栃木県
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村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〈第36代 孝徳天皇 大化二年(646)創建と伝〉
村檜神社(むらひじんじゃ)は 創建は 第36代 孝徳天皇 大化二年(646)熊野大神 大山咋命の二柱を祀り のち第51代 平城天皇 大同二年(807)皆川村小野口に鎮座の八幡宮を当社に合祀し主祭神と仰いだ 佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬された 延喜式内社 下野國 都賀郡 村檜神社(むらひの かみのやしろ)の論社です
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下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について
下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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高椅神社(小山市高椅)〈日本一社禁鯉宮(キンリノミヤ)〉
高椅神社(たかはしじんじゃ)は 日本料理の祖神「磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」を祀り「料理の神様」として信仰を集めます 長元2年(1029)には 社域に掘った井戸から大きな鯉が出たため奇異と奏上し 誠に霊異なことと思召され「日本一社禁鯉宮(キンリノミヤ)」の勅願を賜わったとされます
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宇都宮二荒山神社(宇都宮市)
宇都宮二荒山神社(うつのみや ふたあらやま じんじゃ)は 宇都宮市の中心部 明神山(臼ヶ峰、標高約135m)山頂に鎮座します 大変歴史が古く 創建は 第10代 崇神天皇の御代に遡ると云われます 戦災で多くの資料を喪失し 現存の社記には 第16代 仁徳天皇の御代(約1600年前)毛野国が下野国と上野国の二国に分割された時 下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が 曽祖父・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を氏神として祀ったのに始まると記されます
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宇都宮二荒山神社 下之宮(宇都宮市)
二荒山神社 下之宮は 宇都宮二荒山神社の旧 鎮座地に祀られる元宮です 御祭神の4世の孫 奈良別王が 第16代 仁徳天皇の御代(1600年程前)に下野の初代国造となり 国を治めるに当たり 御神霊を荒尾崎(現在の下之宮)の地に祀り合せたとされます その後 神社は 平安時代前半の承和5年(838)に臼ヶ峰(現在地)に還座しましたが 下之宮は発祥の聖地に鎮座するとして永く奉斎されてきました 1995年以後の再開発の際に現在地に再建されました
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磐裂神社(足尾鎮守)
磐裂神社(いわさくじんじゃ)は 文化~文政年間 (1804~30) には 修験の山「庚申山」への登拝口 一丁目とされていました 秩父の妙見・相馬の妙見・足尾の妙見を関東三妙見と称したと云います その歴史は古く 大同3年(808)「足尾5氏(神山、星野、倉沢、斉藤、亀山または細内)」と言われる一族14人が 日光から移住してきた時 妙見宮の分身を拝受し足尾郷14ケ村の鎮守と定めたとされます 明治11年(1878)古河市兵衛が足尾銅山を再開した際 磐裂神社と改称されました
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青龍神社(日光西町五社)
青龍神社(せいりゅうじんじゃ)は 日光西町五社の一つです 弘法大師(空海)が滝尾・寂光を開いた時に弟子が ご加護を祈って京都醍醐の青龍神を移し祀ったと伝わります 明治維新以前には「青龍大権現」と称していました 本町の氏神様で 東照宮・二荒山神社の大祭の前には晴天を祈って祈晴際が行われます
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瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉
滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます
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本宮神社(日光発祥の地)
本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました
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若子神社(日光市)& 池石(生石)(ikeishi)
若子神社(じゃっこじんじゃ)は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(空海)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(たきのおじんじゃ)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります
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滝尾稲荷神社(日光市 滝尾神社境内)
瀧尾稲荷神社(たきのおいなりじんじゃ)は 弘仁11年(820年)弘法大師(空海)が 滝尾神社と共に開いたと伝わる古社です 「昔 瀧尾上人が朝のお供えを忘れると 稲荷の神が化けて出ては 催促した」という伝説が残っています 東照宮ができる以前は 日光山として仏教の栄えた聖地「白糸の滝」がある滝尾神社本殿奥の境内に鎮座します
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瀧尾高徳水神社(日光市)
瀧尾高徳水神社(たきのお たかとく すいじんじゃ)は 奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)の水の宗社「丹生川上神社 中社(にうかわかみじんじゃ ちゅうしゃ)」の御祭神 罔象女命(みずはめのみこと)の御分霊を勧請し 昭和52年(1977)11月26日 当時の栃木県知事 横川信夫氏 より藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座していましたが 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座しました
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北野神社(日光市)
北野神社(きたのじんじゃ)は 日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の末社です 寛文元年(1661)大宰府天満宮(福岡県)の別當である大鳥居氏の一族「大僧都法印(Daisozu hoin)菅原信祐(Sugawara no shinyu)」(亀戸天神の創建者)が 天神信仰を広めるために「社殿建立の志」を立てて諸国を巡った時 大宰府天満宮よりこの地に勧請された由緒を持つ神社です
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日光二荒山神社・中宮祠・奥宮(日光市)
日光二荒山神社・中宮祠・奥宮は 男体山の山頂にあるので奥宮と呼ばれ 奥宮と日光二荒山神社本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれています 御祭神は日光二荒山神社と同じ・大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命の3神です 中宮祠の本殿右側には山頂の奥宮への登拝門があり 5月から10月に登山口の門が開き ここから男体山に登ることができます
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日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します