて各町内会による「一式飾」を展示(7月21日から22日の間)。
神社史研究会HPより
【境内社】(Other deities within the precincts)
・天満宮《主》菅原道真《配》少彦名命
・船霊神社 & 幸・稲荷神社 & 伊勢宮
《主》市杵嶋姫命 《主》猿田彦神 《主》天照大神
・祖神社《主》句句廼馳神(くくのちのかみ)
・金屋子神社《主》金屋子大神
・縁結神社《主》伊弉諾命・伊弉冉命
・城前神社《主》素盞鳴尊
・三方荒神
・大土乃御祖神
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」の論社は 二ヶ所です
・宇美神社
・石上神社
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
雲州平田駅から 北へ700m程 徒歩約10分
当日は松江方面から 宍道湖の北岸経由で平田に入りましたが 古代には泥田沼であったが 開拓され平らな田「平田」となったとあるように豊かな田園が続きます
社頭には社号標 鳥居の扁額 共に「宇美神社」とあります
宇美神社(出雲市平田町)に参着
一礼をして鳥居をくぐり 隋神門を抜けると境内です
拝殿の扁額は「縣社 宇美神社 出雲大社宮司 千家尊統 書」とあり
拝殿内には 三つの扁額あり合祀された社名が記されています
「大歳大明神・若宮大明神・春日大明神」「宇美神社」「熊野神社」
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿を巡るようにしながら 境内社にお詣りをします
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』盾縫郡にある伝承
平田地区は かつて泥沼地であったので 沼田郷と呼ばれていた伝承が「宇乃治比古命(うのぢひこのみこと)」によって伝わります
【意訳】
沼田郷(ぬまたのこおり)〈現 出雲市平田町から万田町辺り〉
郡家の正西八里六十歩の所にある
宇乃治比古命(うのぢひこのみこと)が「爾多(湿地)の水をもちいて乾飯(かれいい)を爾多(湿らせて)食べることとしよう」といわれて 爾多と名を負わされた
しかるに爾多(にた)郷というべきだが今の人が尚云うには努多(ぬた)と聞き取れる〔神亀三年に沼田と改字〕
『雲陽志(unyo shi)1835AD.』楯縫郡 平田 にある伝承
「熊野権現」〈現 宇美神社(出雲市平田町)〉に 天正十六年(1588)に合祀された《式内社の論社「迫大明神(宇美神社)」》と天照大神・春日大明神・若宮・大歳神・天神が記されています
『雲陽志(unyo shi)』では
「熊野権現」と記され
「伊弉冊尊 速玉之男命 事解之男命を祀る
・・・・・
・・・・・」「迫大明神(宇美神社)」と記され
「布都御魂命(ふつみたまのみこと) 祭礼 正月七日
神名帳に宇美神社とあり
風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり
古老の云うは 迫田と云う所あり 社を建てて氏神と崇め祭る
今 迫田と云う所あり 古は沼田にて泥深くして 郷民 耕作のために桶を掛けて水を流し廣平の田園となす故 沼田より平田と云うなり」
と記しています
『原文』参照
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)1906AD.』楯縫郡 にある伝承
平田村にある宇美社〈現 宇美神社(出雲市平田町)〉とするならば 宇乃治比古命(うのじひこのみこと)を祀るものではないかと記しています
意訳
『 宇美神社(Umi no kamino yashiro)
風土記に同じ 今 平田村にあり 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祭るという
按ふ〈考えるに〉宇乃治比古命(うのじひこのみこと)を祭るならむ
風土記 沼田郷のくだりに 宇乃治比古命の故事なり 平田は沼田の内なればなりされと事したい言ひくるむ 祭日 正月七日』
『原文』参照
『出雲国風土記考証(Izumonokuni fudoki koshiyo)』〈大正15年(1926)〉に記される伝承
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」の論社は 二ヶ所ですが 本来は塩津浦の石神明神〈現 石上神社(出雲市塩津町)〉であろうと記しています
一方 平田町の熊野社に諸社を併合して 宇美社〈現 宇美神社(出雲市平田町)〉と名付けたのは 歴史から見て非常に疑わしいと記しています
【意訳】
宇美社 うみのやしろ
今、平田町にて、元の熊野社に諸社を併合して、宇美社と名付け、大正九年に縣社とせられたものがある。
風土記鈔には、盾縫郡 鹽津浦大神なりとあるが、それが正しかろう。
雲陽誌には、布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)の條に「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と書いて居れども、風土記には沼田郷にあるとは云ってない。鹽津浦大神とは、石神明神(いそのかみみょうじん)をいったものか、御神体として重い海石があったが、天和と享保との間(1681~1736)のことであろうか、鹽津浦の負債を平田町から催促し、弁償せぬに於いては、氏神を質に取って置くとて、かの御神体を持ち帰り、熊野社の境内に置いた。これを布都御魂命であるとし、又 細川玄旨の歌詞にある 生ノ浦(おみのうら)をウミノウラとし、宇美社はもと平田(ひらた)にあったものと主張して、ついに宇美社にしたものである。
【原文参照】
宇美神社(出雲市平田町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)