京都府

矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です

矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 口碑によれば 元の鎭座地は 御祭神 建田背命〈丹後国造 但馬国造等の祖〉別名 神服連海部直(かんはとりのむらじあまべのあたえ)の館跡 六宮廻(ろくのみやまわり)辺り 矢須田(久美浜町橋爪)と云い 廃絶後 中世に現在地に遷座した 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

伊豆志彌神社(京丹後市久美浜町出角宮ノ谷)〈『延喜式』伊豆志彌神社〉

伊豆志彌神社(いずしやじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって勧請と記されています 延喜式内社 丹後國 熊野郡 伊豆志彌神社(いつしみの かみのやしろ)です 江戸時代の旧称は 筈森大明神(箱森大明神)と呼ばれていました

蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)〈『延喜式』丸田神社〉

蛭子神社(ひるこじんじゃ)は 関地区の氏神で 奥宮〈末社〉丸田神社(まるたじんじゃ)〔境内に合併とも〕は 創立年代等不詳ですが 往古 七ケ村の氏神であったと伝わります「丸田神社は奥宮」「蛭子神社は里宮」の関係にあり 奥宮〈末社〉丸田神社は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社とされます

丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〈『延喜式』丸田神社〉

丸田神社(まるたじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時代 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立されたと伝わります 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の〈式内社〉熊野神社を奥宮とし 里宮として大膳職(食物)の神を祀られた 延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)です

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